閑話1(SIDEマーサ)
私が城に侍女として雇われたのは、今から4年ほど前のことだ。
最初は雑用しかやらせてもらえなかったが、1年経つ頃には真面目な勤務態度が認められて、毎年各地から来る竜王様の花嫁候補達の世話係を任せられるようになった。
身分を問わず、とはいえ、やはり選ばれてやってくるのは大抵高い身分か金持ちのお嬢様で、今回のオリヴィアのように本当になんの後ろ盾もない女性が選ばれる事はめったにない。
妖艶な美女から人形のように愛らしい少女まで、その容姿はみな飛びぬけていたが、正直な感想として中身はみんな似たり寄ったりだった。
彼女達は自分達を選ばれた特別な人間だと思っていた。そして竜王の愛を得る事は、自分が世界で最も素晴らしい女性だと世界に認められることだと考えている。
もちろん彼女達が自分でそんな事を言うはずはないが、そう思っている事は言葉の端々から感じられるのだ。
その点、オリヴィアは素晴らしい女性だと思っていた。
謙虚で奥ゆかしく、周囲への気遣いを怠らずいつも優しく微笑んでいる。
辺境の村で生まれ育ったというのに粗野な感じは全く感じられず、初めて会った時は本当にオリヴィアを眩しく感じたのだ。
漠然と、この人を竜王様の元へ連れて行けば、もしかしたら来年から自分の仕事はなくなるのかも知れないと思った。
これまでどんな美女にも振り向きもしなかった竜王様も、こんな人なら目を向けるかも知れないと。
同郷のはずのフィリスと仲が悪いのが気になったけど、それは一時的なものだと思っていた。
フィリスは誰から見ても一途にオリヴィアを慕っていたし、思春期の少女が揃えば時にはすれ違って関係がぎこちなくなることも珍しくない。
あくまでも一時的なことで、時間が解決してくれるだろうと思っていた。
けれど、私は何も分かっていなかった。
フィリスが城を追い出されたあの日、私はオリヴィアに問い詰めた。
ただ言葉の使い方を注意をしただけで、フィリスがオリヴィアを叩くとはとても思えなかった。
フィリスはジルが村から連れてきた子供だった。
最初は無知で作法も何も知らないような子が城にあがるなんて、無謀すぎると思っていた。
けれどフィリスはとにかく努力家で、仕事もすぐに覚えていった。
自分に自信がなく、いつもどこかオドオドとして大人しい彼女だが、その分周囲の者に寄せる好意や信頼には目を見張るものがあった。
オリヴィアが青いバラの花を探してくるように頼んだ時も、彼女はそれが庭園のどこかにあることを欠片ほども疑っていないようだった。
少し考えれば、フィリスを自分の近くから遠ざけるための嘘だと誰でも気付くはずなのに。
そんな彼女が、注意されたなんてくだらない理由で怒るはずがない。
私が問い詰めても、オリヴィアはただ悲しそうな、どこか気丈に振舞った様子で微笑むだけだった。
とても嘘をついているようには見えなくて、私のかわりに付いていてくれた侍女もしきりにオリヴィアに同情していた。
けれど、私は見てしまった。
部屋の端の倒れたくず入れから、どこかで見たことのある便箋が顔を覗かせていた。
それは一度も封を切られることなく、いびつに捻じ曲げられている。
フィリスが初めてもらったお給料で、オリヴィアのために買ってきたものだった。
怒りがこみ上げてくるのと同時に、理解した。
オリヴィアは、天使でもなんでもない。今まで見てきた他の花嫁候補と同じ、間違いなく表も裏もあるただの『人間』だった。
フィリスとどんな確執があるのかは知らないが、オリヴィアに好意しか持っていなかったフィリスに対して、この仕打ちはあまりにも酷い。
今までオリヴィアに仕えてきた自分が急に愚かしくなった。
オリヴィアという人物を正しく捉えきれていなかった自分の見る目のなさが、ただ情けなかった。
そしてここまで完璧に猫の皮を被れるオリヴィアが、心底怖いと思った。
私はオリヴィアに話を聞くことを諦め、離宮を警備している警備兵に話を聞きに行った。
昼の番を終えて詰め所に戻っていた彼女達のところまで行って、最初は冷静に話していた。
けれどお互い主張を受け入れられない事にヒートアップしてきて、それが収まったのは近衛隊隊長のガント様が詰め所に入ってきて私達を一喝したからだった。
騒ぎを見かねて、誰かが呼んできたらしい。
おかげで冷静になった私は、ようやくあることに気付いて蒼白になった。
もう日が暮れる。
フィリスは何ももたず、身一つで城を出されたという。
お金の使い方一つ知らなかったあの子が、夜の街をフラフラとさ迷っていたら一体どんな目に会うか・・・。
本来なら気軽に声をかけることなど許されないが、私はとっさにガント様に助けを求めた。
それから起こった事は、私の人生の中でも一番強烈だった。
竜王様と直接言葉を交わし、分厚い木の机が手で叩き壊されるというあり得ない光景を見て、極め付けに今まで軽口を叩き合っていたジルが竜王その人だったと知らされた。
頭が真っ白になってこれは夢だと思いたくなったが、フィリスの事を思い出してなんとか現実に戻ってきた。
オルグと一緒に真夜中までフィリスを探してまわったけれど、結局フィリスは見つからなかった。
不安なまま夜を過ごして、朝を迎えた。
これだけ大規模な捜索を行っても見つからないというのは、何かあったとしか考えられなかった。
フィリスの無事を知ったのは、お昼少し前くらいだった。
安心してオルグの前で泣き出してしまった事は、誰にも内緒だ。
夜になって竜王様に呼び出された私は、フィリスの居場所と状態を教えてもらった。
顔にはわずかに疲労の色が見られたが、無事を確認できたからか落ち着いているようだった。
「こんな事があった後だし、もうオリヴィアに仕えるのは難しいだろう。離宮を離れて本館の方で働くといい。」
確かに、あれだけ騒いだ後で離宮で働くのは気が引けた。
何よりも私自身が、もうオリヴィアの事を信用できなくなっている。
オリヴィアにしても、フィリスの味方ばかりする私がそばに居るのは気に入らないだろう。
「ご配慮に感謝します、陛下。」
深く頭を下げると、大きな溜息を付かれた。
「いまさら畏まらないでくれ、やりにくい。せめてガントやコンラートしかいない時は、今までと同じ様に話してくれないか?」
「それは出来ません、陛下。・・・ですがせっかくのお言葉ですので、フィリスの事に関してはこれまで通り遠慮なくご相談させて頂きますね。」
床についていた膝を立てて顔を上げると、ジルはそれでいいというように頷いた。
これまで通り、と言われても、竜王陛下に対してこれまでのような軽い態度はとても取れない。
今まで口にしてきたあれこれを思い出すだけで、眩暈すら覚えるというのに。
けれどそれを変えることで彼が傷つくというのであれば、その言葉に甘えて少し態度を崩すくらいはかまわないだろう。
「率直にお聞きしますが、あの子をこれからどうなさるおつもりですか?」
少し差し出がましいかと思ったけれど、どうしても気になって聞いてしまった。
彼がフィリスに好意を持っている事は、見ていれば分かる。
フィリスを見る時の彼の目は慈愛に満ちているが、時折それが眩しいものを見るかのように細められる事を私は知っていた。
城に着くまでの旅の間も、彼は絶対にフィリスを他の者の馬には乗せなかった。
それが独占欲であることに気付いていないのは、当事者である二人だけ。
ましてフィリスがいなくなったと知った時の彼のあの様子を見れば、もう疑いようがないだろう。
「・・・できれば、また城で働いてもらいたいと思っている。まだフィリスの意思を確認していないんだ。その前に調べたい事もあるしな。」
そう言って、彼は宰相閣下の方をチラリと見た。
「・・・また出かけられますか?」
「悪いな。遅くても一週間くらいで戻ってくると思う。」
「分かりました。調整しておきます。」
「お前がそうあっさり納得してくれると、何かあるのかと思ってしまうよ。」
訝しげに眉をひそめる彼に、宰相閣下は苦笑を返した。
「優先順位というものがありますので。」
宰相閣下は、優雅に礼をして執務室を出て行った。ジルは不思議そうにそれを見送っていた。
竜王の花嫁となる者は、竜王が選んだ者。
そして、その者は既に選ばれた。
竜という生き物は、人間や他の動物のように簡単に恋をしたりやめたりする事はない。
生涯にただ一人だけのつがいを持ち、愛し続ける。
愛が実らなければ、死ぬまで独身という竜も珍しくない。
ジルが選んだのはフィリスだ。
あの子と結ばれなければ、ジルはおそらくもう花嫁を選ばないだろう。
竜王に人間の花嫁を与える事ができなければ、盟約は破られる。
エストアは、王を失ってしまう。
それだけは、何をおいても防がなくてはならない。
核となる存在を失ったこの大陸がどうなるのか。恐ろしくて想像もしたくなかった。
エストアの宰相である彼は、誰よりも強くそう思っているのだろう。
フィリス自身はどうだろう?ジルの事が好きなのは知っているけれど、彼が竜王だと知ってもまだ好きでいられるだろうか。
中身は一緒でも彼には他に2つも違う姿があるし、さらにそのうちの1つは人間ですらないのだ。
「マーサには、俺が留守の間フィリスの面倒を見てやって欲しいんだ。かなりまいってるみたいだから、気分転換させてやってくれ。」
「おまかせ下さい。」
フィリスを大切に思っているのは、私も同じだ。
再会したフィリスは、ずいぶんとやつれているように見えた。
私とおしゃべりをしたり散歩している時は元気そうに見えるけど、時折溜息をついたりじっと何かを考え込んだり。
そんな時は辛そうに唇をかみ締めている時もあって、いたたまれなかった。
城の使いが来た時は、正直肩の荷が降りた気がした。
フィリスを心から元気付けてあげられるのは、結局ジルしかいないと思ったからだ。
ジルの待つ公園の奥へと連れて行き、そっと背中を押してやる。ジルを見つけたフィリスは、引き寄せられるようにジルに向かって走っていった。
その時に見た光景を、私はきっと一生忘れないだろう。
鮮やかな夕焼けのオレンジ色の光の中、漆黒の竜が姿を現す。
その大きな姿に向かって、少女の細く小さな手が伸ばされた。
万物の長であり、全てを知り全てを統べる者。
その存在が一人の少女に頭をたれるその瞬間を、その場にいたすべての者が言葉もなく見入っていた。