第29章 夏至祭2
大広間が人であふれかえり、入り口から新たに入ってくる人も途絶えた頃。
中央奥にある少しだけ高くなった台の上に人影が立った。
それに気付いた客達が一人、また一人と会話を止めて奥のほうに目を向けた。
すべての話し声がやむまで、そう時間はかからなかった。
「これより、陛下がご臨席されます。」
静まり返った広間を見回して、コンラートが声を張り上げた。
その言葉にあちこちから息を呑むような音がして、肌で感じられるくらいの緊張が広間を覆った。
「陛下はあの扉から入ってこられるのよ。」
マーサが私の耳元にそう囁くのと、コンラートが踵を返して奥の扉に近づくのはほぼ同時だった。
コンラートが扉の脇に控えると、いつの間にか扉の前に立っていた二人の兵士がゆっくりと扉を左右に開放した。
それまで無言で扉の方を注視していた客達は、いっせいに扉の方を向いたままその場で深く頭を下げた。
マーサが頭を下げたのを見て、私も慌てて同じようにした。
しんとした無音の中に、コツコツと足音だけが響いた。
「顔を上げよ。」
威厳に満ちたその声は、それほど大声を張り上げたわけでもないのに何故かはっきりと聞こえた。
つんつんと肩をつつかれて顔を上げると、既にみんな竜王の言葉に頭を上げていた。
シンプルな黒い衣装に身を包んだ彼は、集まった人々をひとしきり見渡すと口元に軽い笑みを浮かべた。
他を圧倒するような強烈な存在感といい、およそ人が持ち得ないだろう神がかったその容姿は、見るもの全てを魅了するようだった。
「みなよく集まってくれた。今宵はゆっくりと楽しんでくれ。・・・さあ、はじめよう。」
その手が軽くあがると、準備していた楽団員がゆっくりと演奏を始めた。
彼はそのままゆったりとした動作で中央の台から降りていった。
王の歩く先は人垣が自然に別れ、誰も行く道を妨げる者はいなかった。
分かっていたはずだけど、こうして竜王としての姿を見てしまうと、ジルがとてつもなく遠い存在になってしまったように思えた。
「ほら、仕事するわよ!」
マーサに勢いよく背中を叩かれて、ようやくずっとジルを目で追いかけていた事に気付いた。
空になったグラスが並んだ盆を持った侍女が、早く受け取れというように手を差し出していた。
慌ててそれを受け取って台車に乗せる。
「特にグラスが足りなくなりやすいから、優先的に片付けてね。」
マーサの言葉通り、台車はすぐにグラスと空になったビンでいっぱいになった。
料理の取り皿も消費が激しく、あっという間に洗い物がたまっていった。
それにしても同じお皿を使ってもいいだろうに、何故使い捨てのような使い方をするのだろう。
「そういうのがマナーってやつなのよ、多分。私も高尚なマナーはよく知らないから、分からないわ。」
何度目かになる厨房と大広間の往復の時にマーサに聞いてみたけれど、マーサも疲れたようにそう言うだけだった。
大広間では歓談の時間が終わり、中央でダンスが行われていた。
きらびやかなドレスがクルクルと宙に舞う様子は幻想的で、つい足を止めて見てしまう。
「フィリス、大丈夫?疲れてない?」
足を止めた私をどう思ったのか、マーサが手を止めて私のところに戻ってきた。
「うん。まだ大丈夫。ごめんなさい、つい見てしまって・・・」
マーサは私の視線を辿るとクスリと笑った。
「確かに普通に生活してたら、一般庶民の私達はこういうの見る事ないものね。気持ちは分かるわ。」
マーサがそう言った時だった。
突然、服の袖を強く引っ張られて振り返ると、見覚えのある侍女が目を吊り上げて立っていた。
「あなた!何故こんな所にいるの?一体どうやって入り込んだの?」
彼女は、あの日マーサの代わりとしてオリヴィアに付いた侍女だった。
まさかこんな所で再会するとは思いもよらなかった私は、突然の事に返す言葉が見つからなかった。
「エマ、落ち着いて!この子はもうオリヴィア様とは関係ないの。正式に侍女としてこの城に雇われたのよ。」
「何ですって!?マーサ、この子がオリヴィア様に何をしたのか、あなただって知ってるでしょう?それを・・・」
高くなった声に、周りも何事かと手を止めてこちらを見た。
「声が大きいわ。とにかく、外に出ましょう。ここはまずいわ。」
「・・・分かったわ。あんたも来なさい。」
袖を力任せに引っ張られて、体制を崩してしまう。
ぐらついた体に台車が当たって、グラスが床に落ちて大きな音を立ててしまった。
「ちょっと、乱暴しないで!」
言い争う声に、とうとう招待客までが騒ぎに目を向けた。
焦った私は、急いで体制を立て直すと外に出るために一番近い裏口に目を向けた。
けれど結局、私達はその場を離れる事はできなかった。
「フィリス・・・。」
鈴を転がしたようなその声に、体中の血が一気に下がった気がした。
「またあなたに会うとは、思わなかったわ・・・。」
悲しみを帯びたその声に、どんどん指先が冷たくなっていく。
「オリヴィア様・・・。」
「エマ、いいのよ。ありがとう。」
冷たくなった指先をぎゅっとにぎりしめて、ゆっくりと振り返る。
そこには、儚げな様子で目に涙を浮かべたオリヴィアが立っていた。
「フィリス、何故あなたがここにいるのかは分からないけれど。また、顔が見れて嬉しいわ。」
オリヴィアは涙を堪えるように笑みを浮かべた。
「ねえ、あの時・・・何故、あんな事をしたの?あなたは本当はいい子なのに、どうして・・・。」
そこまで言って、オリヴィアは耐え切れなくなったように泣き崩れた。
それまで傍観していた客達が、その姿に打たれたように駆け寄り彼女を支えた。
憐憫の視線がオリヴィアに集まり、そして不審そうな、敵意のある視線が私へと向けられる。
ざわざわとした声は次第に大きくなり、気がつけば大きな人盛りができていた。
その事実に、私は口元を覆った。
・・・なんて、ばかなことをしてしまったんだろうか。
これが、自分の気持ちばかりを優先してしまった結果だというのなら、なんていう取り返しの付かないことをしてしまったのか。
自分で責任を取れないほど事が大きくなってしまったことに、吐き気すら覚えた。
「込み入った事情があるようだが、向こうで話を聞かせてもらおうか。」
冷たい声と共に、大きな手に肩を掴まれる。
「エルフリード王子・・・。」
マーサの戸惑った声に、肩に置かれた手の主を知った。
「助けてやるから、大人しくついて来いよ。俺が贈ったものについても聞かせてもらいたいしな。」
耳元で囁かれて、嫌悪感に耐え切れず力いっぱい肩に乗った手を振り払った。
その事に、人盛りからどよめきが起きる。
「あ・・・・」
自分がしてしまった事に、呆然となる。震えるばかりの私を、マーサがそっと引き寄せてくれた。
エルフリードは一瞬ポカンとした表情になったが、何をされたのか分かると顔を真っ赤にして怒った。
「侍女ふぜいが、自分が何をしたのか分かっているのか。」
その時、人垣が割れるように二つに分かれた。
そこから現れた人物に、まるで時が止まったようにその場にいた誰もが固まった。
「陛下・・・」
そう呟いたのは、一体誰だったのか。
「・・・彼女を連れて帰ってやりなさい。」
ジルはエマにそう告げると、私の前に立った。
「もう大丈夫だ。おいで。」
そう言って、ジルは私の強張ったままの手を上から握ってくれた。
「少し席を外させてもらうが、みなはこのまま楽しんでくれ。」
水を打ったように静かになった人々に向かってそう言って、ジルは私の手を引いて裏口へと歩いた。
まるで、二人で街を歩く時と同じように・・・。