第4章 戸惑い (SIDEジル)
俺に手を引かれた少女は、物珍しそうにキョロキョロとあたりを見回していた。
時折人にぶつかりそうになるのを、肩を抱いて避けさせる。
フィリスはその度に俺を見上げてお礼を言ったが、すぐにその視線は街路に立ち並ぶ露店へと向けられた。
それも無理はない。ダーナのような辺境の村で育った彼女にとっては、見るもの全てがはじめてと言っていい。
親のいる子供なら街に遊びに連れてきてくれることもあるだろうが、フィリスの親は彼女がまだ小さな頃に事故で亡くなったらしい。
それにしても、髪を整えて着る服を変えただけで、ずいぶんと見違えた。
前髪で顔の半分を隠していたせいもあるだろう。
さっきは見てはいけないようなものを見る目でチラチラとフィリスを見ていた街の住人は、露店を食い入るように見る少女にまるで愛玩動物でも見るかの様な暖かい視線を向けている。
フィリスは決して美人ではないが、その他大勢の同世代の女の子達と比べても愛らしい顔立ちをしていた。
この小さな少女と出会ったのはつい昨日の事だった。
木の上で時間を潰していた俺は、フィリスが川岸に座り込んでいるのをぼんやりと眺めていた。
それは言ってみれば山や川を眺めるのと同じもので、景色としてしか認識していなかった。
けれど、小さな桶の水面に映し出されたフィリスの顔を見た瞬間、驚いた。
それも自分でも不可解なのだが、自分が何にそんなに驚いたのか、分からなかったのだ。
この広い大陸でも滅多に見る事のない緑色の目をしていたから?
いや、少ないだけで別にいないわけじゃない。
それとも、急に桶の中なんか覗き込んだから?
・・・そんな事でいちいち驚いていたら、うかうか外も出歩けない。
そんな事を考えている間に、フィリスはため息をついて立ち上がった。ここを立ち去るのだと思ったら、体が勝手に動いて気がついたら下に降りていた。
しかもフィリスはいきなり後ろに現れた俺に驚いて、川に落ちてしまった。
俺は、こんな華奢な幼い少女をうっかり川に落とすほど馬鹿だっただろうか?
自己嫌悪に陥りながらも手を差し出すと、フィリスは少しだけ警戒しながらも俺の手を取ってくれた。
魔術で服と体を乾かしてやると、頬を紅潮させて無邪気に笑顔を浮かべる。
その表情に嬉しくなった俺は、取り敢えず自分の妙な行動は後でゆっくり考える事にした。
フィリスは無口らしく、話しかけてもほとんど片言しか返してこない。返事が返ってくるのはまだいい方で、だいたいは小さく頷くくらいだ。
けれどフィリスが俺の方に興味を持って聞き耳を立てているのは明らかで、俺はいつもより饒舌になっていたと思う。
村の入り口に着くと、突然、近くにいた女がフィリスを見つけて叱りつけた。
確かに水汲みからなかなか帰らなかったのは事実だろう。それは間違いない。
俺は木の上からずっとフィリスを見ていたから、それは分かる。
けれど、理由も聞かず心配もせず、頭ごなしに怒鳴りつけるやり方に苛立ちを覚えた。
顔に貼り付けた笑顔でフィリスをかばうように弁護をするが、フィリスは無表情でさっと走り去ってしまった。
とっさに呼び止めたが聞こえなかったようで、俺は舌打ちした。
「すいませんねえ、あの子は親がいないから礼儀知らずなんですよ。」
こんな事は、田舎の方じゃざらにある。何もあの子だけがそういう扱いを受けているわけじゃない。
そう思うのに、こみ上げる怒りを抑えられなかった。
「そうですか。この村じゃ自分の子供以外は子供じゃないということですね。」
「えっ・・・?」
礼儀を教える親がいないのであれば、他の大人が教えればいい。
それを親がいないという一言で片付けるのは、大人としての役目を軽んじていることを自ら暴露しているようなものだ。
「仲間の所へ案内して頂けますか?」
これ以上話していたらまた余計な事を言いそうだ。そう思った俺は、早々に話しを切り上げることにした。
日が落ち始めると、村の広場で宴会が行なわれた。
おそらくこの日のために集めたのだろう大量の酒と、料理が振るまわれる。
村長夫妻も村の住人達もよほどオリヴィアが自慢のようで、俺たちはいい加減耳にタコができるくらい、彼女を誉めそやす言葉ばかりを聞かされた。
それにしても、フィリスはどこにいるのだろう?宴会にも出れず、裏方で働いているのだろうか?
チラチラとあたりを見回すが、やはり広場にはいない。
あたりの暗がりにも目を向けて・・・・やっと見つけた。
木の影からひょっこりと顔だけを出して、宴会の様子を眺めていた。
その様子がなんだか小リスのように愛らしくて、しばらく気付いていない振りをしてその姿を楽しんだ。
けれどやっぱり言葉を交わしたくなって、俺はフィリスに近付いた。
戸惑うフィリスに誤魔化すように世間話しだと納得させて、たわいのない話しをした。
辺りをはばかるような小声がどうしてか耳に心地よくて、もっと聞いていたいと思った。
そう思うのに、それはオリヴィアによって遮られてしまった。
この村に置いて行くフィリスの身を案じる姿は、使者達や村人達を感動させた。
フィリスの泣きながらの言葉もその感動を大きくした。
「・・・大した茶番だ。」
口から漏れた言葉を聞く者はいなかった。
本当にフィリスの身を案じるなら、それほど気を配る相手なら、何故あの子はあんな他の村の子が誰も着ていないようなボロを着ている?
何故、この広場に堂々と入ってこれない?
こんな大勢の前でなくとも、別れの挨拶なら明日でもできるはずだ。
この村に、彼女を残して行きたくない。ここは彼女の笑顔を奪う場所だ。
明日村を出る時に、一緒に彼女を連れて行こう。
成人するまでは孤児院で面倒を見てくれるはずだから、大きな街に着いたら信頼の出来る施設に連れて行けばいい。
こんな環境にいるより、よっぽどましだ。
けれど次の朝、俺が村長たちを前にして口から出たのは、その時考えてもいないものだった。
「フィリスを、オリヴィアさんの付き人に連れて行こうと思うのですが、いかがでしょう?貴族の娘であれば侍女を何人か連れてくるのが普通です。気心の知れた者がいなければ、慣れない帝都での暮らしは辛いでしょう。」
俺はそんな事を淀みなく言った自分に驚いた。
仲間もそんな俺を見てお互いに顔を見合せている。
「あの子はろくに仕事もできない子です。ついて行っては足でまといになるだけでしょう。」
村長は苦虫を潰したような顔でそう言った。
奥方は何故か顔を真っ赤にして、俯いている。
「あなたはいかがですか?」
本人の意思を確認しようとオリヴィアの方を見ると、こっちは無表情で「よろしくお願いします。」と頭を下げた。
内心ではどう思っているのか知らないが、昨日あんな茶番を演じた後でフィリスを連れて行くのは嫌だとは、とても言えないだろう。
本当は、街で働き口を紹介するとかなんとか適当な事を言って連れ出すつもりだったのだ。
けれどフィリスを付き人にという案は、考えてみればなかなかいい。
自分の膝下であれば一番安全安心だし、頻繁に様子を見る事だってできるだろう。
「それじゃあ、問題ないですね。」
そう言った途端、奥方が急に鬼の形相で立ち上がって部屋を出て行った。
何が起こったのか誰も分からずに某然とする中、ふと嫌な予感がして俺は奥方の後を追った。
悪い予感は的中した。
大きく振りかぶった手を捕まえて、俺はフィリスに詫びた。
フィリスに会ってから、俺はおかしい。
自分で自分が何を考えているのか分からない。
人が聞いたら本当に馬鹿にするだろうが、本当に分からなかった。
足音荒く奥方が出て行くのを見送って、俺はフィリスの部屋を見回した。
本当に何もない部屋だった。孤児院の大部屋だって、もう少し自分の物を置いているだろうに。
オリヴィアと一緒に帝都に行くという提案に、フィリスは最初は反対した。
それでも俺は諦めるつもりはなかった。
あくまでもフィリスの意思を尊重するような言い回しで、必ずうんと頷くように言葉巧みに誘導した。
なあ、フィリス・・・。あの時、俺は俺しか知らない理由でフィリスしか付き人にはしないと伝えた。
それは確かに俺にしか分からない理由でなのだけれど・・・。
本当は俺もよく分からないんだと教えたら、さすがに怒ってしまうだろうか?
「フィリス、ここが今日の宿だ。」
宿の扉を開けると、賑やかな声が聞こえてきた。
一階の食堂では女将が忙しく立ち回り、帝都から一緒に来た仲間が俺に気づいて手を振った。
活気付いた店内に、またフィリスの目がリスのように丸くなる。
今日何度も見たその表情にこっそり笑いながら、俺はフィリスの背中をそっと押した。