第35章 問い2
ジルが私に用意してくれた『人の目を気にしなくて済みそうな場所』とは、城の使用人たちのために用意された食堂の厨房だった。
夏至祭の時に訪れた貴人のための厨房とは異なり、人が一人簡単に入りそうな大きな鍋や釜が火にかけられている。
ほぼ常時火がたかれているせいか、夏でただでさえ暑いというのに、厨房の中はそれにも増して暑かった。
ここには何故か男性しかいなくて最初はそれが不思議だったが、その理由はすぐに分かった。
食材は毎朝新鮮なものが業者から送られてくるのだけど、その量も半端ではない。
これも子供が軽々入りそうな麻袋に一杯につめられていて、かなり重い。
持ち上げる時に気をつけないと、腰を痛めてしまう。
鍋に至っては私では持ち上げることすらままならなかった。
ここには確かに侍女たちは入ってこないし、男達も自分の仕事に真剣で噂話などしている暇もない様子だ。
ジルが私のために用意してくれた場所として私は納得したけれど、男達は私がここで働くことに不満があるようだった。
女で子供である私はとても力があるように見えないだろうし、包丁を持った事がないと言った時には本気で驚かれた。
その瞬間、私は確実に役立たずの烙印を押された。
でもなんと思われようと、私はここで頑張るしかない。
少しでも認められたくて、初日は皿洗いと荷物運びを中心に夢中で働いた。
仕事が終わる頃にはフラフラになって迎えに来てくれたジルを心配させたけれど、帰り際に男達が笑顔で『また明日』って言ってくれて、嬉しくて思いっきり手を振りかえした。
初日の頑張りが認められたのか、翌日からはそれなりの仕事をさせてもらえるようになった。
相変わらず包丁は使い物にならないので、今は厨房の外でトウモロコシの葉をむしっている。
その時の事を思い返してクスクスと笑う私を、向かい合って座る少年が不思議そうに見た。
癖のある銀の髪で顔にそばかすの多い彼は、ポールといって、私の一つ上の15才の少年だった。
ほっそりとしていても筋肉はしっかりついていて、よく喋る方ではないけれど気さくに話しかけてくれる。
「ポールは、私と同じ日にここに来たでしょう?」
「そうだね。」
「私、多分悔しかったの。」
「悔しかった?」
こんな事言われても困るかな、と思いつつ、先を続けた。
「同じ日にここに来たのに、みんなポールにばかり仕事を頼むから・・・負けたくないって思ったの。これって、嫉妬だよね?」
ポールは子供でも男の子で、力があって、刃物の扱いにも慣れているらしいし、当然即戦力として扱われた。
そんなの誰が考えても当たり前の事なのに、それが羨ましくて、ポールの事を理不尽に嫌な奴だと思いたくなった。
そんな自分の感情が新鮮で、どこかこそばゆいような気持ちにさせてくれた。
「フィリス、何か嬉しそうだね?」
「こういう事で嫉妬するって、なんか新鮮だなって思って。」
今までにも、誰かの事をうらやましいと思うことはたくさんあった。
でもそれは親がいる事とか、病気でも看病してくれる人がいるだとか、自分ではどうしようもない事が多かった。
そういう事ではなく、単純に負けたくないと思ったのはもしかしたら初めてかもしれない。
「普通、そこは隠すとこだと思うけど?フィリスって、ちょっと変わってるんだな。・・・つまりオレは、フィリスにとってライバルってわけだ?」
ライバルという言葉に、私の中にあった気持がストンと綺麗な形に収まった気がした。
「そうっ、それ!ライバル!」
嬉しくなって思わず立ち上がると、ポールはさらに変な顔になった。
「・・・ごめんね、迷惑だった?」
ポールの表情に落ち込んで元の場所に座ると、ポールは違うと頭を振った。
「ライバルがどうしてそんなに嬉しいのかなって、不思議に思っただけだよ。それにそういうのって別に自由に思ってていいと思うし、相手にいちいち迷惑とか聞かなくて大丈夫だよ。」
「そ、そう?ありがとう。今までそういう相手っていなかったから、なんか興奮しちゃって・・・ごめんね?」
「気にしてないよ。」
なんだか急に恥ずかしくなって、葉をむしる手を早めた。
「そういえば、ずっと聞いてみたかったんだけど・・・。」
しばらくお互い無言で作業を続けたけれど、ふと思い出したようにポールが顔を上げた。
「いつもフィリスを送り迎えしてるあの人って、フィリスの彼氏?」
「彼氏?」
「えっと、付き合ってるのかって事だよ。」
少し気まずそうに言葉を変えて聞き返すポールに、動揺して持っていたとうもろこしを落としてしまった。
慌てて拾い上げて、熱くなった頬を押さえる。
「あ、あの、付き合ってるわけじゃないんだけど・・・。」
厨房で働くようになってから4日経つけれど、ジルは毎朝私をここまで送ってくれて、帰りも厨房まで迎えに来てくれた。
ジルも忙しいだろうし、私なら一人で行き来できるから大丈夫だと言っても、俺がそうしたいだけだからと言って聞いてくれない。
私自身は毎日ジルと会えて、話ができて嬉しいけれど・・・。
「少なくとも、フィリスの気持だけは分かったよ。」
からかうように言われて、ますます赤くなった頬を隠すように下を向いた。
「どういう知り合いなの?」
「・・・・・私の、恩人なの。」
色々考えて、それだけを答えた。
経緯を話すと長くなるけれど、その一言で十分な気がした。
「そっか。」
ポールは、それ以上は深く聞いてこなかった。
夏至祭が終わってからは、部屋と厨房の間を往復するだけの毎日だった。
昨日はマーサが夜部屋を訪ねてくれて、お互いに色々近況を報告しあったりした。
マーサは私が厨房で働く事になった事を怒っていた。
厨房の仕事は重労働で、女の子が続けられる仕事じゃないと言われたけれど、私が不満を持っていない事を話すとしぶしぶ納得してくれた。
ジルが紹介してくれた仕事だし、私にできると思ったからそうしてくれたんだと思う。
そう言うと、マーサには何故か苦笑されたけど。
夏至祭のために城に逗留していた客達は、順次帰郷しているという。
昨日までに、半分くらいは出て行ったという話だった。
残念なことに、エルフリード王子はまだ城に残っているらしい。
オリヴィアは、最終日まで夏至祭に参加したという事だった。
何を聞かれても何も答えなかった事で、かえって噂は真実味をおびたという話だ。
もしかしたら嫌がらせをする人間も出てくるかも知れないから、くれぐれも注意して欲しい事、何かあったらすぐ教えて欲しいという事を言われた。
今の所誰からも何もされてはいないけど、ジルもそういう事を心配して送迎をしてくれているのかも知れなかった。
仕事が終わる時間になると、ジルが裏口にひょっこり現れる。
「おい、今日はもうあがっていいぞ。」
そうすると、日中必要最低限しか言葉を発しない料理長が私のところに来て、それだけを言って去っていくのだ。
「ちょっと待っててね。」
私は片付けていた食器の残りを急いで棚に入れ、エプロンを外した。
「おつかれさん。また明日な。」
挨拶をしてくれたポールと目が合った何人かに手を振って、待っていてくれたジルと一緒に厨房を出た。
「仲良くなったみたいだな。」
良かったなというように頭を撫でるジルに頷いて、今日ポールと話したことをジルに話した。
「だから、ポールは私のライバルなの。」
「なるほど。それは、いい事だな。」
前を歩いているジルから表情は読み取れないけれど、その声は嬉しそうだった。
「超えたいと思う相手がいるのは、いい事だ。自分を成長させるいい糧になる。」
他にもトマトの皮を火であぶってむいた話や、まかないの食事がおいしいというあんまり面白いとも思えない話を、ジルは嫌そうなそぶりも見せず時折相槌を打って聞いてくれる。
「・・・どうした?」
ふと黙り込んだ私を、ジルが歩きながら振り返った。
「私ばっかり話してて、つまらなくない?」
ジルは驚いた顔をして立ち止まった。
「フィリスが俺に自分の事を色々話してくれるのは嬉しいし、フィリスが楽しそうだと俺も楽しい。それに、一緒にいない時の様子も分かるしな。もっと話して欲しいと思っても、つまらないと思うことはない。」
笑顔でそう言われて、動揺してしまった。
言葉を返せなくて、ぎこちなく頷くだけになってしまう。
そんな私の手を取って、ジルはまた歩き出した。
「好きな相手の事を知りたいと思うのは、当然だろ?」
クスクスと笑うジルに、ドキドキするだけで何も言えなかった。
ジルはそういう事を言って、恥ずかしいと思う事はないのだろうか?
「問題の答えは出たか?」
固まる私を気遣ってくれたのか、ジルは話題を変えてくれた。
「考えてるんだけど・・・難しいね。貧しいってことじゃないんでしょう?」
「そうだな。貧しい地区は他にもある。・・・想像できないかも知れないが、この国ができたばかりの頃は、大陸中があの村のように貧しかった。ここまで豊かになるには、長い長い年月が必要だった。」
「大陸中が・・・。」
だとしたら、ダーナの村は何故貧しいままなのだろう?
土地が痩せているから?そもそも、人が住むのに適した場所じゃなかった?
「フィリスも、同じだよ。」
「私?」
意味が分からずたずね返しても、ジルは意味深に笑うばかりで答えてはくれなかった。