第30章 夏至祭3
お互いに無言のまま歩き続けて、ジルが足を止めたのは人気のない庭だった。
月明かりと建物からもれ出る灯りのおかげで、互いの姿がぼんやりとうかびあがる。
ジルは私のほうに体を向けると、気遣うように私の頬に手を添えた。
「早く気付いてやれなくて、すまなかった。大丈夫か?」
穏やかな声音が、冷たくなった体に染み込むように響いた。
「ジル、戻らないと・・・。」
そばに居て欲しいと思う気持ちを無理やり押さえ込んで、かすれた声を絞り出した。
竜王が突然いなくなって、大広間は今どうなっているだろうか。
「大丈夫だ、コンラートが何とかしてくれてる。そんなことより、こんな状態のフィリスを放っておけるはずないだろう?」
安心させるように優しい笑みを浮かべるジルに、今まで我慢していた涙が堰を切ったように溢れ出した。
「・・・っ、ごめんなさい!私の我侭のせいで・・・ジルの言うとおり、部屋にいてればこんなことにならなかったのにっ!」
みんながあんなに頑張って準備した大切な夏至祭で、あんな騒ぎを起こしてしまった。
それが悔しくて、申し訳なくて仕方がない。
「謝らなくていい。フィリスは悪くない。フィリスに城に残ってくれるように頼んだのは俺だ。謝るなら、俺の方だ。」
涙でぼやける両目を袖でこすると、そっとその手を外された。
「フィリスは何も間違っていない。だから俺は止めなかった。こんな事になると予想できなかったのは、俺も同じだ。・・・すまない、もっと早くけじめをつけておくべきだった。」
「けじめ?」
ジルは真剣な表情で頷くと、まるで何かを見つけようとするかのように私の目をじっと覗き込んだ。
「・・・もうずいぶん前から決めていたんだ。けど、実行するだけの勇気がなかった。情けない事だが・・・。」
そう言って苦笑するジルに、私は驚いた。
生あるもの全ての頂点に立つと言われている竜族であるジルが、そんな弱気な事を言うなんて・・・。
「花嫁候補達は近いうちにみな親元に帰す。離宮も解体する。」
覚悟を決めるように息を吸い込んだジルは、私の目をまっすぐに捉えたままそう告げた。
離宮を解体する。
それは、一体何を意味するのだろうか?
唐突な話に要領を得られず戸惑う私に、ジルは話を続けた。
「こんな時にこんな事を言うのは、負担になるだけだと頭では分かってはいるんだ・・・それでも、どうか聞いて欲しい。」
いつになく真摯なジルの様子に、涙はいつのまにか引っ込んでいた。
「フィリス、俺はお前を愛してる。ずっと俺のそばにいて欲しいんだ。」
言われた言葉の意味を理解するのに、かなりの時間が必要だった。
あまりにも現実離れしていて、夢の世界を漂っているような錯覚を覚える。
・・・・・もしかしたら、錯覚なんかじゃなくて本当に夢なのかも知れない。
きっと疲れて、自分でも気付かないうちにいつの間にか眠ってしまったのだろう。
そうだとしたら、こんな状況でずいぶんと不謹慎な夢を見たものだ。
それにしても、一体どこからが夢なのだろう?さっきの広間での騒ぎからだったら、どれだけいいだろうか。
目が覚めたらマーサが笑って、居眠りしてたでしょって言ってくれたら・・・。
「急にこんな事を言われたら、驚くよな?」
ポンポンと頭を撫でられて、そのリアルな感触に焦ってしまう。
恐る恐る頬をつねってみたが、痛みはあっても目が覚める様子はなかった。
「これって夢じゃないの?」
夢の人物が、これは夢だよなんて言うはずないと思いながらも、聞かずにはいられなかった。
「・・・そこまで戸惑われるとは思わなかった。残念だが夢じゃない。」
不安そうに私を覗き込むジルに、私はだんだん怖くなってきた。
これが現実だとしたら、私はどうすればいいんだろう?
確かにジルのことは好きだし、城を追い出された時には気持ちを伝えなかった事を心から後悔した。
けれど今こうしてジルの方から好意を伝えられて、どうしていいのか分からない。
ジルはこの大陸を統べる王で、私なんかとは到底釣り合わない存在なのだ。
「フィリスは、俺のこと嫌いか?」
たずねられて、大きく頭を振った。ジルは小さく息を吐いて、表情を緩めた。
「俺に触れられるのは平気?」
そう言いながら、私の左手を大きな手に包みこんだ。
頷くと、もう片方の手がさっきと同じように頬に触れてきた。
「・・・嫌だったら抵抗してくれ。無理強いはしたくない。」
ゆっくりと近づくジルの顔に、心臓が大きく跳ねた。頬が熱くなって、顔が真っ赤になっているのが分かる。
近すぎる距離に慌ててぎゅっと目を閉じると、唇を暖かくて柔らかい何かがかすめていった。
驚いて目を開けると、ジルの顔が離れていく所だった。
「・・・今の、何?」
そう呟いて、すぐに思い当たった。
いくらそういう事に疎い私でも、キスくらいは知っていた。
顔から火を噴きそうな私を見て、ジルはクスリと笑った。
「返事は今しなくていい。急がなくていいから、ゆっくり考えて欲しいんだ。部屋まで送るよ。また明日、ちゃんと話そう。」
「うん・・・。」
来たときと同じように私の手を引いて歩き出すジルの背中を、信じられない気持ちでじっと見つめた。
嬉しいと思う気持ちは確かにあるのに、何故か怖いと思う気持ちのほうが大きかった。
ジルは誰よりも信じられる人なのに、どうしてそんな感情を持ってしまうのだろう?
それとも一度にいろんな事がありすぎて、混乱しているのだろうか。
「おやすみ、フィリス。」
部屋につくと、ジルはそう言って私の額に口付けた。
「よく眠れるおまじない。」
恥ずかしく思う間もなく急激な眠気に襲われて、足がふらついた。
「・・・おやすみなさい。」
うまくまわらなくなってきた舌をなんとか動かしてそれだけを言って、急いで扉を閉めてベッドに倒れこんだ。
次の日の朝、目が覚めるとマーサが心配そうにベッドの横に立っていた。
「おはよう、フィリス。気分はどう?」
窓の外を見ると、もうずいぶん日が高くなっているようだった。
寝坊してしまったのかと慌てて飛び起きると、それを押しとどめるようにマーサが私の肩を押してベッドに戻した。
「今日は午前中、お休みもらったから。色々あって疲れてるでしょう?それに仕事に出る前に、話しておかないといけない事があるの。」
マーサの言葉に、昨日の事を思い出して落ち込んだ。
「マーサ、あれから夏至祭はどうなったの?」
聞くのが怖い気もしたが、聞かずにはいられなかった。
「あれからすごい騒ぎになって、ダンスも一時中断したわ。竜王陛下がいきなりそこらの侍女の手を取って会場を抜け出したんだもの。」
「・・・そう、だよね。」
底なしに落ち込みそうになった私の頭を、マーサは優しく撫でてくれた。
「大丈夫よ。宰相様が代わりに場をとりなしてくれたし、陛下が戻られてからはみんな元に戻ったから。ただ、何もなかったように、とはいかないわ。」
マーサはベッドを離れると、水を汲んできてくれた。お礼を言ってそれを飲み干す。
私が飲み終えるのを待って、マーサは話を続けた。
「あなたの事、ずいぶん噂になってるの。その、あなたとオリヴィアの間にあった事も・・・エマが言いふらしてしまって・・・。」
昨日のオリヴィアの様子を思い出して、まるで鉛を飲み込んだように胸が重くなった。
オリヴィアは、私を自分のそばから離したがっていた。もう二度と会いたくないと言った言葉通り、本当に私と縁を切りたいのだろう。
もう会わないと思っていた私が突然目の前に現れて、オリヴィアはどれだけ驚いただろうか。
そして、目障りな私を排除するために動いた。
これでもう、ここは村と同じだ。
彼女の思惑通り、私はオリヴィアの敵としてみんなから冷たい目で見られる。そして、それから逃れるためにはここを出て行くしかない。
そう考えて、急にマーサに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
こんなにも私に良くしてくれて、心を砕いてくれているのに。
私は、まだマーサにオリヴィアとの事をちゃんと説明していなかった。
「マーサ、私の話、聞いてくれる?」
「もちろんよ。でも、無理しなくていいのよ?話したくないことは、言わなくていいから。」
その言葉に頷いて、私は何から話そうかと考えを巡らせた。