第31章 迷い1
村で冷たくされていた私を、オリヴィアがいつも助けてくれたこと。
でもそれが全て、自分を良く見せるための嘘だったこと。
両親の死に、オリヴィアとオリヴィアの父親が関わっていたこと。
上手くまとめられず思いつくままに言葉を重ねる私の話は、相当分かりづらいものだったと思う。
それでもマーサは途中で口を挟むこともせず、じっと耳を傾けてくれた。
長い話が終わると、マーサは目を潤ませて私の頭を抱え込むように抱きしめた。
「ありがとう、フィリス。話してくれて、本当に嬉しい。」
しばらくそうしていた後、マーサは私の体を離して笑みを浮かべた。
「色々嫌な事も言われるかも知れないけど、私がついてるからね!それに、ジルもちゃんと守ってくれるだろうし。」
マーサの言葉で急に昨日の夜のことを思い出した私は、顔に集まる熱をごまかすように、両手で頬を押さえた。
「どうかした?」
「えっ?あ、えっと、何でもないの!ごめんなさい。」
手をパタパタと振って、自分でも何を言ってるのか分からないままつい謝ってしまった。
マーサはきょとんとした目で私を見て、何か思い当たったのか意味深な笑みを浮かべた。
「もしかして、ジルに何か言われた?」
「う、うん、何か、言われた・・・。」
言われた言葉と一緒に唇の感触まで思い出してしまって、もうどうしようもなかった。
何というか、とにかく恥ずかしい。穴があったら入りたいくらいだ。
「ふうん。ジルもやっと動いたのね。見ていてじれったいのよ、あなた達。」
「・・・それって、マーサは、その・・・知ってたの?」
「はたから見てれば誰だって分かるわよ。ジルがあなたを見る目は、最初から特別だったもの。それで、なんて言われたの?」
最初からって、いつからのことなんだろう?私はそばにいても全然分からなかった。
マーサが鋭いだけなんじゃないだろうか?
ジルの言葉を私の口から繰り返すのはもう拷問にも近いものがあったけれど、キラキラと目を輝かせたマーサを前に、覚悟を決めた。
「あの、離宮を解体するって・・・それで、私を・・・その、えっと・・・そばにいて欲しいって・・」
どうしても決定的な一言を言葉にできず、曖昧にぼやかしてしまった。
でも、マーサにはそれで十分伝わったようだった。
「・・・そっか。それで、フィリスは何て返したの?」
「何て言っていいか分からなくて・・・ジルも、返事はまだいいって言ってくれたから。」
戸惑った私の顔を見て何かを感じ取ったのか、マーサは笑みを消して表情を曇らせた。
「フィリス?」
自分でもよく分からないこの気持ちを、なんて説明すればいいだろう。
「嬉しいのに、怖いの。どうしてかな?私・・・」
ジルの事が本当に好きなのに。
どうして、こんなに不安な気持ちになるんだろう。
「・・・ジルが竜王様だったから?」
遠慮がちに問いかけられた言葉を、自分の中で繰り返してみる。
それは、もちろんそうだ。私のようなちっぽけな人間が偉大な竜王と・・・なんて、考えただけでも気が遠くなりそうだった。
でも、それだけじゃないような気がした。
ジルがもし竜王じゃなかったとしても、この気持ちは消えない気がする。
「それもあるけど、多分それだけじゃないと思う。」
「じゃあ、やっぱりジルが人間じゃないから?」
それにも、頭を振って答えた。
「多分、違うと思う。」
どんな姿であっても、ジルはジルだ。竜の姿を見ても、私の気持ちは少しも変わらなかった。
「・・・・・・あんまり考え込まない方がいいわ、フィリス。ただでさえオリヴィアの事もあるんだし。返事、急がされてないんでしょう?そのうち自然に答えが出るかも知れないし、ね?」
「うん・・・。」
「ごめんね?私も、変な事聞いちゃって。」
気まずそうなマーサに頭を振って、笑みを返した。
「色々聞いてもらって、ちょっと気が楽になったから。ありがとう、マーサ。」
私がそう言うと、マーサも安心したように笑顔を返してくれた。
午後からは、マーサと一緒に仕事に入った。
色々想像して覚悟もしていたけれど、想像していたような罵詈雑言は耳に入ってこなかった。
ただあからさまに好奇の視線を感じたり、近くを通り過ぎた後にコソコソとした話し声が聞こえてくる事が多かった。
村の人たちのようにはっきりとした言葉を投げつけられるのも辛かったけれど、こうして何を言われているのか分からない状況も結構辛い。
何をしていても、どこからか誰かに見られているようで、落ち着かない。
「フィリス!体調不良って聞いたけど、もう出てきて大丈夫なの?」
明るい声に振り返ると、リリィナが小走りに駆け寄ってきた。
リリィナは周りをキョロキョロと見回すと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「手伝ってもらってもいいかしら?もし良かったらマーサも一緒に。」
「ええ、もちろん。」
マーサとリリィナは、視線を合わせるとお互いに意味深な笑みを浮かべた。
リリィナが私達を連れてきたのは、大広間の近くにある来客用の休憩室だった。
少し広めのその部屋には各所にソファーが配置され、客人がくつろげるようになっていた。
リリィナは私達を部屋に入れると、すぐに扉を閉めた。
「ここならあんまり人が来ないから。」
小声でそう言いながら、私とマーサに雑巾を持たせた。
「もうほとんど終わってるんだけど、誰かが急に入ってきたら困るからね。」
そう言って、私に近くの窓を拭くように指示した。
どうして誰か入ってきたら困るのだろうか?
「つまり、内緒話ってことよ。」
マーサが困惑する私に説明してくれた。
「私は昨日事件があった時に広間にいなかったから、人づてにしか知らないんだけど・・・。」
リリィナは言いにくそうに言いよどんだけれど、私の顔を見て話を続けた。
「フィリスはオリヴィア様が連れてきた侍女だったけど、オリヴィア様に乱暴な事をして任を解かれたって・・・。それなのに平気で城で働いてるなんて信じられないって、みんな話してる・・・フィリス、本当なの?私は正直、信じられないんだけど・・・。」
リリィナの話を聞いて、私は自然と笑みが浮かんだ。
ただ、嬉しかった。
私を信じようとしてくている事が。
周りの目だって気になるだろうに、そんな噂が流れている中で私に話しかけてきてくれた。自分だって、冷たい目で見られるかも知れないのに。
「それは、本当なの。私はオリヴィアを叩いて、城を追い出された・・・・・・その後ある人が、ここの仕事を紹介してくれて・・・。」
リリィナは、信じられないというように目を大きく見開いた。
「どうしてって、聞いてもいいかしら?」
心配そうなマーサに大丈夫というように頷いて、リリィナに答えた。
「それは、何も聞いてないの?」
「仕事の事で注意を受けて、腹を立てたんだって聞いてるけど・・・私は、あなたの口からちゃんと聞きたいのよ。」
「・・・ありがとう、リリィナ。注意を受けてっていうのは違うけど、でも、腹を立てたのは本当。どうしても、我慢できなかった。」
そこまで言って、私は言葉を止めた。
全てを話せば、リリィナもマーサと同じく私の言う事を信じてくれるだろう。
でも、それでどうなる?
私の話を聞けば、きっとリリィナは私の味方になってくれる。
そして、私の味方になればきっと・・・他の侍女達から孤立する。
それはマーサも同じ事だ。
このまま私にかまっていたら、やっぱり仲間内からはいいように思われないだろう。
ましてマーサは、元々オリヴィアの侍女だったのだから。
もっと早くこの事に気付けばよかったと後悔しながらも、私は次の言葉を続けられず黙り込んでしまった。
「リリィナ、これくらいにしてあげて?」
私を見かねたのか、マーサが間を取りなしてくれた。
「・・・分かった。でも、いつかちゃんと話してよ?」
リリィナの表情が緩んだのを見て、私もほっと息を吐いた。
二人が私のせいで嫌な思いをするくらいなら、一人で孤立していた方がいい。
でもそれは、きっとマーサもリリィナも望んでいない。
やっぱり城を出て、どこか別の場所で生きていく事を考えたほうがいいのかも知れない。
「で、あの後どうなったの?何か言われた?」
ぐだぐだと考え込んでいた私は、リリィナの唐突な問いに首をかしげた。
「陛下に連れ出されたらしいじゃない!その後、どうなったの?どうして陛下はあなたをかばったのかって、それも噂になってるわよ?」
「えっ?あ・・・えっと、それは・・・」
これは流石に言わない方がいいんじゃないだろうか。
困って助けを求めるようにマーサの方を見ると、マーサも困惑した表情を私に返した。
「あら?それも内緒?」
内緒というか、これは話してしまったらジルが困るんじゃないだろうか。
これまでの経緯を知っているマーサならともかく、リリィナにはとても説明できない。
その時、窓をコンコンと鳴らす音がした。
三人とも面白いくらいビクリとなって振り向くと、端っこの壁から手だけが窓の外に見えていた。
恐る恐る窓を開けると、壁に体をもたれさせたジルが立っていた。
ジルに気付いたマーサが、少しだけ開いた窓を全開にした。
「しばらく借りて行ってもいいかな?」
ジルはマーサに顔を向けてたずねた。
何か借りるものがあるのかと、邪魔にならないよう体を後ろに下げようとすると、何故かマーサに背中を押されて押し戻された。
「いいけど、慎重にあつかってよね。」
「分かった。」
貴重品だろうか?
そう思っていると、ジルが私の正面に立って手を差し出した。
大きな窓なので、下の壁の部分はジルの腰くらいまでの高さしかない。
そのままスッと私の両脇に手を差し込むと、軽々と持ち上げて外に私を下ろした。
「部屋まで送ってくれるなら、私のところまで返却しに来なくていいから。」
「了解。」
マーサの楽しそうな声に返事を返して、ジルは私の手を取って歩き出した。
突然の事に固まっているリリィナに心の中で謝りながら、私はジルの後に続いた。