第41章 答え2
マーサが帰った後、ジルは私をベッドの上に座るように促した。
「椅子のひとつくらい、置いておけばよかったな。」
ベッドの端に腰掛けた私の隣に座って、ジルは申し訳なさそうにそう言った。
「この部屋だったら、どこに座っても大丈夫だよ?」
床の上も一面に柔らかな絨毯が敷き詰められているため、ずっと座っていてもお尻が痛くなる事はないだろう。
ジルはクスリと笑うと、私の手元を覗き込んだ。
「せっかく持ってきてくれたんだ。少しだけでも食べるか?」
バスケットを開けると、中にはおいしそうなサンドイッチが入っていた。
・・・私のために、わざわざ用意して持ってきてくれた。
そう思うと、胸がほんわり暖かくなる。
マーサは本当に優しい。マーサだけじゃなくて、リリィナも、ポールも、もちろんジルも。それから、私を助けてくれたハンナさんの家族も。
みんな、優しい。
困っていたら無条件に助けてくれて、なにも見返りを求めない。
それに比べて、自分はどうだろう?
村にいた頃の自分は、そんな風に人の事を思いやった事がないような気がする。
お腹を空かせた子供がいても、可哀想だと思わなかった。
だって、自分の方が空腹だから。
病気で辛そうにしている村人を見ても、何とかしてあげたいとは思わなかった。
だって、自分には何もできないから。
他人が言い争いをしていても、何かに困っていても、何も感じなかった。
私は私の事で精一杯で、他の人の事まで考えられなかったから。
・・・それは、きっと間違っていたのだ。
自分には何もできないから、自分は何も持っていないから。
それを理由にして、思いやるその気持すら見失っていた。
そしてそれは、私だけでなくきっと村のみんなが見失ってしまったもの。
だから、あの村には私のものは何もなかった。
与える事も、与えられる事もないあの村では、誰も何も持っていない。
さっき眠る前に考えていた事を、ふと思い出した。
あの村には、大切だと思えるものは何一つなかった。
でも、今は違う。帝都に来て、色んな人に会って、たくさんの優しい気持をもらったから。
家族はいないけれど、大切だと思える人たちがいる。
それはきっと、とても幸せな事なのだ。
「どうした?まだ、食欲ないか?」
サンドイッチの一つを手にして固まった私に、ジルが心配そうな声をかけた。
「・・・ちょっと、考え事。」
そう答えて、心配させないように急いでサンドイッチを口に運んだ。
「何を考えてた?」
「・・・私、村のみんなの事、冷たい人達だって思ってた。でも・・・」
言いよどんだ私を急かす事もなく、ジルは私の言葉をじっと待った。
それに励まされている気がして、先を続ける。
「私も、同じだったなって・・・。」
「どうして、そう思った?」
「えっと・・・。ずっと、誰も何もしてくれないって思ってたけど、私も誰かに何かしてあげようって思ったこと、なかったなって思って。」
穏やかな表情のまま私を見つめるジルを見て、私はさらに思いついたことを言ってみた。
「・・・もしかして、これがジルの言ってた問題なのかな?」
「もう少し、考えた事を詳しく聞いてもいいかな。」
「えっと・・・。」
考えをまとめるために時折黙り込む私を急かす事もなく、ジルは途中で口を挟む事なく真剣に話を聞いてくれた。
話を全て聞き終わると、ジルは満足そうに顔を綻ばせた。
「それだけ分かれば十分だ。よくそこまで考えられたな。」
そう言って、頭をくしゃくしゃと撫でられた。
それが何だかくすぐったくて、嬉しいような恥ずかしいような、変な気持だった。
「どうしてみんながそうなってしまったのか、分かるか?」
それは、やっぱりみんなが貧しいからではないだろうか?自分の事で精一杯で、他人にまで気を回せないから・・・。
でもそれじゃあ、他の貧しい村でも条件は同じだったはず。
答えを出せずに迷っていると、ジルはさっきと同じように私の頭を撫でて答えを教えてくれた。
「あの村は、土地も家も村長の持ち物だ。自分のものではないものに、人はそれほど関心を示さない。頑張って働いて土地を豊かにしたところで、最後に自分の手に残るものは何もないんだ。・・・そういう色々な不満が、人の心から前向きな気持を奪っていったんだろう。」
ジルの言葉が、分かったような分からないような・・・。
「じゃあ、これからどうすればいいの?」
どうすれば、その問題を解決できるのだろう?
「ここから先は、大人の仕事だ。大丈夫、ちゃんと解決させるよ。」
具体的には教えてくれなかったけれど、ジルが大丈夫だと言うと不思議と無条件に大丈夫だと思える。
ただ、一つだけ疑問が残った。
「・・・ねえジル、この話とオリヴィアの事と、どういう関係があるの?」
「言っただろ?フィリスが望めば、だよ。」
意味が分からず首を傾げる私に、ジルはそれ以上教えてくれる事はなかった。
それからサンドイッチを食べながら、ずっとオリヴィアと村の問題の関係について考えた。 でも考えても結局分からなくてしつこくジルに答えを迫ったけれど、はぐらかすばかりで教えてはくれなかった。
「本当に必要な事は、ちゃんと必要な時に自分で分かるようになってるんだよ。あまり頭でゴチャゴチャ考えたって仕方ないさ。」
食い下がる私にそう言って話を終わらせたジルは、食べ終わったバスケットを片付けると片手で私を抱き上げてベッドに横たえた。
「子供はしっかり寝ないと、大きくなれないぞ?」
「私、もう14だよ?」
「子供だよ。俺から見れば、な。」
そう言って悪戯っぽく笑った。
「・・・それ、ずるい。そんなの、ジルから見たら人間なんてみんな子供じゃない。・・・そういえば、ジルは何歳なの?」
確か現竜王の御世は二百年近く続いているのだから、当然それ以上は上という事になる。
「俺?俺は・・・もうすぐ三百歳くらいかな?年々、細かい数字は忘れてしまうな。正確な年齢は、城の記録を見れば分かると思うけど。」
「そ、そうなんだ。そんな風に見えないね。」
頭では分かっていたつもりだけど、実際の年齢を聞くとうろたえてしまう。
「そりゃあ、竜と人間じゃ元々の寿命が違うからな。」
竜族が長命なのは知っているけれど、実際どのくらいなのだろうか?
「じゃあ、竜は何歳くらいまで生きるの?」
「竜の中でも種族によって寿命が違うんだ。そうだな、短い者で七百年から八百年。長い者は五千年近く生きる。」
「五千年!?」
馴染みのない単位に、驚いて大きな声を出してしまった。
その長い年月を想像してみたけれど、とても想像しきれない。
「俺の種族は、大体三千年くらいは生きるかな。だから、三百歳だったらまだまだ若造なんだよ。」
三千年という事は、人間の三十倍以上は生きている事になる。
ただ人間が百歳まで生きられるのは稀だから、実際にはそれ以上だろう。
そうなると、竜族であるジルはほとんど母親と過ごす事ができなかったんじゃないだろうか?
長生きしたとしても、ジルが大人になる姿を見れたかどうか・・・。
「どうした?」
「ジルは・・・寂しくない?」
「寂しい?何故?」
「・・・人間の方が、早く死んじゃうでしょう?」
さすがに、無神経な質問だろうかと声がしりすぼみに細くなった。
ジルは私の髪に触れながら、少しだけ辛そうな笑顔を見せた。
「寂しくない、といえば嘘になる。けど、それは仕方のない事だと思う事にしてるんだ。」
自分に言い聞かせるような言い方に、胸が痛くなった。
私を好きだと言ってくれるジルは、私が死んだらどう思うのだろう?
こんな風に、仕方がないと言い聞かせて自分を納得させるのだろうか。
「・・・さあ、そろそろ眠ろう。」
ジルがサッと片手を上げると、部屋の照明がフッとかき消えた。
「ジル、私が寝るまでここにいてくれる?」
そう言うと、私の手が大きく暖かい手に包まれた感じがした。
「フィリスがそう望むなら・・・。」
今までずっと一人で眠っていたのに、どうしてこんな事を言ってしまうのだろう?
そんな事を考えながら、私はゆっくりと眠りに落ちていった。
夏のじっとりとした暑さがやわらぎはじめた頃、エストアから大陸中に布告が出された。
難しくて詳しい内容は理解できなかったけれど、マーサが要約してくれた内容はこうだった。
しばらく内政に集中するため、花嫁候補の選出を一時中止すること。
現在王都に集まった花嫁候補達は、当面故郷に返すこと。
花嫁探しを中断するという正式な公布はこれまでにないもので、大陸全土に大きな波紋を投げかけることになった。