番外編1
マレイラの王、ゴトハルトが長子であるエルフリードを伴い竜王の居城へと駆けつけたのは、エストアで初雪が降った日の朝のことだった。
二人の顔色は優れず、十分暖かい室内にいるはずなのに、まるで外にいるかのようにその頬は青白い。
城に着くなり休む間もなく謁見の間に通された二人は、竜王が発する怒気に気圧されたのか跪いたままピクリとも動けないようだった。
それは玉座の近くに控える宰相である自分も同じで、己に向けられているわけでもないのに、張り詰めた空気に息をすることすら躊躇ってしまう。
「ゴトハルト、お前は立派な王だと思う。正しく政を行い、立派に国を導いてきた。だが、残念ながら後継の育成には失敗したようだな。せっかくの偉業も、後を継ぐ者がなければその場限り。そうは思わないか?」
抑揚のない話し方に、ゴトハルトは更に深く頭を下げた。
「申し訳ございません、竜王陛下。この度のこと、全て私の不徳の致すところ。陛下より一国をお預かりする身でありながら後継者一人まともに育てられず、ざんきに耐えぬ思いです。」
苦しげなゴトハルトの声に、竜王は小さく息を吐いた。
「それで、どうするつもりだ」
「エルフリードの王位継承権を第二位に落とし、軍部に身を預け腐った性根を叩きなおしてやろうと思います、陛下」
苦渋の滲むゴトハルトの言葉には、王として、父としてのエルフリードに対する怒りと愛情が見て取れた。
竜王は不快そうに目を細めて、席から立ち上がった。
「王位継承権を永久に剥奪し、王族から籍を抜け。」
想像していたよりもはるかに重い処罰に、ゴトハルトとエルフリードは思わずといったように顔を上げた。
「我が意に添わぬ時は、エストアの守護は受けられぬものと思え。」
冷たく言い捨てて、竜王は苛立ちをあらわしたかのような荒々しい足音を立て、謁見の間を後にした。
竜王が立ち去り、呆然としたままの二人に立つように促すと、ゴトハルトは戸惑いを隠せない様子で疑問を口にした。
「・・・竜王陛下は何故あそこまで・・・?確かに、他国の娘を攫おうとするなど、とても許されることではないが・・・。」
このような不祥事はどこの国でもありがちなことで、王位継承権を第二位に落とすだけでも、王族としてはかなり重い処罰になる。
それをまさか、王族から籍を抜けとまで言われるとは思わなかったのだろう。
まして今回の件は、未遂で終わっているのだから。
「牢に入れろと言われなかっただけ、まだましと思っていただかなくてはいけません。陛下のお言葉通り、王族から籍を抜かれ、首都から遠く離れた領地へ行かれるとよろしいでしょう。」
ゴトハルトはさらに戸惑った様子だったが、エルフリードは侮辱されたかのように顔をしかめた。
「・・・部屋をご用意しておりますので、ひとまずそちらでお休みください。後ほど、改めてお伺い致しますので」
エルフリードを前にして陛下も頭に血が上っていたようだったが、流石にこの短い謁見だけで国にとんぼ返りしろとは言わないだろう。
少なくとも、ゴトハルトには竜王としてまだ話したいこともあるはずだ。
重苦しい空気のまま、二人を伴って謁見の間を出る。
会話もなく廊下を歩いていると、ふと窓の外に一瞬見えた人影に思わず息をのんだ。
わざわざ今日はこの辺りには近づかせないよう、くどいほど言い含めたというのに・・・。
こうなったら早く客間に二人を押し込んでしまおうと、足を速めた時だった。
「駄目だって!戻りなさいっ!」
「大丈夫!すぐに取ってくるから、マーサはそこで待ってて!」
切羽詰った声に対して答える少女の声は朗らかで、思わず頭を抱えてしまいたくなる。換気のためか半分だけ開いた窓からは、冷たい風と共にはっきりと話し声が聞こえた。
今更だが、1階の客間を用意してしまったことが悔やまれる。
とうとうついて来る足音が止まってしまったことに深いため息をついて、後ろを振り返る。
驚いた表情で外を凝視するエルフリードに、ゴトハルトは不審そうな目を向け、息子が見ているものを確かめようと同じように視線を外に向けた。
「お前、相変わらず足早いな。後で何とかしとくから、とにかく戻ろう。」
「でも風も強いし、また飛んでいっちゃうかも・・・。」
「って登るつもりなのか!?バカっ、やめろっ!!」
何と言って誤魔化そうかと考えている間に聞こえてきた物騒な言葉に、慌てて窓の外に目を向ける。
粉雪がちらつく中、一本の木の下にフィリスとポールが立っていた。
フィリスが木に抱きつこうとするのを、ポールが慌てて引き離したようだった。
その二人に向かって、マーサが小走りで近づいていく。
「もうっ、木登りなんて女の子のする事じゃないでしょう?危ない真似はやめてちょうだい!それより早く行かないと・・・今日はあまり出歩くなって、宰相様に言われたでしょう?」
「うん、でも・・・。」
フィリスが見上げた先の木の枝に、淡いオレンジのストールがひっかかっていた。
おそらくどこかに向かう途中でストールが風に飛ばされ、それを追いかけてきたのだろう。
元々貧しい生活をしてきたフィリスは、自分に与えられたものは何でも大切に使うし、非常に物持ちがいい。
その姿勢はとても好ましいものではあるのだが、いくらでも代えのきく物よりも、もっと自分の身を大切にして欲しい。
何しろ我々が彼女に与えるどんな物よりも、彼女自身がこの国の・・・いや、この大陸の唯一の宝なのだから。
「・・・もしかして、あの娘がそうなのか?」
ゴトハルトの問いにエルフリードは答えず、視線をフィリスから離さないまま、ただ両手を強く握り締めた。
「・・・・・そうか」
それだけで、ゴトハルトには分かったようだった。
しばらく息子の顔をじっと見ていたゴトハルトは、ためらいながら再び口を開いた。
「もし・・・もし、お前が本気だと言うのなら、直接会って話ができないか竜王陛下にお願いしてみてもいい。先ほどの様子では難しいかも知れないが、お前が心を入れ替え、己の行いを謝罪するつもりがあるのなら・・・」
「いけません、ゴトハルト王。あの娘は特別なのです。エルフリード様と会わせることを、陛下は決してお許しにはならないでしょう。」
例えエルフリードが心から後悔し、謝罪がしたいと訴えたとしても、陛下は首を縦には振らないだろう。
あの誘拐未遂事件は、まだ誰の記憶にも新しい。
エルフリードを城に呼び出したと伝えた時、フィリスは表情を曇らせ、怯えるような様子を見せた。そんな状態のフィリスを、エルフリードに会わせたくない。
自分でさえそう思うのだから、陛下であればなおさらだ。
想いが通じあってから、陛下のフィリスへの溺愛ぶりは時に異常に思えるほどで、政務がある時以外は常に一緒にいるし、まだ結婚もしていないのに同じ部屋で寝起きを共にしている。
未成年のうちは手を出さないと明言しているが、それでも周囲の目もある。
隣室にフィリスの部屋を用意すると言っても必要ないと言って聞き入れず、どうしても気になるなら部屋に入り口を二つ作って二部屋あるように見せておけばいいなどと、バカみたいに聞こえることを本気で言ってくれる。
ただ、先代の竜王は政務の時ですら妻を目の届く近くにおいて離さなかったというのだから、それを思えば陛下はまだましな方なのだろう。
竜族は伴侶に対する愛情がとても深いらしいから、おそらく彼らにとってはこれが普通なのだ。
そんな陛下の行動に宰相として悩むことも多いが、それも盟約の花嫁を迎えられたからこその苦労と思えば嬉しいものだ。
とにかく陛下が、エルフリードの罪悪感を和らげるためだけにフィリスと会わせるなんて考えられないし、ましてそこにエルフリードの恋愛感情が絡むのであれば陛下がお許しになるわけがない。
「特別・・・?それは、いったいどいういう意味だ?」
エルフリードが問いかけたのと、外にいるマーサとポールが自分達が来た方向に向けて頭を下げ、フィリスから離れたのはほぼ同時だった。
フィリスは二人が頭を下げた方に視線を向けると、困った表情を少しだけ緩めた。
その場に唐突に現れた陛下は、ゆったりとした歩調でフィリスの前に立った。
「こんな所で、何をしてるんだ?」
つい先ほど謁見の間であれほど冷たく凍るような声を出していたというのに、フィリスに向かってかける声はまるで日溜りのように温かく、優しく聞こえる。
「ごめんなさい、少しだけ外に出たらすぐ部屋に戻るつもりだったんだけど、ストールが・・・」
フィリスが再び木の枝にひっかかったストールに目をやると、陛下は無造作に手を上に上げた。
ストールがふわりと浮き上がり、その手におさまる。それを見て、フィリスは嬉しそうに笑みを浮かべた。
陛下は手にしたそれをマーサに預けると、フィリスの両手を取って己の手の中に包み込んだ。
「・・・ずいぶん冷えてるな。大丈夫か?」
そう言って、包み込んだ手を温めるように軽く擦る。
フィリスは恥ずかしいのか顔を真っ赤にしながら、ぎこちなく頷いた。
ここからは陛下の横顔しか見えないが、その表情は男の自分でさえ恥ずかしくなるほど、優しくて甘い。
「風邪を引く前に、部屋に入ろう。マーサ、温かい飲み物を用意してくれ。」
陛下はマーサにそう指示すると、フィリスの体を抱き上げた。
突然子供のように前抱きにされて、フィリスは慌てたように陛下の肩のあたりを掴んだ。
「ジーク、歩くから降ろして?」
「こうした方が、暖かいだろう?」
片腕で軽々とフィリスを抱えた陛下は、反対の手で己のマントを掴み、フィリスを隠すように頭から覆った。
きっと、フィリスとマーサはそれを雪避けのためだと思っただろう。
だが、歩き出す一瞬迷う事なくこちらに向けられた視線は鋭く、最初から自分達がここにいることが、分かっていたかのようだった。
恐らく、フィリスにエルフリードの存在を気付かせないために敢えて視界を隠したのだろう。
もしかしたら、エルフリードの視界にフィリスが映るのも嫌だったのかも知れない。
一番後ろを歩くポールもいつからこちらに気付いていたのか、警戒するように一瞬だけ視線を向け、陛下の後ろを守るようについていった。
視界から完全に陛下の姿が消えてから、ゴトハルトはそれまで息を止めていたかのような嘆息をもらした。
「コンラート殿・・・もしやあの娘は・・・?」
言葉は疑問系でありながらも、ゴトハルトは確信しているようだった。
陛下の名を愛称で呼び、対等に話すことを許された少女。そんな存在がいるとすれば、それは・・・・・。
「ええ、そうです。正式な発表は来年の春を予定していますので、それまではどうかご内密にお願い致します」
数ヵ月後には、大陸全土に向けて盟約の花嫁が見つかったと公表する。
ここで頑なに隠す必要もないだろう。
今でも城の中では公然の秘密であるし、城内に収まらず、噂はゆっくりと帝都へと広まりつつある。
「そうか・・・そうか・・・良かった・・・・・・。生きているうちに、このような僥倖にあうとは・・・。しかし、それならば陛下のあのお怒りもごもっともなものだ。盟約の花嫁を攫おうとした国など、竜王陛下に導いていただく資格はない。」
「陛下のお心はそこまで狭くありません。事件当時、彼女はまだ盟約の花嫁ではありませんでした。しかし実際の問題として、エルフリード様が王宮にいらっしゃる限り、これまでのように無条件で手を差し伸べることは難しいでしょう。」
重々しく頷いたゴトハルトの後ろで、エルフリードは悔しげに顔を歪めた。
「結局のところ、より条件のいい方に乗り換えたというだけの話じゃないのか。それに権力を使って我がものにしておいて、俺のした事を責められるのか」
唸るように吐き出された言葉に、ゴトハルトはカッと目を見開くと息子に向き直り、同時に頬を殴りつけた。
手加減をしなかったのか、突然だったせいなのか、父よりも体格のいいエルフリードは勢いよく廊下に倒れこんだ。
「この痴れ者がっ!!大恩ある竜王陛下を侮辱するのは、この私が許さんっ!!そんな愚劣な考えで、人の上には立たせられん!お前には部下も侍女もつけぬ、どこへなりと行って一人で生きるがいい!」
怒りのあまり顔を真っ赤にして肩で息をするゴトハルトをエルフリードから引き離し、口の端から血を流す姿を見下ろす。
「まったく、あなたという人は・・・。お二人を見て、あなたのように権力にものをいわせたと、本当にそう思うのですか?ひとつだけはっきりと言っておきますが、あの二人はあなたが彼女に出会うよりもずっと前から、両思いでしたよ。」
殴られた衝撃のせいか、反応の鈍いエルフリードを立たせる。
「さあ、改めて部屋にご案内します。」
怒りが冷めず返事の代わりに唸り声を出したゴトハルトを促して、今度こそ控えの部屋へと二人を押し込んだ。
午後、昼食の後竜王の執務室へと呼び出されたゴトハルトは、すっかり生気をなくした顔でうなだれていた。
「・・・一体、私はどこで間違ってしまったのでしょうか・・・・・。」
その苦しそうな表情を見て、陛下は励ますようにゴトハルトの肩に手を置いた。
「エルフリードを王族としては認めないが、お前が父としてしてやろうとすることにまで口を出すつもりはない。市井に出て苦労すれば、また変わることもあるだろう。お前だけは見捨てずにいてやれ。」
「・・・・・・ありがとうございます、竜王陛下。」
陛下の言葉に、ゴトハルトは目に涙を浮かべて礼を述べた。
「そろそろ私も退位しようかと思うのですが、現在王位継承権の第二位は我が娘が持っております。いずれ他国に嫁に出そうと考えておりましたが、早急に王に相応しい婿を探さねばなりません。」
「いいんじゃないか?女王というのも、悪くない。それより、そんなに急いで退位するな。もうコンラートから聞いているだろうが、俺は二年後に結婚する予定だ。お前の事は赤ん坊の頃からよく知っているし、是非とも式に出席してもらいたいと思ってる。」
ゴトハルトは感激したように何度も頷いた。
「ええ、もちろんですとも。お呼びいただけるのであれば、必ず・・・。」
それからしばらく今後の方針について相談した後、ゴトハルトは執務室を退出した。
「これでやっとこの件は片付きましたね。・・・ゴトハルト王は真面目な方ですから、今度の事はさぞお辛いでしょう。」
「偉大な親から偉大な息子が生まれるとは限らない。難しいものだ・・・。」
考え込むように腕を組んだ陛下は、しばらくしてふと顔を上げた。
「そういえば、今朝はタイミングが悪くて焦ったな。フィリスはお前達があそこにいたことは、気付いてないようだった。」
「そうですか・・・。安心しました。にしても、マーサとポールは相変わらずですね。外に出れば誰がいるかも分からないというのに、いつまでもあの口の利き方では困ります。」
盟約の花嫁となるフィリスは、竜王に次ぐ地位につくことになる。
特に何か権力を与えられるわけではないにしても、気安く誰からも話しかけられるような立場ではないのだ。
「焦っていたんだろう。あの二人も、フィリスを守ろうとして必死だったんだ。普段はちゃんとしてるよ。それに、あんまり神経質にされたらフィリスが寂しがる。俺もずっと一緒にいてやるわけにいかないしな。」
溜息をつく陛下に、思わず目が丸くなる。あれだけ行動を共にしていて、ずっと一緒にいてやれないなど、どの口がそれを言うのか。
「・・・どうした、何か言いたそうだな?」
「いえ、何も・・・。ただ、平和だなと思っただけですよ。」
急に何を言ってるんだと言うように、陛下は顔をしかめた。
自分の代の時に、盟約の花嫁が現れたこと。そして、敬愛するただ一人の王に、ようやく心から愛する者ができたこと。
エストアの宰相として、これ以上に幸福なことはない。
後は陛下の子供を一目でも見ることができればと思うが、あまり贅沢は言うまい。
竜族の寿命は長い。新婚生活も、数十年は楽しみたいだろうから。