第33章 決意2(SIDEジル)
朝早くから、謁見を求めてやってくる客が途絶える事無くやってくる。
夏至祭の前後は城への滞在を許されているとはいえ、全ての客人と会うにはあまりにも短い期間だ。
頭では分かっているものの、一番会いたい者には会いに行けず、どうでもいい者ばかりが会いにくるこの状況には正直うんざりさせられる。
予定されている人数を早くこなしたくて最低限の受け答えで済ませる俺に、コンラートはいつもと違って不満をもらすことはなかった。
勘のいいコンラートは、昨夜からの俺の沈んだ様子に何か思う所があるのだろう。
午前中の予定をいつもの倍くらいの速さでこなし、もういいだろうとコンラートの方を見ると、コンラートは頷いて謁見の間の扉を閉めさせた。
「午後の謁見の開始時間を一刻ほどずらしておきます。それまでご自由にお休みください。」
「すまない。感謝する。」
挨拶もそこそこに椅子から立ち上がった俺は、閉めたはずの扉がきしむ音に動きかけた足を止めた。
衛兵は少しだけ開けた扉の向こうにいる誰かと何事かを話した後、慌てたように小走りに俺の前まで来て跪いた。
「どうした?」
衛兵は返事をすると、戸惑ったような声で来客を告げた。
「・・・あの、オリヴィア様がこちらに・・・その、どうしても陛下に直接お話ししたいことがあるとのことでして・・・。」
「オリヴィアが?」
「は、はい。」
予想もしなかった名前に二の句を告げられずにいる俺の隣で、コンラートが険しい声を上げた。
「もうこっちに来ているのか?一人で?」
叱責するような声音に、衛兵がビクリと体を竦ませる。
「はっ、いえ、侍女が一人と、離宮の衛兵二人が供に付いているようです!」
焦ったように答える衛兵の顔色は悪く、可哀想になってくる。
「許可もなく勝手に離宮を離れるなど、何を考えているのだ!まして、陛下への謁見を申請もせず、いきなり会いにくるとは!」
コンラートが怒るのも無理はない。
竜王への謁見は、通常であれば申請してから許可が下りるまで早くても半月はかかる。
もちろん緊急性や重要度、相手にもよるが、いきなり来ていきなり会えるのは各国の王や王族くらいなものだ。
それに花嫁候補に許された城の中の移動は、与えられた離宮とその庭園だけで、それ以外には正式な申請や特別な許可がなければ許されない事になっている。
「しかし、その、どうしても、と申されておりまして、その、とても深刻なご様子ですが・・・。」
さらに何か言い募ろうとしたコンラートを手で制して、俺は素早く考えをめぐらせた。
ここで追い返すことは容易い。忙しいと、一言伝えて戻らせれば済む話だ。
しかし、その話の内容には恐らくフィリスが関わっている。
だとすれば、単純に無視するわけにもいかないだろう。
「構わない、通してくれ。」
立ち上がったばかりの椅子に腰を下ろしてそう伝えると、衛兵は明らかにほっとしたように返事をして扉へと向かった。
「よろしいのですか?」
「せめて明日にして欲しかったが、仕方ないさ。」
再び開かれた扉から、緊張した面持ちのオリヴィアがゆっくりと前に進み出た。
扉の向こうに控えているのは、昨日フィリスにかみついたエマという侍女と、見覚えのある女の衛兵二人だ。
確か、フィリスを城から追い出した連中だ。
顔ぶれからしてろくでもないが、これから聞かされる話はきっともっとろくでもないのだろう。
そう思うと気が重くなる。
俺の前に跪いたオリヴィアに顔を上げるよう声を掛けると、オリヴィアはその目に強い決意をにじませて俺をまっすぐに見上げた。
「こんな所まで、わざわざ何のご用かな?」
表情だけはなんとか笑顔を保ったが、多少言い方が嫌味っぽくなるのは仕方のないことだ。
しかし、オリヴィアに怯んだ様子はなかった。
「陛下、このようなご無礼をどうかお許しください。ですが、どうしても陛下に知って頂きたいことがあるのです。」
「許可もなくここまでやってきたのだから、相当な覚悟の上だろう。言ってみなさい。」
先を促すと、オリヴィアはごくりと息を飲んで話を続けた。
「まず、昨夜の事をお詫びいたします、陛下。あのような醜態をお見せして、本当になんとお詫びをすればよいか・・・あの侍女は、フィリスは私と姉妹のように育った大切な家族なのです。」
真摯な声音に、吐きそうになる。
この娘は平和な辺境の農村で育ったというのに、こうも完璧な演技で人をだませるのだ。普通の人間であれば、この演技を見抜ける者などそうそういないだろう。
「あの子は親を早くに亡くして・・・きっと、寂しかったのでしょう。昔から、嘘を付いたり人の物を盗んだりすることが多くて・・・。」
そう言って、オリヴィアははっとしたように視線をさ迷わせて口元に手を当てた。
予想通りのくだらない内容に、怒りを見せないようにするだけで精一杯だ。
この娘は、こうしてフィリスをいつも孤立させてきたのだ。
「あ、あの、とにかくあの子は寂しいのです。だから私にもあんな・・・。」
「あの娘はあなたに暴力を振るって城を出されたと、今朝から城の中で噂が出回っているようですね。」
言いにくそうにするオリヴィアの言葉を補足するように、コンラートが口を出した。
その内容に、俺は一瞬眉を潜めた。
知っていて何故報告しなかったのかとコンラートを睨むと、コンラートは困ったように肩をすくめた。
「噂というものは、へたに消そうとするとさらに炎上するものです。」
俺にだけ聞こえるように小声でそう言って、コンラートはオリヴィアのほうに顔を戻した。
「そんな風にしか、まだ自分を上手く表現できないのです。まだ子供だから・・・。」
涙すら浮かべてみせるオリヴィアに、俺の怒りは限界に近くなってきていた。
「ですから陛下、どうかあの子をお許しください。そしてもしあの子が陛下に何か嘘を付いてしまっていたとしても、寛大なお気持ちで見逃して頂きたいのです。」
とうとう頬を伝った涙に、自分の中のどこかでプツリと何かが切れるような音がした。
「さて、これといって何か言われた心当たりもないが・・・あなたの言いたい事は分かった。」
冷たくなっていく心とは別に、表情は勝手に笑顔をかたどる。
それを見たオリヴィアが、頬を染めて満面の笑みを浮かべた。
「あ、ありがとうございます、陛下!」
「あの娘はよく嘘を付くという事だが、あなたの言った言葉は全て事実であり、真実であると思っていいのだろうか?」
言われた意味が分からないのか、オリヴィアは戸惑ったように首をかしげた。
「誰かが嘘つきだ、という嘘を付く嘘つきも世の中にはいるという事だ。もし万が一あなたがそうであるなら、今すぐに撤回することをお勧めする。そうすればたちの悪い冗談として忘れよう。」
これは、俺がオリヴィアに与えた最後の温情だ。
嘘を認めるのなら冗談として見逃してやる。だが、それでもそれをつき通すというのなら容赦はしない。
フィリスを愛する者として、そして竜王としても、寛大な処置をしてやるわけにはいかなかった。
少しだけ威圧感を込めたそれに、オリヴィアは恐れるような表情を見せた。
けれどそれもほんの一瞬で、すぐに真摯な表情に戻った。
「・・・このような事で、嘘などつきません!私は、私は・・・ただ、あの子の事が大切なのです!あの子がっ・・・。」
やはり、駄目か・・・。
「・・・疑うような事を言ってすまなかった。こういう華やかな世界ではそういう狡猾な者が多いからな。あなたの言い分は十分に理解した。安心して部屋に戻りなさい。」
衛兵に目配せをすると、駆け寄ってきた彼らはオリヴィアを優しく立ち上がらせて扉へと送っていった。
「陛下・・・・・。」
「ああもはっきりと嘘をつかれては、黙って村に返してやることもできない。コンラート、くだらない仕事だが頼まれてくれるか?」
「どのような事でも、喜んで。」
こんなやり方は、フィリスはきっと望まないだろう。
それでも、やるしかない。
穏便に済ませる道を用意していたのに、それをオリヴィア自身が塞いでしまった。
「嫌われるかな・・・」
思わず声に出た言葉に、コンラートは笑いを含んだ声で応えた。
「さあ、どうでしょうか。ですが、必要である事なら仕方がないでしょう。素直な子ですから、きちんと説明すれば大丈夫ですよ。」
その言葉に少しだけ浮上して、今度こそ俺はフィリスに会うために椅子から立ち上がった。
フィリスに渡したお守りの気配をたどって休憩室の扉の前まで来たものの、中にはフィリスとマーサ以外の気配もあって入るのをためらってしまう。
様子をうかがおうと外から回り込んで、窓の近くに立ってからふっと溜息を付いた。
・・・一体、俺は何をしているんだろう。
こんな風にフィリスを付け回して、隠れてこっそり覗き込むなんてまるで変質者だ。
壁にもたれかかると、聞くともなしに自然と中の声が聞こえてくる。
普通の人間であればしっかりと閉められた窓の向こうの会話など聞こえないものだが、犬よりも優れた聴覚を持つ竜族にとって、人間が作った薄いガラス一枚など何の隔たりにもならない。
もれ聞こえてくる会話を聞いているうちに、苛々とささくれだっていた心が次第に癒されていく。
オリヴィアのように平気で嘘をつける人間もいれば、マーサやこのリリィナという侍女のようにあくまでも誠実であろうとする人間もいる。
時々人間の愚かさが本気で嫌になる時もあるが、それでも完全に突き放す事ができないのは、全ての人間が愚かなのではないと知っているからだ。
話が俺との事に移ってフィリスが困ったような気配を見せたので、そろそろいいかと窓を叩いて注意を促した。
フィリスが少しだけ開けた窓を、マーサが大きく開いてくれた。
「しばらく借りて行ってもいいかな?」
一応上司兼保護者でもあるマーサに断りを入れると、マーサは分かるか分からないかくらい安心したような表情を見せて、軽口をたたいた。
「いいけど、慎重にあつかってよね。」
「分かった。」
態度も表情も身近な知り合いに向けるそれで、そのそつのなさにはいつもながら感心させられる。
コンラートの所で働けば、意外と才能を発揮するんじゃないだろうか。
そんな事を考えながら、戸惑っているフィリスの前に立ってそっと部屋から抱き上げた。
「部屋まで送ってくれるなら、私のところまで返却しに来なくていいから。」
「了解。」
恐らく少しでもゆっくり話せるようにと考えて言ってくれたのであろう言葉に感謝して、俺は返事を返した。