第52章 救出
たどり着いたのは、広い空き地のような場所だった。
敷地を取り囲むように張り巡らされた木の柵は低く、外部からの進入を防ぐというよりは、単なる境界線でしかないのだろう。
荒い息を繰り返しながら、私は周囲を見回した。
「・・・誰も、いない、の?」
シンと静まり返った広場には、人の気配が一切感じられなかった。
敷地の端には平屋が並び、かすかに馬のいななきが聞こえてくる。けど、それだけだ。
「ここ、だよね?」
奥の方には、ずっと目印にしてきた古びた塔が立っている。・・・やっぱり、間違いない。
後ろを振り返って目を凝らしても、ポールの姿は見えなかった。
まだ、追っ手と戦っているのだろうか?それとも、何とかして逃げられただろうか?
もし無事に逃げられたのなら、ポールは私を探してここまで来てくれるだろう。
でも、もしそうじゃなかったら・・・。
焦燥感に駆られた私は、塔へと駆け出した。
とにかく、助けを呼ばなくては・・・。
もしかしたら誰か一人くらい兵士がいるかもしれないし、マーサとオルグが、先に逃げ込んでいるかもしれない。
私一人じゃ、何もできない。私一人じゃ・・・。
「ジル・・・。」
押しつぶされそうな不安に、胸元のお守りを握り締める。
どうか、みんな無事な姿で、また会えますように。あの時は大変だったと、笑えますように。
そう強く祈った。
「・・・っ!?」
平屋の近くまで来た時、突然平屋のドアが開いて馬がなだれ出て来た。
7頭くらいはいるだろうか。
馬にはそれぞれ目深にフードを被った男達が騎乗し、私を取り囲むと剣を抜いた。
「随分と手間をかけさせてくれたな。ネズミは逃げ足も速くて困る。」
聞き覚えのある声に、ビクリと体が震えた。
「・・・どう、して?」
私の目をしっかりと見据えたその男は、剣先を私に向けたままゆっくりとフードを下ろした。
その顔には、確かに見覚えがあった。
マレイラの王子についていた、アルフと呼ばれていた騎士だ。
「大人しく一緒に来てもらおう。抵抗しなければ傷つけはしない。」
「私を、どうするつもりなんですか?」
何故、彼がこんな所にいるのだろう?私を追いかけていたのは、彼の仲間なのだろうか?
今更どうして?
どうやって先回りしたのだろう?私がここに逃げ込む事を、まるで最初から分かっていたみたいに・・・。
「どいてちょうだい。」
その場に不似合いな鈴を鳴らしたような可憐な声に、私は自分の耳を疑った。
少女の言葉に、私を取り囲んでいた一人が後ろに下がり、少女を招き入れる。
「また会ってしまったわね、フィリス。元気そうでなによりね。」
現れた少女の姿に、私は血の気が引くのを感じた。
「あなたは私の顔なんて、もう見たくなかったでしょうけど・・・。安心して?これで、本当に最後になるから、ね?」
「オリヴィア・・・。」
私の掠れた声に、オリヴィアは満足そうに微笑んだ。
「自分のした事は、ちゃんと自分で責任を取らなきゃだめよ?マレイラに行って、きちんと謝ってきなさい。」
責任?マレイラに行って?一体、何のことを言ってるの?
もう二度と会わないはずだったのに、どうして?
「頭の悪い子ね。あんたが罪を償えるように、オリヴィア様が力を尽くして下さったのよ!あんたの本性をちゃんと見抜いてる人達に、協力してもらったの。」
オリヴィアの後ろから姿を見せたのは、オリヴィアの侍女をしていたエマだった。
「・・・一体、何の事?」
私の罪?本性?意味が分からない。
頭の中がグルグルして、全く考えがまとまらなかった。
「あんたみたいな子が、陛下のお近くで働くなんてとんでもないわっ!オリヴィア様をこんなに苦しめて、あんたには良心ってものがないの?」
苦しめる?苦しめられたのは私で、オリヴィアじゃない。
そう思うのに、喉が引き連れたような、意味の無い音しか出てこない。
「さあ、さっさと連れて行って下さい。オリヴィア様のお目汚しになるわ。」
「エマっ、言いすぎよ?」
「いいんです。こういう子は、はっきり言わなきゃ伝わらないんです。フィリス、あんたもう一度エストアの土を踏めるとは思わない方がいいわよ。今後の事は、その騎士様にしっかりと頼んでおきましたからね。その腐った性根をしっかり叩きなおしてもらいなさい!」
両手を組んで鼻息を荒くするエマの言葉に、まるで地面にぽっかりと穴が開いたような恐怖が押し寄せてきた。
私はこのまま、連れて行かれるのだろうか?
マーサ達の無事も確かめられないまま、もう二度と会えないのだろうか?
それに・・・。
「・・・・・や・・・。」
脳裏に、ジルとの思い出が次々と浮かんで消えていった。
初めて会った時に、川に落ちた私に手を差し伸べてくれた事。城から追い出された私を、探して迎えに来てくれた事。ずっとそばにいて欲しいと、言われたときの事。
そして・・・。
「いやっ!私はどこにも行かないっ!!」
自分でも、驚くくらい大きな声が出た。
オリヴィアもエマも目をまるくして後ずさった。
「約束したのっ!」
また、二人で一緒に出かけようって、約束した。
「一緒にって、約束したっ!」
胸が熱くなって、苦しい。
「帰してっ!」
ジルにもう会えないなんて、考えたくない。
私が急にいなくなったら、きっとジルは悲しむ。そう想像しただけで、胸が張り裂けそうに痛い。
「そばに、いたいっ!」
どんな形でもいい、怖くても構わない。ただ、そばにいる事ができれば、それでいい。
・・・・・・・・・・ああ、分かった。
これがきっと・・・。
「私を、ジルの所へ帰してっ!!」
『愛しい』って事なんだ・・・・・。
「騒ぐな、騒々しい。おい、誰か口をふさぐものを・・・っ!?」
アルフの冷静な言葉を、今まで聞いた事の無いような生き物の声が遮った。
獰猛な肉食獣が敵を威嚇するかのような、大きくて低い、鋭い鳴き声。
驚いた馬達がいっせいにいななき、足を踏み鳴らす。
突風が吹き荒れ、ドシンと大きな音がした。
「うわぁっ!?」
「た、助けてくれっ!!」
完全に正気を失った馬達は四方に走り出し、何人かが落馬して体を地面に打ちつけた。
とかれた囲いの向こう側に見えた大きな黒いその姿に、視界が滲み出す。
「・・・ジル。」
どうして、とか、都合のいい夢じゃないか、とか・・・そんな事を頭の片隅で思いながら、ただ目の前に彼がいることが嬉しくて、切なくて・・・。
「ジルっ!」
思いに後を押されるように、駆け出した。