第36章 護る者1
数日後、私はりんごの皮むきに挑戦していた。
このまま厨房で働く気なら、少しはできるようになった方が良い。
そう言って、料理人の一人が果物ナイフとりんごを数個渡してくれた。
「力を入れすぎなんだよ。肩の力を抜いて、もう少し軽く持て。ナイフの方を動かすんじゃなくて、りんごの方を動かすんだよ。」
私の隣では、ポールがじゃがいもの皮をむいている。
色々教えてはくれるけど、言葉では分かってもなかなか難しい。
「・・・頼むから、怪我しないでくれよ?」
心配を通りこして泣きそうな声にも聞こえるポールの言葉に、私は手を止めてポールを見た。
そんなに危なっかしいだろうか?
「ポール、そんなに心配しなくても大丈夫だよ?」
そこまで不器用ではないし、りんごの皮もだんだん薄くむけるようになってきた。
最初は正直皮を食べたほうが早いと笑われるほど分厚かったけど、3個目になってだいぶ実が残るようになってきた。
「ちょっとは信用してやれよ。なんでも練習しなきゃできねーし、包丁持ったばっかの頃は俺達だって手に生傷が絶えなかったもんだ。」
りんごを渡してくれた料理人が、呆れたようにポールに声をかけた。
「傷跡が残ったらどうするんだよ?」
「おまえなあ、例え親でも娘にそんな心配しないぞ?どこぞの貴族のご令嬢じゃあるまいし。」
普段大人っぽい感じのポールの思わぬ言葉に、料理人が思わずふきだした。
まだ何か言いたそうだったポールは、小声で何かを呟くとじゃがいもに視線を戻した。
「ありがとう、ポール。気をつけるね。」
「そうしてくれ。」
苦虫を噛み潰したような表情に首を傾げる。
その時、裏口の方から私を呼ぶ声がした。
「フィリス、お客さんが来てるぞ!」
思わずポールと一瞬顔を見合わせた。
まだお昼の忙しい時間がすぎたばかりで、ジルが迎えに来るには早すぎる。
不思議に思いながらも、手に持っていたりんごとナイフを置いて裏口に向かった。
外に立っていたのは、意外な人だった。
「こんにちは。」
「こ、こんにちは。」
笑顔でかけられた挨拶に、つられるように言葉を返した。
そこにいたのは、以前エルフリード王子からだと言って夏至祭の前に私にドレスを持ってきた女性だった。
その後ろには、剣を携えた若い騎士が厳しい表情で控えている。
「突然こんな所まで押しかけて、ごめんなさい。あなたにお願いがあって。・・・外に出てきてもらってもいいかしら?」
扉に手をかけたままだった私は、その言葉に戸惑いながらも外に出た。
「私達、明日の朝にここを発つの。それで、最後にエルフリード様に会ってもらいたくて。」
その名前に、夏至祭の時に感じた不快感を思い出して顔をしかめてしまった。
「もうこれで会えないんだし、最後くらい・・・何も、取って食おうってわけじゃないのよ?」
「あの、ごめんなさい。私・・・。」
とても会う気になんてなれない。会ったところで、お互い嫌な思いをするだけだ。
何とか断ろうと次の言葉をさがしていると、後ろにいた騎士が低い声を出した。
「勘違いするな。お前に拒否権は無い。王子にあれだけの無礼を働いておいて、まさかお咎めなしでいられるとは思っていないだろうな?」
片方の手を剣にかけて、騎士は詰め寄るように一歩私に近づいた。
ドクリと心臓が嫌な音を立てて、胸元にあるお守りを手の中に握りしめる。
手の中にジルの存在を感じた気がして、少しだけ勇気付けられた。
「私、行きません。」
情けなく震えた声で、それでもはっきりと答えると騎士の表情がいっそう厳しくなった。
「お前は、自分の立場というものが分かっていないようだな。」
「そうだぞフィリス、さっさと仕事に戻れよ。話なら仕事が終わってからにしろ。」
いつの間にか裏口に立っていたポールは、そう言って私と騎士の間に立った。
「すいませんがこっちも人が足りなくてね。仕事中に抜けさせるわけにはいかないんですよ。用があるなら、仕事が終わってからにしてもらえませんか。」
「関係の無いやつは黙っていてもらおうか。」
騎士が一歩前に出ると、ポールはフンと鼻で笑った。
「嫌がる子供を無理やり連れて行こうとするなんて、ずいぶん乱暴なんですね。」
「・・・言葉で言って分からなければ、仕方あるまい。」
そう言いながら近づく騎士に、ポールは私を庇いながら裏口の扉まで下がった。
「フィリス、中に入ってろ。ここは俺が何とかするから。」
小声で言うポールに、私は大きく頭を振った。
自分の事なのに、人に任せて逃げるなんて事は考えられない。
「お前に何かあったら、俺が困るんだよ。いいから行けって!」
本当に困ったようなポールには申し訳ないと思ったが、今度も頭を振った。
「心配なら、二人で一緒に来てくれてもいいのよ?」
取りなすように、それまで黙って様子を見ていた女性が声をかけた。
騎士の強引な態度には、彼女も戸惑っているようだった。
「連れて行って、どうするつもりですか?」
やや軟化した態度に、彼女は少しほっとして肩の力を抜いた。
「どうもしないわ。ただ、少しお話しをするだけよ。」
「なら尚更、急ぐ必要もないでしょう。夜また来てください。仕事が終わる時間になれば、俺も口は出しませんよ。」
「で、でもエルフリード様にもご都合があるのよ?」
「それはこっちも一緒です。もうすぐ夜の仕込みもある。」
これ以上は一切譲歩しないといったポールの様子に、騎士が舌打ちして口を開いた。
騎士が何かを言う前に、野太い低い声が私達の後ろから響いた。
「いい加減、戻れ。・・・あんたらもな。」
振り返ると、大柄な料理長が裏口を空けて私達を睨んでいた。
そのさらに後ろからも、料理人達が興味深そうにチラチラ外を覗き込んでいる。
「・・・では、お前の言葉通り夜になったらまた来よう。くれぐれも逃げようなどとは考えるなよ。」
「アルフっ!」
焦る彼女を目で制して、騎士は落ち着いた動作で歩いていった。
彼女も溜息をつくと、私達の方に軽く頭を下げて騎士を追いかけていった。
無言で厨房に戻ると、気遣わしげな視線が料理人たちから投げられた。
料理長は何も言わなかったが、大きな手で私の背中を軽く叩いてから仕事に戻っていった。
多分、気にするなという意味だと思う。
「・・・ポール、ありがとう。ごめんね?」
「気にするなよ。・・・何があったかは、俺も噂では聞いてる。けど、別に大騒ぎするほどの事じゃないさ。」
じゃあ、ポールは私が王子に何をしたか分かっていて助けてくれたのだ。
そう思うと、なおさら申し訳ない気がした。
皮むきを再開しようとして、それまでずっとお守りを握りしめていたことに気がついて苦笑した。
それにしても、夜また彼らが来たらどう言って断ればいいだろうか。
彼らが来る前に自分の部屋に戻ってしまいたいけど、途中で会ってしまう可能性もある。
「さっきの事、ちゃんとあの人に話しとけよ?」
私の手元をチラチラ見ながら、ポールが思い出したようにそう言った。
「あの人?」
「ほら、ジルさんだよ。話しておいた方がいい。」
「・・・そうだね。」
彼らがまた来るまでに、話す時間がないような気もするけど・・・。
「っ!」
色々考えながらやっていたのが悪かったのか、ナイフで指を切ってしまった。
流れてきた血をとっさに舐める私を見て、ポールが顔を真っ青にした。
「大丈夫かっ!?」
まるで大怪我でもしたような驚きぶりに、料理人たちも驚いて手を止めた。
ポールは私の手を奪うように手に取って傷口を確かめると、転げるように救急箱を取りにいった。
「・・・・・あいつ、過保護だな。」
ひょこりと私の手を覗き込んだ料理人と顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。
ジルが私を迎えに来たのは、いつもよりずいぶん早い時間だった。
「おい、今日はもうあがっていいぞ。」
まだ片付けが始まったばかりだったけど、料理長はいつものようにそう言った。
エプロンを外して裏口に行くと、何故かポールも一緒についてきた。
「俺も送るよ。・・・料理長には、ちゃんと許可取ってるから。」
そう言って私よりも先に外に出ると、あたりを警戒するように見回した。
そんなポールに、ジルは問いかけるように私を見た。
けれど私が何かを言う前に、ポールが私達の背中を押した。
「話は歩きながらにしよう。あいつらが来たら厄介だ。」