第42章 過去との決別1
花嫁探し中断の公布がなされた後、城の中の雰囲気は以前とはすっかり様子を変えてしまった。みんなどこか暗い顔で、不安を抱えているようだった。
恐らく、今は城だけではなく大陸中がこんな感じなのだろう。
それを思うと、ジルとの事を中途半端な状態のままにしている自分がとんでもなく自分勝手な女のように思えた。
「どうなるんだろうな、これから。」
厨房から一緒にゴミを運んでいたポールが、ポツリと呟いた。
何も言えずにポールを見ると、ポールは苦笑して笑顔を作った。
「まあ、俺達が考えたって仕方ないよな。陛下には何かお考えがあるんだろう。」
「そう、だね。」
私の落ち込んだ顔を見て何を思ったのか、ポールは私を励ますようにそう言った。
ゴミ捨て場にゴミを捨てて帰る途中、突然ポールが立ち止まって私を自分の背後に引っ張った。。
「どうしたの?」
ポールの後ろから顔だけを出して前を確認すると、遠くから一人の老人がふらふらと頼りない動作で歩いてくる所だった。
老人が近づくにつれ、その異様な風貌が目についた。
ローブのような服を着ていて、片方の手には杖を持っている。
肌は褐色というよりも泥色で、腰が曲がった状態でもジルと同じくらいの高さに見える。
横幅も大きく、まるで巨人のようだった。
老人が近づくと、ポールは私を後ろにしたまま脇に避けた。
そのまま通り過ぎるのかと思った老人は、私達の少し手前にまで来ると立ち止まった。
「こんにちは、緑の目をした小さき娘よ。こうしてまた会えるとは思わなかった。」
しわがれた声は優しくて、私は思わずポールの後ろから顔を出した。
わずかに開かれた目が、私をじっと見ていた。
「失礼ですが、あなたは?」
ポールの言葉にも老人は気分を害した様子もなく、しわしわの顔に笑顔らしきものを浮かべた。
「わしか?さて、名を言っても分かるまい。小さき娘よ。お前はわしを知らぬだろうが、わしはお前を知っている。お前も、お前の母も、祖母も、曾祖母も・・・わしはずっと見てきたのだから。」
特に害意がないと感じたのか、ポールは警戒しながらも表情をゆるめた。
「・・・よい顔になった。やはり、村を出たのは正解だったな。・・・わしらは寂しいがな。仕方あるまいよ。」
「あの、おじいさんはダーナの村の人ですか?お会いした事がないと思うんです。」
こんなにインパクトのある人なら、絶対忘れるはずがない。
でも、村にいはこんな老人はいなかった。そもそも、あの村でこんなに長寿な者はそうそう出ない。
「言っただろう?お前は知らぬと。だがわしは知っている。お前は祖母が死んでから、心から笑わなくなってしまった。哀れと思っていたが、何もできなかった。わしらには、ただ見ていることしかできんからな。」
この人は、一体どこで私達を見ていたというのだろう?『わしら』というのは、他の誰の事を言っているのだろうか。
「それにしても、めでたきことよな。人間は我らの事などおかまいなしじゃ。竜王様がこのまま人間どもを監視してくれれば、わしらも安泰というものじゃ。」
老人の言葉に、ポールが再び警戒を強くしたのを感じた。
「お、おじいさんは、人間じゃないんですか?」
恐る恐る問いかけると、老人は今にも咳き込みそうな声で笑った。
「その通りじゃ。それゆえ、わしらは人と話すことは簡単にはゆかぬ。小さき娘よ、こうして言葉を交わせて本当に嬉しいよ。人間は好かんが、優しい人間は別じゃ。」
そう言ってまた笑い声をあげた老人の後ろから、衛兵らしき男が走ってきた。
「おいっ、お前は何者だ!」
剣を抜いて老人を脅した彼は、老人を正面から見てわずかに怯んだ。
それを見て、思わず老人の前に飛び出した。
「あ、あのっ、怪しい人じゃありません!ごめんなさい、私の知り合いなんです!」
誰がどう見ても怪しい人だろうとは思うけど、悪い人ではないのは確かだ。
衛兵は不審な目を私にも向けたけど、知り合いだと言った事で少しほっとしたようだった。
「では、名と身分を証明するものを・・・。」
言いかけた衛兵の後ろから、バタバタと駆け足で女性が走ってきた。
旅装に身を包み、よほど急いで走ってきたのか後ろにまとめた髪がほつれていた。
「千客万来だな・・・。」
ポールが戸惑ったように呟いて、私を後ろに引っ張り戻した。
「・・・ジュリア様。いかがなさいましたか?」
衛兵にジュリアと呼ばれた女性は、何度か深呼吸をして息を整えてから老人を睨んだ。
「勝手に歩き回らないで!ごめんなさい、少し目を離したすきにいなくなってしまって。この人は私が連れてきたのよ。」
「えっ、そうなんですか?でもこの子が知り合いだって・・・。」
いっせいに向けられた視線に耐え切れず、つい下を向いてしまう。
そんな私の頭に、大きなしわくちゃの手が載せられた。
「ありがとう、小さき娘よ。お前は優しくて勇気がある、そういう所は母親とよく似ておるよ。・・・近いうちに、また会おう。」
そう言って老人は女性の方に歩いていった。
女性は目を丸くして私を見ていたけれど、ふっと息を吐くと表情を和らげた。
「とにかく、彼の身分は私が保証します。騒がせてしまってごめんなさい。あなた達ももう行っていいわよ。」
その言葉に、私とポールは慌てて頭を下げてその場を逃げるように去った。
すれ違う瞬間に見た老人はやっぱり笑顔を浮かべていて、私は目立たないように少しだけ手を振った。
いつものように私を迎えに来てくれたジルは、私が隣に立って歩き出すと何故か目を細めて私を見た。
「もう会ったのか。今日着いたばかりだというのに、早いな。」
「何のこと?」
「・・・少し、話そうか。」
ジルは私の手を取ると、いつもの帰り道と違う方に歩き出した。
立ち寄ったのは、以前にも連れてきてもらったことのある人気のない場所だった。
適当なところに腰を下ろすと、ジルは言いにくそうに口を開いた。
「今日、体の大きな老人に会っただろう?」
「・・・どうして、分かるの?」
「あれは、俺が頼んで来てもらったんだ。何か、話したか?」
ジルは私の質問には答えず、逆に私にそう問いかけた。
「少しだけ。私の事を知ってるって。あと・・・人間じゃないって言ってた。」
ジルは私の話に頷くと、私の頭をそっと撫でた。
「怖いか?」
その言葉に、私は頭を振った。
たとえ人間じゃなくても、あの人は私が村を出て行って寂しいと言ってくれた。
きっと、あの村でそう思ってくれたのはあの人だけだ。
といっても、いまいち村の人なのかどうなのか、よく分からないのだけれど。
私は、彼と交わした会話をジルに話した。
「あの人は、どういう人なの?どうしてここに?」
「それは、今は言えない。・・・実は彼の他にあと二人村から呼んでる者がいるんだ。まだ城には到着していないが・・・。」
ジルの言葉に頭の中に浮かび上がってきた人物に、自分の表情が一瞬で硬くなるのを感じた。
ダーナの村で今この城に関係のある者、それはごく限られてくる。
「そう、オリヴィアの両親だ。オリヴィアだけでなく、他の花嫁候補達の身内も城に呼んだ。こちらの勝手で途中で返すのだから、それなりの事はしないとな。・・・それで、謁見の時にはフィリスにも立ち会ってもらいたい。」
「・・・私、が?」
掠れた声が出て、手をぎゅっと握り締めた。
私の両親を追い詰めた彼らと会って、私は普通でいられるだろうか?
もう二度と、会わないと思っていたのに・・・。
「花嫁候補と来た侍女達は、原則として一緒に故郷に帰される。フィリスがここに残るためには、ちゃんとけじめを着けた方が良い。それに、問題を表面に出すためのいい機会でもある。辛いかもしれないが・・・なんとか耐えて欲しい。」
動揺に早くなる心臓を押さえながら、私は浅く呼吸を繰り返した。
・・・ジルが私や村のためにしてくれる事なのに、私が逃げ出すわけにはいかない。
声を出すと情けなく震えてしまいそうで、私は肯定の意を伝えるためにジルに頷いて見せた。
ジルはほっとしたように表情を緩めて、息を吐いた。
「ありがとう・・・大丈夫だ。俺がついてる。一応、筋書きを説明しておこう。」
「筋書き?」
首を傾げる私に、ジルは悪戯っ子のような笑みを浮かべて話し出した。
数日後、不安な気持を抱えたままその日はやってきた。
「大丈夫?朝ごはんもほとんど食べていなかったし・・・。私がそばにいてあげられたらいいんだけど・・・。」
オリヴィア達の謁見の日、朝早くからマーサが私の部屋に来て準備を手伝ってくれた。
侍女とはいえ、正式に謁見される者として王の前に出るのだから、多少は身なりを整えておかなければならない。
マーサは私の髪をとかすと、器用に後ろでまとめてくれた。
「ありがとう。でも、大丈夫。」
無理やり笑顔を作ると、マーサが余計に困ったような顔になってしまった。
ここ数日というもの、厨房でも注意力が散漫になって散々怒られてしまった。
ポールにもすごく心配をかけたし、なかなか平常心に戻れない自分が情けなかった。
ジルも私を見るたびに何か言いたそうだったけれど、敢えて今日の話には触れてはこなかった。
「謁見が終わったら、二人でゆっくりお茶しましょう?フィリスのために、おいしいお菓子を沢山用意しておくからね!」
「うん・・・ありがとう。」
情緒が不安定な私はそんな言葉にも泣きそうになったけど、マーサから視線をそらすことでなんとか持ちこたえた。
「・・・そろそろ行った方がいいわね。控えの間までは、一緒にいるから。」
自分の体が、自分のものじゃないような気がする。
緊張で手足は冷たいし、ふわふわしたような、重く沈みこむような、何とも言えない心地がした。
「フィリス、謁見の間に入ったら、案内の人と同じように跪くのよ?それから、陛下の許可があるまでは絶対に自分から話しては駄目。いい?分かった?」
コクコクと頷く私を心配そうに見るマーサを、まるで透明な壁の向こうにいるかのように見ていた。
控えの間には私一人で、オリヴィア達とは別の部屋を用意してくれたようだった。
扉をノックする音が、膜を張ったようにくぐもって聞こえる。
「そろそろ、お時間です。」
聞こえた声に立ち上がって、大きく深呼吸を繰り返した。
大丈夫。大丈夫。
・・・私は、一人で立ち向かうわけじゃない。
何度もそう言い聞かせながら、私は控えの間を後にした。