第56章 終章1
帰ろうと言ったはずのジルはまっすぐに城には向かわず、私に朝焼けを見せてくれたあの丘へと降り立った。
「少し、二人だけで話がしたいんだ。」
ジルはそう言うと私と向かい合うように立ち、私の手を握った。
そこから伝わる熱に、私の心臓がうるさく音を立てる。
真剣な表情のジルを直視できなくて、つい視線を逸らせてしまった。
「まず謝らせてくれ。今日の事、本当にすまなかった。」
思ってもいなかった言葉に、私は驚いて顔をあげた。
ジルに内緒で街へ出て、こんな事になったのだ。それを助けてもらったのだから、謝らないといけないのも、お礼を言わないといけないのも、全部私の方なのに。
「どうしてジルが謝るの?」
「・・・本当は知ってたんだ。奴らがフィリスの事を狙っている事は・・・。アルフレッドはオリヴィアを利用して、城内の内通者からフィリスの情報を引き出していた。だから、今日外出することもあらかじめ奴は知っていたんだ。狙ってくるなら、この時しかないと思った。俺達はフィリスを・・・囮にしたんだ。」
ああ、それで・・・。
「じゃあ、オルグさんとポールがあそこにいたのも?」
「二人には護衛と、誘導を頼んでいた。連中が襲ってきたら、ガント達が網を張ってる場所に追い込む作戦だった。」
ジルの話を聞いて、ようやく納得できた。
ポールが仕事だと言っていたのは、そういう事だったのだ。
「・・・私が今日街へ行く事、ジルも知ってたの?」
当然、知っていたのだろう。
知っていて、それでも私が何も言わないから・・・だから、ずっと知らない振りをしていてくれたのだ。
「・・・すまない。」
どこか苦しげな表情をするジルに、私も苦しくなってしまって・・・。
「私の方こそ、ごめんなさい。ジルに内緒で勝手に街に出て、・・・ちゃんと相談すれば良かったのに。」
「フィリス・・・いや、フィリスにだって、俺に言いにくい事もあるだろう。それはいいんだ・・・。それに俺はオリヴィアが帝都に戻ってきていた事も、知っていたのにお前に黙っていた。」
「・・・でも、それは私の為に黙っていてくれたんでしょう?」
もし聞いていたら、私はきっと平静ではいられなくなっていただろう。
「だが、結局こうして引き合わせて、また辛い思いをさせている。」
「そんなの、ジルのせいじゃないでしょう?だから、謝らないで?」
思わず強い語調で言うと、少しだけジルの表情が緩んでくれた。
ジルにはジルの考えがあって、私の事もきっとたくさん考えてくれて・・・。
守られてばかりいる私がジルを責めるなんて、そんなのおかしいと思うから。
「オリヴィアの事は・・・気にしないで?」
軽い刑では済まないと言われたオリヴィアが、この先どうなるのか。全く気にならないわけではない。
ここまでして私を苦しめたいと思うほど憎まれていたのかと思うと、苦しい気持ちと、得体の知れない恐ろしさがこみ上げてくる。
自分の行いが犯罪なのだと、オリヴィア自身が分かっていたのかどうか、それは分からないけど・・・。。
それでも同情はしないし、オリヴィアだって私の同情なんて死んでも欲しくないだろう。
「辛くないって言ったら、嘘になるけど・・・でも、私はもう一人じゃないから。」
今どんなに辛いと思っていても、きっとまた前を向いて歩いていける。
これまでだってそうだった。
「・・・そばにいても、いなくても。私はいつだって、ジルやマーサや、皆に助けてもらえるから。」
皆の顔を心に思い浮かべるだけで、嬉しくなる。優しい気持ちになれる。
例えばまたいつか、オリヴィアと会って、今日のように言葉を交わす日が来たとしても・・・それでまた傷ついても、きっとまたすぐに立ち直れる。
頑張ろうって、思えるから。
「だから、大丈夫だから。」
こんなつたない言い方で、ジルに私の言いたい事が分かってもらえるだろうか?
どう言えば、ジルは安心してくれるだろう?
それ以上言葉が続かない私を、ジルはどこか驚いたように見つめていた。
・・・今なら、素直に言えるかもしれない。
今日はっきりと分かった自分の気持ちを、今ならジルに伝えられる。
時間がたてばきっと言いにくくなるし、普段の生活の中で気持ちを伝えるだけの勇気を出せるか自信が無い。
沈黙が続く中で、私は思いきって口を開いた。
「あ、あのねっ、ジル、私・・・。」
いきなり裏返ってしまった声が恥ずかしくて、つい視線を落としてしまった。
でも今やめてしまったら、次はきっと、もっと言いにくくなってしまう。
「私ね、あの人達にどこかに連れて行かれて、もう戻って来れないんだって思った時・・・すごく、怖かったの。ジルに会えなくなる事が、もう二度と声も聞けなくなる事が、すごく怖かった・・・。」
ジルは私の話を黙って聞いてくれていたけど、私の手を握る力が、少しだけ強くなった気がした。
「・・・私、ジルのそばにいたい。ずっと、一緒にいたい・・・。」
自分の足が震えているのは、緊張のせいなのか、それとも走りすぎたせいなのか。
どうにかなってしまったんじゃないかと思うほど激しくなる心臓の音を押さえつけるように、私は大きく息を吸った。
「・・・ジルの事が、好きなのっ!」
言葉と一緒に、心臓まで口から飛び出してしまったんじゃないかと思った。
やっと言えたのだという達成感を感じる間もなく、ジルはどう思ったのだろうという不安におそわれて、なかなか顔を上げられない。
「・・・・フィリス、本当に?」
ジルの声が、少しだけ震えてるような気がした。
「・・・・・本当は、ずっと好きだった。でも、勇気がなくて・・・・なかなか返事ができなくて、ごめんなさい。」
愛してるって、言ってくれたのに。ずっと中途半端に返事を引き延ばして、ジルはどんな気持ちで待っていてくれたのだろう。
ジルに好きだと伝えた今なら、その気持ちが少しでも分かる気がした。
ちゃんと顔を見て話そうと俯いていた顔を上げようとした瞬間、ふわりと体が浮いて、ジルに抱き寄せられた。
「もう一度、言ってもいいか?」
ジルはしばらく私を抱きしめた後、少しだけ体を離して視線を私に合わせた。
「フィリス、お前を愛してる。俺のそばにいて欲しい。」
「うん。私も、あ・・・愛してる。ずっとそばにいる。ジルが、嫌になるまで・・・。」
生まれて初めて言葉にする『愛してる』は、とてつもなく恥ずかしかったけど・・・ジルが本当に嬉しそうに笑うから、だから、頑張って言って良かったと思った。
「じゃあ、死ぬまで一生そばにいてもらえるな。」
そう言って無邪気に笑うジルに、チクリと胸が痛んだ。
「・・・いてくれないのか?」
私の微妙な表情の変化を読み取ったのか、ジルが不安そうに聞いてきた。
「もちろん、死ぬまで一生そばにいる!ジルが、許してくれるのなら・・・でも・・・。」
こんな事、今言わなくてもいいんじゃないだろうか。
そう思うけど、無言で先を促すジルについ不安を口にしてしまう。
「私は死ぬまでジルと一緒にいられるけど、ジルは・・・・。」
死ぬまで一緒ににいられたら、私はそれで幸せだろう。
でも、ジルは?
人間の一生は竜族に比べれば、あまりにも短い。
私は、ずっとそばにはいてあげられない。
初代や二代目の竜王様は、どんな気持ちで花嫁と寄り添っていたのだろう。
どうやって、その死を受け入れてきたのだろう。
それを考えると、辛かった。
「・・・もしかして、知らないのか?」
「・・・・・何を?」
ジルは首を傾げると、きょとんとした表情で私を見た。
「・・・・・そうか・・・・まあ、敢えて誰も説明しないか。」
「・・・・・・?」
ジルはしばらく私の顔を眺めた後、ふっと笑った。
「俺の母親なら生きてるよ。時々、城にも顔を出してるし。時々って言っても数年に一度あるかないかだけど。祖母も生きてる。今は竜の谷で祖父と一緒に暮らしてる。」
一瞬、言われた意味がよく分からなかった。
「・・・・・えっ?だって・・・人間なんでしょう?」
人間は何百年も生きたりしない。いくら私でも、それくらい分かる。
「正確に言えば、人間だった。今は竜族の眷属扱いになってるから、人間とは言い切れないかもな。」
「けんぞく?」
意味が分からず言葉を繰り返す私に苦笑して、ジルは曲げていた背中を伸ばした。
「とにかく、フィリスは何も心配しなくていいって事だ。詳しい話は、また今度ゆっくり教えるよ。」
そう言って、ジルは竜体に姿を変えた。
「時間はいくらでもある。急ぐ必要は無い。さあ、城に帰ろう。」
もう少し話を聞きたかった気もするけど、心も体もすっかり疲れていた私は、大人しくその言葉に頷いた。