第34章 問い1
時折すれ違う人々が、私達を見ては戸惑ったように足を止める。
城の中で男女がこうして手を繋いで歩いている事自体珍しいのだろうし、ジルは人間の姿になっているからともかく、私は昨日の事で注目を集めている。
「ジル、手を放して?」
これだけ見通しのいい場所なら、ジルを見失うという事もない。
よどみなく歩を進める後姿に声をかけると、ジルは歩みは止めないまま振り返って不思議そうな顔をした。
それからふっと笑うと、私の手をしっかりと繋ぎなおした。
「気にするな。それより、昨日はよく眠れたか?」
「うん・・・。」
「そうか。それなら良かった。」
気にするなと言われても気になるのだけど・・・。
これほどあからさまに興味の目を向けられても平気なのは、ジルが人に注目される事に慣れているせいなのか、それとも私が小心者すぎるのだろうか?
何度か建物を通り抜けて出た場所は、何もない、草木が無造作に生えているだけの空間だった。
ジルは私の手を放すと、キョロキョロとあたりを見回した。
「座れそうな場所がないな・・・。」
「あの木の下は?」
別に私は立ったままでも平気だけど、ジルは座りたいのかも知れない。
そう思って私が指差した先は、大きな木の根元だった。
地上に張り出した根の上なら、地べたに直に座るよりは座り心地がいいだろう。
ジルは頷くと、私を先に座らせて向かい合うように根元に座った。
改めてジルの顔を見ると、昨夜の事を思い出して緊張して落ち着かなくなってしまう。
オドオドと視線をさ迷わせる私に、ジルは困ったように苦笑を浮かべた。
「・・・困らせたかったわけじゃないんだ。昨日みたいな事がなければ、もっと時間をかけて気持を伝えようと思ってた。フィリスが俺の事をそういう目で見られないのなら、今はそれでもいい。ただ、嫌わないでいて欲しいんだ。フィリスに距離を置かれるのは、正直きついから。」
苦しそうなジルに、私は胸が締め付けられるように痛んだ。
「ジルを嫌う事なんてないっ、私は・・・。」
私も、ジルの事が好きだから。
そう続けようとして、言葉を詰まらせた。
それを伝えるという事は、ジルの気持を受け入れるという事だ。でも、それは怖い。
好きなのに、ジルの気持は受け入れられない。
自分でも理解できないこの矛盾した気持ちは、ジルを困らせるだけだろう。
気詰まりな沈黙がしばらく続いた後、ジルが気分を変えるように大きく息を吐いた。
「その言葉だけで十分だよ。昨日も言った通り、返事は急がない。ゆっくり考えて欲しいし、いい答えをもらえるように俺も頑張るから。」
何を頑張るのだろうと思いながらも、少し浮上したジルの表情にほっとした私は、とりあえず頷いておいた。
「それで、今後のことなんだが・・・。」
真剣な表情になったジルに、私も思わず姿勢を正した。
「夏至祭が終わり次第、花嫁候補達を郷里に帰す事を公表しようと思う。ただ、フィリスの事はちゃんと伏せておくから心配しなくていい。混乱が起きないよう、花嫁探しは取り合えず1、2年の間凍結という形になる。」
竜王が花嫁探しをやめるということは、盟約が終わるのではないかという不安を人々に抱かせる。
そうなれば、大陸中が混乱の渦に巻き込まれるのは私でも想像できた。
私が理解したのを確認して、ジルは話を続けた。
「オリヴィアももちろん、村に返す。・・・ただ、自分がした事の責任は取ってもらう。」
苦虫を噛み潰したような顔に、不安が染みのように広がっていった。
「彼女は、城の規則を破った。虚言で人心を惑わし、よりによって公式の場で竜王に対して偽りの証言を行った。何もなかったことにはできない。」
そう言って、ジルはオリヴィアが謁見の間に来た事を話してくれた。
少し歯切れが悪いのは、私を気にしてくれているからだろう。
オリヴィアが話したという内容に、私は今更傷ついたりはしなかった。どちらかと言えば、彼女ならそのくらいは言うだろうという納得の気持ちの方が大きい。
「オリヴィアは、どうなるの?」
城の規則を破った事はともかく、虚言と言ってもせいぜい私の事である事ない事を話しただけだし、それほど大きな罪になるとも思えなかった。
「もちろん、牢に入れられたりするわけじゃないさ。・・・フィリス、嫌な思いをさせてしまうかも知れないが、俺を信じてくれないか?」
ジル以上に信じられる人なんて、どこにもいない。そう思っても、不安は消えなかった。
私はオリヴィアを決して許せない。けれど、オリヴィアに仕返しがしたいとも思っていないのだ。
頷けないでいる私に、ジルは話を続けた。
「この際だから、もっと根本的な問題も表に引き出そうと思ってる。だから、俺に任せて欲しい。」
「問題?」
「そうだ。あの村の、もっと根底にある問題だよ。フィリスなら、もう分かるんじゃないか?」
そう言われて考えてみたが、よく分からなかった。
思いつく問題といえば、土地が痩せていて暮らしに困る所だろうか。
「ヒントを言おうか。それはあの村にはあって、この帝都にはないものだ。」
村にあって、帝都にない?
確かに帝都には貧しさという問題はないけれど、それは帝都が物や人が集まる場所で、潤っているからだ。
でも、ジルが言いたいのは多分そんな事ではないのだろう。
「中にいては分からないことも、外に出れば分かる事もある。答えが分かれば、オリヴィアの責を軽くする事もできるだろう。それをフィリスが望めば、な。」
意味深にそう言って、ジルは笑みを浮かべた。
「・・・答えは教えてくれないの?」
「俺は、フィリスを信じている。だから、教えない。」
何故か嬉しそうに言われて、頬が熱くなった。
「あと、フィリスの持ち場も変えようと思ってる。今の場所は、この状況では誰にとっても良くない。あの王子もまだしばらくは城にいるし、極力目の届かない所にいた方がいいだろう。」
「ジル、その事なんだけど・・・私、やっぱりお城の外で働いた方がいいんじゃないかな?今のままじゃ、迷惑をかけることしかできないし・・・。」
仕事ができるとかできないとか、それ以前の問題でみんなを困らせてしまう。
特にマーサやリリィナを苦しめてしまうことが、私には辛かった。
「・・・フィリス、それはできない。」
ジルは私の言葉に一瞬驚いた顔をして、そう言った。
「城の外では安全を保障できない。昨日俺が広間から連れ出したせいで、フィリスは今注目を集めてる。どこで誰に目をつけられるか分からない。・・・帝都には色んな人種が集まるが、フィリスのような瞳の色を持つものはそうはいない。知るものがいれば、すぐに分かるだろう。」
申し訳なさそうに言うジルに、何と言葉を返していいのか分からなかった。
「自由を奪うような事になって、本当にすまないと思ってる。」
その言葉に、私は大きく頭を振った。
「私のために、そうしてくれたんでしょう?」
「いや、俺が我慢できなかったんだ。俺が動けばこうなることは分かっていたが、どうしても動かずにいられなかった。だから、これは俺の我侭のせいだ。仲裁するだけなら、他の誰かに頼んでもよかったんだから。」
それは、それだけ私の事を思ってくれてるという事だろうか?そう考えると、嬉しいような恥ずかしいような、いたたまれない気持にさせられた。
「でも私もジルが来てくれて嬉しかったし、本当にそんな事気にしないで?それに、お城で働くのが嫌なわけじゃないから。」
ただみんなに余計な迷惑をかけたくないと思うだけで、お城で働く事自体は全然嫌じゃない。
「フィリス・・・。」
「それで、私はどこで働けばいいの?」
ジルは苦笑して、息を吐いた。
「・・・一番、人の目を気にしなくて済みそうな場所だよ。」
首を傾げる私に、ジルはやっといつもの笑顔を見せてくれた。
「今日明日はみんな余裕もないだろうから、夏至祭が終わり次第連れて行くよ。」
それから、ジルは部屋まで私を送ってくれた。
「もっとゆっくりできたらいいんだけど、いい加減仕事に戻るよ。時間が空いたら、必ず会いに来るから。」
「ありがとう。でも、無理しないでね?」
ジルは最後に私の頭を撫でると、どこか名残惜しそうに来た道を戻って行った。
結局残りの夏至祭の間、マーサの勧めもあって私は自室に引きこもる事にした。
今となっては、それが唯一私にできる事だった。
その間、私はジルが言った言葉の意味を考えていた。
・・・中にいては分からないことも、外にいれば分かる事もある。
ジルはそう言っていた。
それはつまり、ジルの言う問題とは村にいては気がつかないような事なのだろう。
帝都と言っても私も詳しく知っているわけではないけれど、帝都にあって村にはないものならいくらでも思いつくのに、その逆だと想像もつかなかった。
ジルは答えがわかれば、オリヴィアの責が軽くなるとも言っていた。
問題は、オリヴィアに関係することなのだろうか?
例えそれが分かったとして、私はそれを望むのだろうか・・・。
どれだけ考えても、その答えは出なかった。