第27章 祭りの前(SIDEジル)
脇に抱えた箱を無造作に床に放り投げて、俺はモヤモヤした気持ちを吐き出すように大きく息を吐いた。
箱を開けると、中には淡い黄緑色の可愛らしいドレスが入っていた。
別の箱にはドレスに合わせた靴や装飾品が入っている。
これを、どう処分するべきだろうか?
エルフリードに送り返せば、あの侍女の立場がないだろう。そうかといって、俺がこのまま持っていても仕方のないものだ。
考え込んでいると、ノックの音がしてコンラートが部屋に入ってきた。
「陛下、こちらにお戻りでしたか。・・・その衣装は?陛下が用意されたものではないようですが。」
「何故そう思う?」
当たり前のようにそう言ったコンラートを不思議に思って問いかけると、コンラートは口の端を上げて床に広がったそれらを見下ろした。
「そのような靴は、陛下はお選びにならないでしょう。相手がフィリス殿ならなおさらです。」
そう言われて靴を手に取ると、やけにヒールが高い事に気がついた。
身分の高い者が集まる社交の場では、 背の低い女性はヒールの高い靴をはいて、エスコートする男性と並んでもおかしくないようにする事が多い。
「なるほど。」
フィリスはまだ子供ということもあるが、育ってきた環境のせいか発育が悪く平均よりも背が低い。
エルフリードは自分の隣にフィリスが並ぶことを考えてこの靴を用意したのだろうが、これではフィリスは一歩もまともに歩けないだろう。
立てるかどうかも怪しいものだ。
「どうせエルフリード王子あたりが押し付けてきたものでしょう?知らぬ事とはいえ、陛下の想い人に手を出すとは許しがたいですね。」
冷たい笑みを浮かべるコンラートに、俺は苦笑を返した。
「いいから、放っておけ。」
「しかし陛下・・・よろしいのですか?」
「本気なら国に帰る前になんらかの行動を起こすだろう。その時は俺が直接相手をする。気まぐれでかまっているだけなら、あと数日やり過ごせば穏便に済む。」
不満そうなコンラートに、俺は言葉を続けた。
「心配するな、大丈夫だ。・・・そうだ、これは売り払って、孤児院への寄付金にでもしてくれ。身につける者がいない以上、その方がものの役に立つだろう。」
ドレスや靴を箱に丁寧に直して、コンラートに押し付けた。ふとした思い付きだったが、なかなかいい案だ。
「わかりました。念のために、見張りを立てておきましょう。何かあってからでは遅いですからね。」
「すまない、頼む。」
「残りの仕事は、明日に回されますか?」
そう言われて、仕事の途中で抜け出していたことを思い出した。
俺は少し考えて、頷いた。
今日はもう、仕事をするような気分にはなれそうにない。
「では、私はこれで失礼致します。」
コンラートは押し付けられた箱をかかえなおすと、部屋を出ていった。
それを見届けて、大きすぎるベッドに仰向けになる。
目を閉じて自然と思い浮かぶのは、フィリスの笑顔だった。
頭の中は彼女の事でいっぱいで、フィリスと出会うまでの自分は何を考えて生きていたのかと不思議になる。
彼女の事を考えない時など、もう一瞬だってなかった。
コンラートには心配するなと言ったけれど、本当は心配しているのは自分の方だった。
ただ、それはエルフリードの事ではない。
百歩ゆずってエルフリードが遊びではなく本気だったとしても、フィリスがあんな奴の気持ちに応えるとは思えない。
けれど、他の奴だったらどうだろうか?
誠実で、優しくて、彼女の事を心から愛する者が現れたら?
あり得ない話ではない。フィリスはまだ子供の域をでないけれど、これからどんどん女性らしくなっていくだろう。
元々整った顔立ちだし、大人になれば見た目だけでも十分魅力的な女性になることは間違いない。
加えてあの素直さと芯の強さがあれば、惹かれる男は多いだろう。
どんなに俺が彼女を愛していても、相手は人間で、俺は竜だ。
同族の方を好きになるのが自然じゃないだろうか?
そこまで考えて、俺は自嘲的な笑みを浮かべるしかなかった。
来るか来ないか分からないような未来に怯えて、俺はこんなに情けない奴だっただろうか?
「・・・まあ、仕方がないさ。」
自分に言い聞かせるように呟くと、少しだけ気分が浮上した。
好きになってしまったんだから、愛してしまったんだから、仕方がない。
竜族は簡単に誰かを好きになったりしない。親愛の情は元々深い方だが、恋愛となると難しい。
寿命が長い分、もしかしたら頭で色々と考えすぎるのかも知れないが・・・。
その代わり、恋に落ちると落ちたまま上がってくることもない。
人間のように長く付き合うと恋愛感情が家族愛に変わるということもない。
そういう生き物なのだ。
だからこそ、怖いくらいに不安になる。
自分の事を、相手が好きになってくれるのか。好きになってくれたとして、ずっと好きでいてくれるのか。
相手が同じ竜族であれば、心変わりをされる心配だけはしなくて済むのだが・・・。
「・・・だから、か。」
普段あまり話さない祖父が、ふともらした言葉を思い出した。
『私は別に、人間のためだけに盟約の話をもちかけたわけではないさ。お前にもいつか分かるだろう。』
その時は、何を言っているのか分からなかった。盟約は人間が望んだものだ。
祖父は頼まれて仕方なく人間の王となった。ただ世界の秩序を乱さないために、人間の花嫁を迎える事を条件とした。
人間が妻となれば、夫である祖父は妻のために人間に干渉する権利を持つ。
そうすることで、無理やり体裁を整えた。
とはいえ、不自然な形であることには違いない。それが祖父にとってどんな利益があるというのか・・・。
祖父は俺の疑問には答えてくれなかったが、ただ愛おしそうに祖母を見ていたのを覚えている。
今なら、あの言葉の意味が分かるような気がする。祖父と同じように、人間を愛してしまった今なら・・・。
祖父はきっと、祖母を妻にするための正当な理由が欲しかったのだ。
そして、自分から離れていかないための絶対的な何かを求めた。
盟約は、人間の王に竜族を求めた祖母と、祖母という存在そのものを求めた祖父の、互いの願いを叶えるためのものだったに違いない。
そしてそれを、俺も利用しようとしている。祖父や、おそらく父もそうしたように・・・。
それを情けない事だとは思うが、否定しようとは思わない。
愛する者がいてその者が自分の傍らにいないというのは、竜族にとっては生きながら死んでいるのも同然だからだ。
死なないためにあがくのは、本能であって当然のことだ。
目を閉じて意識を集中すると、フィリスに渡したお守りを通してトクントクンと規則正しい心音が聞こえてくる。
あれはもちろん、ただのお守りではなかった。
フィリスのいる場所を確認できるようになっていたり、強い感情の波が俺に伝わるように作ってあった。
だからといって常にそれが伝わってくるわけではなく、俺が読み取ろうとするかフィリスが石を強く握り締めた時だけ、効力が発揮されるようになっている。
覗き見をするようで気がとがめたが、別に考えている内容まで分かるわけじゃないからかまわないだろう。
あれがあればフィリスが迷子になってもすぐに迎えにいけるし、何かあっても助けに行くことができる。
外れないように留め金をあえてつけなかったのは、万が一あれが他の人間の手に渡ると面倒だと思ったからだ。
魔術に秀でた者であれば、あの石に込められた強い魔力を引き出すこともできるだろう。
竜族が持つ魔力は人間のそれに比べて、純度が高く比べようもないほど強力だ。悪用されないとも限らない。
初めてあの石が効力を発揮したのは、フィリスがエルフリードに声を掛けられたときだった。
石から伝えられたのは、戸惑いと不安の感情だった。
感じる強さから大事ではないだろうと判断した俺は、傍に控えていたガントに代わりに行ってもらった。
本当は俺自身が行きたかったが、謁見の途中で席を外せなかったのだ。
ガントがフィリスを連れてきたのには驚いたが、あの時は顔を見れてホッとした。
とにかくこんなに忙しいのも、あと数日で終わる。
夏至祭さえ終われば、フィリスとゆっくり話すための時間も取れるだろう。
オリヴィアの事が心配といえば心配だが、宴には大勢の人間がいるし、マーサも付いている。
もしオリヴィアがフィリスに気付いたとしても、その場で何か行動を起こしたりはしないだろう。
エルフリードの件もあるが、プライドの高いあの男が社交の場で一介の侍女を追いかけ回したりするとは思えない。
そんな考えがあまりにも楽観的だったことを知るのは、祭りの一日目のことだった。