第48章 予兆2
ジルの様子がおかしい。
その事に気付いたのは、つい最近のことだった。
どこか疲れたような表情をしたり、溜息をついたりするようになった。
誰にだって悩みの一つや二つあるだろうとは思う。
ただ少なくとも、ジルのそんな様子は今まで見たことがなかった。
ジルはいつだって大人で、余裕があって・・・私はそれに安心して、甘えていた。
偉大な竜王であるジルが頭を悩ませるような事とは、一体どんな事なのだろうか?
私には、とても想像もつかないけど・・・。
きっと私なんかには話せないような事なのだろうし、聞いたところで力になれることもないのだろう。
ただ、ジルの辛そうな表情を見ると、胸が締め付けられるように苦しくなる。
私はジルにあんなにも助けてもらったのに、私にはジルを助けられない。それが、ひどくもどかしい。
甘えるばかりじゃなくて、私もジルのために何かしたい。
何でもいい。ほんの少しでも、負担を軽くする事ができたら・・・。
考えて考えて、一つだけ思いついた。
ジルの心の気掛かりを、一つだけ知っている。そしてそれを取り払う事ができるのは、私しかいない。
今ジルを苦しめている事とは関係なくても、少しでも負担を減らすことにはならないだろうか?
そう考えた私は、ある計画を実行するため、仕事が終わった後マーサの部屋を訪ねていた。
「珍しいわね、フィリスの方から遊びに来てくれるなんて。・・・何かあった?」
私は入れてもらった温かいお茶を一口飲んでから、用件を切り出した。
「あの、マーサに教えて欲しい事があって。休暇って、どうやってもらえばいいの?」
私の言葉に、マーサは一瞬目を丸くして固まった。
「・・・一体どうしたの?あ、別に全然いいんだけど、働き者のフィリスが自分から休暇を取りたいなんて言い出すの、初めてでしょう?」
働き者なんて言われると、なんだかくすぐったい。
故郷ではみんな休みなしで働くなんて当然だったし、そうしなければ生きていけないほど貧しい村だった。
だからこの城で働くようになってからも、これまで特に仕事を休みたいと思ったことはなかった。
「その様子じゃ、ジルとデートってわけでもなさそうね?」
「そ、そんなんじゃなくって!」
顔を赤くして否定する私を楽しそうに見て、マーサは私に事情を話すよう促した。
ジルとの事を知っているマーサになら、別に隠す必要もない。
私は、ここ数日ずっと考えていた事をマーサに話した。
「・・・それで、ジルに返事をしようと思うの。そういう事がなくても、いつまでも引き伸ばしていい話じゃないと思うし。私がはっきりしないと、ジルもいつまでも気にしていないといけないでしょう?」
「それって、ジルに告白された件よね?」
「うん・・・。」
受けるなら受ける、断るなら断るでちゃんと返事をしなくては、ジルは前に進めない。
返事は急がないと言ってくれたジルの言葉に甘えてここまで後回しにしてきたけれど、いい加減、答えを出すべきだ。
「でもまだ自分の気持ちが掴み切れてなくて・・・。その、け、結婚してる人は、みんなどんな気持ちで結婚を決めたのかなって思って・・・それで、話を聞きに行きたいの。」
どうにも恥ずかしくて、最後は消え入るような声になってしまった。
マーサはポカンとしていたけど、ふいにひらめいた様に笑顔になった。
「ああ、そういう事ね。分かった。・・・でも、確かに気になるわね。陛下がお悩みになるような、何か大きな問題でもあるのかしら・・・。」
「分からないけど、でも心配なの。最近よくお昼に食堂に来て、食事を取ってるみたいで・・・でもガントさんは、お昼はちゃんと別で食べてるって言うし・・・。ストレスが溜まってるからじゃないかと思って。それに仕事中もよくぼんやりしてるって聞いて・・・。」
このままじゃ、本当に体調を崩してしまうんじゃないだろうか。
そう考えると、不安で仕方がなくなるのだ。
「・・・ねえ、さっき溜息をついたり疲れた顔をしたりしてるって言ってたけど、それっていつの事?」
「いつって言うわけじゃなくて、私と話してるときは多分、気を使って普通にしてくれているんだと思う。でも、私が誰かに呼び止められて話しこんでいたりとか、そういう時に後ろから溜息が聞こえてきたりするから。」
ジルは優しいから、いつだって私を気遣って、悩みがあってもそれを私には気付かれないように振舞う。
それが、少し寂しいとも思う。
「それって・・・。」
マーサは驚いた表情で口元に手を当てると、突然両手で顔を隠して肩を小刻みに振るわせ始めた。
「マーサっ?ねえ、大丈夫?どうしたの?」
驚いた私は慌ててマーサに近づいて、震える両肩に手をのせた。
「ご、ごめんなさい、何でもないの。本当に気にしないで?」
どうしたのだろう?もしかして、そんなに深刻な事態なのだろうか?
ガントさんは何でもないような顔をしていたけど、私を心配させないようにわざと平気そうにしていたのだろうか?
「大丈夫よフィリス。きっと一時的なものよ。ジルの周りには有能な部下がたくさん付いてるんだし、そんなに心配しなくてもいいと思うわ。」
「それは、そうかも知れないけど・・・。」
「それよりも休暇よ!そういう理由なら、ジルに知られない方がいいでしょう?本当はこっそり行って帰ってくるのが一番だけど、毎日送り迎えしてもらってる以上秘密にっていうのは難しいかしら・・・。」
強引に話を変えたマーサは、何故か赤くなった顔をパタパタと手であおいだ。
さっきのマーサの様子はとても何でもないようには思えなかったけど、これ以上聞いてもはぐらかされるだけだろう。
気にはなるけど不安をなんとか押し込めて、休暇の事に意識を集中させた。
「理由は知られたくないんだけど、ハンナさんに会いに行くって言ったら大丈夫だと思う。
落ち着いたら、会いに行こうって話してたし。」
エリーやロンは元気にしているだろうか?
あれ以来会っていない私の事を、まだ覚えていてくれているだろうか。
彼らの事を思うと、急に懐かしい気持ちがこみ上げてきた。
「それじゃあジルが一緒について行っちゃうでしょう?他の理由を考えないと。・・・私と二人で買い物とか?・・・それでもついて来そうよね。」
ジルに隠し事をするのは気が引けるけど、マーサの言うとおり今回ばかりは正直に話すわけにはいかなかった。
結局いい案も浮かばないまま、時間だけが過ぎていった。
「・・・フィリス、この件、しばらく私が預かってもいいかしら?長くは待たせないようにするから、ね?」
「でも、マーサも忙しいでしょう?休暇申請の出し方だけ教えてもらえたら、あとは私が・・・。」
「大丈夫よ、大した手間じゃないもの。悪いようにはしないから、私に任せて?」
マーサにそこまで言われては、頷くしかなかった。
数日後、マーサは二人分の休暇届を申請してくれた。
休暇を取る予定の日は、ちょうどジルが仕事で城を空けるという事だった。
そんな情報を誰に聞いたのかたずねてみたけど、マーサは笑って教えてくれなかった。
マーサは当たり前のように自分の分も休暇を申請していた。
ハンナさんの家に一人で行くつもりだった私はそれを聞いて慌てたけど、どうせ道を覚えていないだろうからと言われて黙り込むしかなかった。
行きはどこをどう歩いたのか覚えていないし、帰りはジルの背中に乗って城に戻ったから。大まかな方角くらいしか分からない。
それらしい所まで行ければ、誰か一人くらいハンナさんの家を知っているだろう。
それに近くまで行けば、なんとなく分かるかもしれない。
なんて適当な事を考えていたので、正直に言えばマーサの申し出は本当にありがたいものだった。
最悪、道に迷って一日が終わったらどうしようかと思っていたのだ。
私が休みを取る事は、料理長だけに伝えておいた。
ポールはジルと仲がいいみたいだから、話さない方がいいだろう。
あの二人はどこか言葉以外の何かで通じ合ってるように見えて、ちょっと羨ましい。
きっとああいうのを、男同士の友情というのだろう。
休暇までの数日、私とジルはきごちない会話しかできなかった。
今までジルにどんな事でも話していたから、隠し事をするのはなんだか後ろめたい。
それに、隠さないといけないと思えば思うほど、普通の会話まで思うように出てこなくなってしまった。
ジルはそんな私を探るように見ていたけど、問い詰めるような事はしなかった。
「・・・フィリス、午後から仕事で明日まで留守にするんだ。俺がいない間、代わりにポールに送ってもらう事になってるから。」
ジルがそう言ったのは、休暇前日の朝の事だった。
「私、一人で帰れるから大丈夫だよ?」
これだけ毎日通っているのだから、今更迷子になったりしないだろう。
「俺が気になるんだ。明後日の朝には、またいつも通り迎えに行けるから。」
真剣な表情に、無意識に頷いていた。
ジルは心配しすぎだと思うけど、それでジルの気が済むのなら大人しく言う事を聞こうと思う。
「ジル、お仕事頑張ってね。」
そう言うと、ジルは柔らかな笑みを見せてくれた。