第26章 祭りの前
「一体なにが不満なんだ?」
後ろから聞こえる声に歩く足を止めずに振り返ると、エルフリード王子が不機嫌な顔で私の後ろを付いてきた。
私は手に持った洗濯物のかごを抱えなおして、彼を振り切るために足を速めた。
王子はあれ以来、私を見かけると玩具を見つけた子供のような顔をして話しかけてくる。
私は少しでも視線が合ったり話しかけられたりしたら、とにかくその場から離れるようにしていた。
「別にとって食うわけじゃあるまいし、逃げなくたっていいだろう?」
その言葉に少しだけ罪悪感を感じて、スピードを落としてまた振り返った。
すると彼はニヤリと口の端を上げて笑った。
その目が獲物をいたぶる獣のように見えて、私は慌ててすぐにまた前を向いて小走りになった。
「そろそろ名前くらい教えてくれよ。お前は俺の名前を知ってるのに、俺はお前の名前を知らない。不公平だと思わないか?」
その言葉も無視して無言のまま目的の場所に着くと、同じように洗濯物のかごを手に抱えた侍女が立っていた。
彼女は私とエルフリード王子を見ると驚いたようだったが、苦笑すると私を庇うように前に出た。
「ここから先はお客様をお通しできる場所ではありません。どうぞお戻りください。」
「俺は別に気にしない。」
「私達が叱られてしまいます。ご理解ください。」
そう言って二人で頭を下げると、エルフリード王子は興ざめしたように冷たい表情で来た道を戻って行った。
「ありがとう、リリィナ。」
お礼を言うと、彼女はにっこり笑った。
リリィナは最近仲良くなった同じチームの仲間で、一緒に行動する機会が多いため、私がエルフリード王子に目をつけられて困っていることもよく知っていた。
「どういたしまして。さあ、行きましょう。」
洗濯場は客室から見えないよう、建物から少し離れた場所にあった。
「フィリスは彼のどういう所が苦手なの?軽薄そうなのは別として、それなりにかっこいいと思うけど?しかも王族だし。」
リリィナの言う通り、エルフリード王子はかっこいい部類に入るのだと思う。
背は高く、鍛え上げられた体はがっしりとしていて無駄がない。顔もそれぞれのパーツは整っていて、綺麗ではないが野生的な魅力がある。
王子という肩書きもあるけれど、あの容姿だけでも惹かれる女性は多いだろう。
加えて物怖じしない堂々とした態度に、男としての彼の魅力が出ている。
けれど私は、どうしてもあの人を好きになれなかった。
どこか人を人とも思っていないような気がして、あの目で見られると萎縮してしまう。
「・・・あの人、何か怖い。私の目の色が珍しいから、面白がってるだけだと思う。」
「そうかなぁ?そうとも言い切れないと思うけど。そりゃあ確かにフィリスの目の色は珍しいけど、それだけで毎回こりもせず話しかけてくるかしら?」
「リリィナ・・・。」
「ごめんごめん、好きでもない人に言い寄られても、迷惑よね。」
言い寄られているというより、からかわれてるだけだと思うけど。
「大丈夫よ。私達もついてるし、城の中の警護も強化されてるみたいだし。」
「・・・うん。そうだね。」
エルフリード王子が話しかけてくるようになった頃から、南の棟の警備兵の数は多くなっていた。
数えてみたわけではないけれど、外を巡回している者だけでなく、廊下でもよくすれ違うようになったから多分増えているのだと思う。
昨年よりも厳重な警護に何かあったのかと不安を声にする者もいたけれど、どうも来客の方から要望があったしい。
身分の高い人は、普通の人よりも自分の身に危険を感じる事が多いのだそうだ。
「それに夏至祭は明後日からだし、王子ももうあなたに構う暇もないでしょう。」
リリィナの言葉に、私は頷きを返した。
夏至祭が終われば、エルフリード王子は自分の国に帰る。あともう少しの我慢だ。
「明日は私達は会場の準備を手伝うから、朝から目が回るくらい忙しいわよ?」
「楽しみだね。」
そう返すと、リリィナは苦笑した。
「フィリスって、ちょっと変わってるよね。どうせ私達はどんなに頑張ったって裏方で、祭りって言っても楽しめるわけじゃないのよ?」
「みんなと一緒に働くのが、楽しいの!」
村の小さな祭りでは、準備すら手伝わせてもらえなかった。
大げさなのかもしれないけれど、こうして邪険にもされず戦力として仲間に入れてもらえて、本当に嬉しい。
「マーサがあなたを可愛がる気持ちがよく分かるわ。フィリスみたいな妹、私も欲しいもの。」
そう言われて嬉しいような恥ずかしいような気持ちで俯くと、リリィナは楽しそうに笑った。
その夜自室に戻ろうとした私とマーサは、建物の入り口に見知らぬ女性が立っているのを見て足を止めた。
その女性はずっときょろきょろしていたが、私達を見ると驚いたように一瞬口を開いて、そしてほっとしたように表情をゆるめた。
「よかった、やっと会えました!」
女性は手に大きな箱を持っていた。さらにその箱の上には、小さな箱が2つのっている。
女性が近づいてくると、マーサはさっと私の前に立った。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「ごめんなさい、待ち伏せするような形になってしまって・・・。エルフリード様よりお届けものを預かってまいりました。」
女性の言葉に、私とマーサは思わず顔を合わせた。
「緑の目をした少女に届けるようにと言われたのですが、名前も分からないということでしたので・・・何人かの方におたずねしたんですが、皆さんご存知なくて。それで、侍女の方々のお部屋がある場所を聞いてここで待っていたんです。」
私がマーサと南の棟で働くようになってから、日も浅い。一緒に働いている数名を除いて、私の名前まで知っている人は少ないだろう。
それは私も一緒で、顔はよく知っていても名前までは分からないという人がほとんどだった。
「お部屋はどちらでしょうか?お運びします。」
ずっと箱を持ったままここで立っていたのなら、相当疲れただろう。彼女はとにかく早く箱を渡してしまいたいようだった。
「失礼ですが、その中身はなんでしょうか?」
「ドレスと靴と、あと装飾品がいくつか・・・。夏至祭の日はこれを身につけて、部屋で待っているようにとのことです。」
マーサは息を呑むと、厳しい顔で彼女を睨んだ。
「この子はこの城で働く者です。夏至祭には当然仕事がありますので、その申し出はお断りいたします。ドレスも靴も受け取ることはできません。申し訳ありませんが、それはそのままエルフリード王子にお返しください。」
マーサははっきりとそう言うと、私を連れて建物に入ろうとした。
その前を、箱を持ったままの彼女が立ちふさがった。
「あなたには関係ありません!私が話したいのはそちらの子供です!」
「私はこの子の上司です!仕事を休ませることは許可できません!」
しばらく睨み合ったあと、彼女はマーサの後ろにいたわたしを覗き込んだ。
「あなたはどうなの?あなただって、綺麗なドレスを着て王子と大広間を歩けたら、嬉しいと思うでしょう?こんなチャンス、滅多にないわよ?」
彼女とマーサ二人に厳しい視線を向けられて、私は大きく息を吸った。
「ごめんなさい、それはいりません。あの人に返してください。」
大きな声で言ってしまってから、もう少しましな言い方があったんじゃないかと思ったけど、口から出てしまったものは仕方がない。
マーサは得意げに彼女を見て、彼女は信じられないというように目を丸くした。
「で、でも、これはあなたのために用意されたものなのよ?返されたところでどうしようもないし、エルフリード様が何とおっしゃられるか・・・。」
「勝手に押し付けてきて、その言い分はないんじゃないですか?」
マーサの言ってる事は正しいと思うけど、彼女の事を考えるとさすがにかわいそうになってしまった。
「あの、じゃあ、私がそれを返しに行きます。」
受け取ってもらえなかったとは言いにくいだろうと思ってそう言うと、彼女は救われたような顔になった。
けれど、その案はすぐにマーサに反対された。
「駄目よそんなの!こっちから会いに行ったりしたら、どんな無理難題をふっかけられるか分からないわよ?」
そう言われて彼女の方を見ると、彼女は助けを求めるように私を凝視している。
「じゃあ、せめてもらうだけもらって?私を助けると思って!」
「受け取ったら後で絶対面倒な事になるの。受け取ったら駄目よ。」
言い合いを続ける私達を、部屋に戻っていく侍女達が遠巻きに眺めていた。
しかし連日の忙しさで疲れているのか、いつまでも見ていたり、仲裁に入ろうとする者はいなかった。
二人はお互いにゆずらないし、妥協案もこれ以上は思いつかない。
私は無意識に胸の辺りを握り締めた。
小さな硬い石の感触を確かめながら、なんとかいい案が浮かばないかと思考を巡らせた。
途中でとりあえずどこかに箱を置いてゆっくり話し合おうと提案したけれど、この場で追い返したいマーサと、この場で箱を手元から手放したい彼女は納得せず、平行線の会話が続いていた。
原因が自分にあるとはいえ疲れてきた私は、申し訳ないと思いながらもついぼんやりと月を眺めたりなんかしてしまう。
「口をあけてると虫が入るぞ。」
のんびりとした声で話しかけられると同時に、ポンと肩を叩かれた。
慌てて口を閉じて後ろを見ると、ジルがおもしろそうに私の顔をのぞいていた。
「ジル!?どうしてここに?」
マーサはジルに気付くと、言い合いを中断してそう聞いた。
彼女も、訝しげにジルを見ている。
「こんな夜更けに、何を口論してるんだ?」
ジルはその問いには答えず、マーサに逆にそうたずねた。
「それが・・・」
ジルの突然の登場で一気に落ち着いたマーサが簡単に状況を説明すると、ジルは彼女からヒョイと箱を取り上げた。
「あ、あのっ?」
「ご苦労様。これは俺が預かる。エルフリード王子には、この子の知り合いに預けたと伝えておけばいい。さあ、行きなさい。」
彼女は戸惑っていたが、これ以上は仕方がないと思ったのか素直に頭を下げて戻っていった。
「仕事で疲れているだろうに、二人とも災難だったな。この件は俺に任せてくれ。もう部屋に戻って休むといい。」
「・・・ありがとう、ジル。でも、どうしてここに?」
マーサがたずねた事をもう一度聞いてみると、ジルはクスリと笑って答えた。
「それは、秘密だ。」
首を傾げる私の頭をポンポンと撫でて、ジルは後ろ手に手を振って去っていった。
「・・・なんだったのかな?」
私の呟きに、マーサも分からないと言うように頭を振った。
「とにかく、これで解決ってことにしましょ?私もいい加減ベッドが恋しいわ。」
「マーサ、ありがとう。ごめんね?」
もっと自分でしっかりと断らなければいけなかったのに、マーサに全部任せてしまった挙句、飽きてぼんやりしてしまった。
さすがに罪悪感を感じてしまう。
「私が好きでしてるんだから、いいのよ。それに王子のような傲慢で狡猾なタイプを相手にするのは、まだまだフィリスには早すぎると思う。とにかく今は逃げまくるのよ!」
握りこぶしを作って力説するマーサに、私も勢いに押されるように大きく頷いた。