第53章 護衛1(SIDEジル)
執務室の中は、ピリピリとした緊張感がただよっていた。
窓際には厳しい表情で黙り込んでいる俺がいて、その傍らに控えるコンラートは机の上に広げられた地図を睨みつけるように見据えている。
ドアを塞ぐような形で立っているガントは、まるでここが戦場であるかのように腰に付けた剣の柄から手を放さず、少しの音も聞き逃すまいと外の気配に気を配っている。
こんな所に呼びつけられた彼らには、正直言って同情する。
それも、普段ならとっくに夢の中にいるはずのこんな夜更けに・・・。
そうは思うが、一体何を言われるのかと顔を青くしている二人に優しい言葉の一つもかけてやる余裕はなかった。
「本当にやるのか?」
沈黙を破った俺の言葉に、執務机の前で膝を折り、頭を下げたままの二人はビクリと肩を揺らせた。
「他に、いい案があるのでしたら・・・。」
コンラートの言葉に、俺は大きく溜息をついた。
張り詰めていた空気が、わずかに和らぐ。
「・・・わかった。説明を始めてくれ。」
コンラートは俺に向かって一礼すると、呼び出した二人に向かって話し出した。
「ポール、オルグ、顔を上げなさい。二人とも、夏至祭の時の事件を覚えていますね?某国の色ボケした王子が、こちらの侍女に手を出してこっぴどく振られた事件です。」
毒のある言い方に、二人は曖昧に頷いた。
「その王子が、どうやら諦めきれずに侍女の誘拐を企てているようなのです。」
「誘拐、ですか?」
二人の戸惑った表情は、一瞬にして真剣なものに改められた。
「側近の一人、アルフレッドという男がエストアに残り、こそこそと動きまわっています。本当に、目障りで仕方がない。」
思わずといった様子で舌打ちするコンラートに、俺もつい頷いてしまった。
フィリスがマーサと街へ出かけると聞いた後、同じ話をコンラートに聞かされた。
アルフレッドは、名目上は長期の休暇で滞在という事になっている。
何かしら理由をつけてさっさと国に帰せばいいのだろうが、それだけでは根本的な解決にはならない。
「明日、その侍女が街に外出することになっています。その情報は城の内通者を通じて、数日前からアルフレッドの耳に入っています。」
「・・・城に、マレイラの国の者が入り込んでいるのですか?」
遠慮がちに問うオルグに、コンラートは頭を振った。
「いえ、残念ながら・・・。今年の花嫁候補であったオリヴィア嬢、彼女もこの件に絡んでいます。彼女の信奉者がアルフレッドに協力しているようですね。」
オルグが息を呑む音が聞こえた。
「もちろん、こちら側の間者も何名かアルフレッドの側に付けています。明日彼女が街へ出たら、ポールとオルグは護衛に付くように。敵にも味方にも見つからぬよう、細心の注意を払うこと、それから奴らが動いたら、目的地へ逃げ込むよう彼女を誘導して下さい。」
「それは、囮にするって事ですか?」
ポールが思わずといった様子で、コンラートにかみついた。
「もちろん、彼女の身の安全は第一に考えてます。だからこそ、こうしてあなた達に頼んでいるのですよ。」
納得がいかない様子のポールの隣で、オルグは探るようにじっとコンラートの顔を見た。
コンラートが促すようにオルグを見ると、オルグは意を決したように口を開いた。
「・・・ご無礼を承知で申し上げます。確かに、小手先だけで追い払っても問題の解決にはならないでしょう。内にも外にも禍根を残さぬためには、多少大掛かりな事をするのも仕方が無いかもしれません。しかし相手が一国の王子では、事を大きくしては問題にはなりませんか?」
「確かに、政治的な判断でいえばなんとか穏便にすませた方がいいでしょうね。例えば、問題の侍女にはどこか遠くの土地で新しい働き口でも紹介して、安全な場所に避難してもらえばいい。城の内通者はただオリヴィア嬢を慕っているだけだし、放っておいても問題ないでしょう。ただ、彼女に関してはその措置を取ることができないんですよ。」
コンラートは黙り込んだままの俺に視線を向けて、満足そうに笑みを浮かべた。
「彼女が唯一、次代の国母となり得る可能性がある女性だからです。」
はっきりと言い切ったその言葉に、ポールとオルグの突き刺さるような視線が俺に向けられた。
緊張させてしまうだろうとそれまで逸らしていた顔を二人に向けると、二人はなんとも言えない複雑そうな顔をしていた。
「俺もお前達とは別行動でフィリスを護衛する。」
今度は、面白いくらい二人同時に目を丸くした。
言わなくても言いたい事は分かる。
「この姿で?・・・と言いたいんだろう?」
自分の容姿が飛びぬけて目立つのは分かっているし、フードを被ったところで別の意味で怪しすぎるだろう。
「もちろん、こっちの姿で行くつもりだ。」
ふっと笑って人の姿になると、ポールもオルグも呆けたように口と目を大きく開けたまま固まった。
「・・・いいんですか?そんなにあっさり教えてしまって。」
「いいんだよ。」
ジルとして、二人とは友人関係なのだ。さっき複雑な表情になったのは、きっとジルがフィリスに想いを寄せてることに気付いていたせいだろう。
エストアの民にとって、盟約の花嫁の出現は喜ばしいことであり、必要不可欠なものだ。
竜王が望めば、ジルはフィリスを諦めるしかない。
そんな二人の友情がくすぐったくもあり、嬉しくもあった。
「二人とも口は堅いしな。さあ、細かい打ち合わせをしよう。」
それから、驚きすぎて許容量を超えた二人の頭が正常に働き始めるまで、かなりの時間を要した。
細かい打ち合わせを終え、ようやく二人が部屋を退室した頃には東の空がうっすらと白みはじめていた。
最後にガントにがっしりと肩を掴まれ、「万が一にも何かあれば・・・・分かるな?」・・・・・そう低い声で脅された二人は、哀れにもガクガクと頭を何度も縦に振るしかなかった。
「やはり急すぎたのでは?」
フラフラと部屋を出て行った二人を見送り、ガントは不安げにコンラートに声をかけた。
「わずかにでも態度に出れば、気取られる可能性がありますからね。まあ、仕方ないでしょう。それでは、あとはお願いしますね。」
「ああ・・・じゃあ、行ってくる。」
これが最善の方法だとはいえ、またフィリスを追い詰めることになるのかと思うと気が重い。
執務室を出て後ろ手に扉を閉めながら、俺は長い息を吐いた。
胸の奥にくすぶる怒りを、少しでも小さくするように。
諦めの悪いエルフリードの王子にも、己の非を欠片も認めず性懲りも無くフィリスを苦しめようとするオリヴィアにも、もう我慢ができそうにない。
冷静にならなければと思うのに、フィリスを思う気持ちが理性を侵食していく。
彼らを前にして、自分はいったいどういう態度を取るのだろうか・・・。
「・・・今考えることじゃないな。」
今は、フィリスの身の安全だけを考えよう。今日という日が、無事終わることだけを・・・。
視界の端に写るフィリスは、マーサと楽しそうに話しながら軽い足取りで歩いていた。
人と違って、竜の目はかなり遠くまで見通すことができる。
フィリスとの距離は相当離れているが、目に意識を集中すればその表情まで見て取る事ができた。
ポールやオルグがどこにいるのかは分からないが、俺にも分からないということは上手く隠れているのだろう。
フィリス達はどこか目的の場所があるのか、開き始めた店に足を止めることもなく、歩き続けた。
それからどれほど経ったのか、マーサが立ち止まって張り出された地図を確認した。
目的地についたのか、今度はのんびりとした歩みで周辺の店を見て回った。
この辺りは特に商業施設が固まっているというわけでもない。むしろ、城の周辺の方が店はいっぱいあるだろうに。
首を傾げつつ見守っていると、菓子店の店頭でようやくそれらしい買い物をした。
可愛らしい箱に入れられたそれは、遠目にも自分のための物ではないことは分かる。
満足そうな笑みを浮かべたフィリスは、何かを見つけたのか隣の雑貨店へと足を向けた。
並べられた商品の一つを手に取り、上にかざすように持ち上げる。
店主らしき男が出てきて、フィリスに話しかけた。
フィリスは頭を振ると、確かめるようにもう一度同じ動作を繰り返した。
どこか愛しそうに、眩しそうに目を細めるフィリスに、手にあるものが気になってさらに意識を集中した。
「・・・フィリス・・・。」
思わず小さく呟いた俺を、通り過ぎる人が不審な目で見ていた。
赤くなった顔を、誰にともなく隠すように手で押さえる。
フィリスが手にしていたのは、小さな木彫りの竜だった。
帝都ではたいして珍しくも無い、ありふれた土産物だ。
それでも、フィリスがそれを通して何を見ていたのか、想像はつく。
・・・フィリスが知っている『竜』は、俺しかいない。
喜びのあまり早くなる鼓動を押さえつけながら、俺はフィリスを見失わないように一定の距離を保ち続けた。
やがて見えてきた見覚えのある風景に、納得すると同時に余計疑問が増えてしまった。
小さな子供二人が、フィリスを見つけて驚いたように母親に飛びつく。
大声で呼ぶが距離が離れていて声が届かないのか、じれた子供たちはフィリスに向かって走り出した。
慌てて子供達の後を追う母親と、訳が分からないながらも両手いっぱいの荷物を抱えて急ぎ足になる父親。
どの顔にも見覚えがあった。
フィリスは、彼らに会いに来たのだろう。
それなら、何故俺に黙っている必要があったのか・・・。
彼らと共に家の中に入ったフィリスを見届けて、俺は玄関が見える位置に身を潜めた。