第20章 本当の事1
「ダーナの村まで行って、色々調べてきたんだ。」
ジルは何を言っているのだろう?
村までは馬で急いでも3日はかかる距離だ。こんな短期間で、行って戻ってこれるはずがない。
ジルは私が不審に思っていることに気づいているだろうに、その事に関して説明はしてくれなかった。
「あの時オリヴィアに何を言われたのかは分からないけど、フィリスは自分の事で何か言われて怒るような事はしないだろう?だから、よほど親しい人の事で何か言われたんじゃないかと思ったんだ。村ではオリヴィア以外に親しい人はいないと聞いていたから、フィリスがそこまで怒るのは、亡くなったご両親か祖母の事である可能性が高い。マーサの事だと、後から本人の耳に入る危険もあるしな。」
驚く私に、ジルは少しだけ心配そうな顔をして、けれどすぐに無表情に近い真剣な顔に戻って話を続けた。
「何人かから話を聞けたよ。おそらく、オリヴィアも知らないだろう事も。」
心臓の鼓動が早くなって、おろした両手を握り締める。緊張からか、手の先は冷たくなっていた。
「聞きたいか?・・・事実は今よりももっとフィリスを傷つけるだろう。もしかしたら、立ち直れないほどの傷になるかも知れない。それでも、知りたいと思うか?」
「私、は・・・・・。」
小さくこぼれた声に、ジルは少しだけ表情を緩めた。
「もし怖ければ、無理に聞かなくてもいい。フィリスが望むなら、今俺と話した記憶は消す事もできる。そうして心が癒えるように、何も聞かなかった事にして新しい生活を送ればいい。」
それは、魅力的な提案だった。
これ以上傷つくと分かっているのなら。何も聞かなかったことにして、オリヴィアから受けた傷を上から綺麗に隠して、新しい生活を送る。
それで十分じゃないだろうか?
わざわざ自分から傷つく必要なんてない。
・・・でも、それで本当にいいの?
「フィリス、お前には事実を知る権利がある。けど権利は義務じゃない。どちらを選んでもいいんだ。どちらの選択肢も間違いじゃない。お前がこの先、望む方を選べばいい。」
傷つきたくないという思いと、真相を知りたいという思いが私の中でせめぎあった。
それは一瞬だったかもしれないし、長い時間だったかも知れない。
私の頭の中を、色んな人の顔が浮かんでは消えていった。
マーサや亡くなった祖母や、私の目を綺麗だと言ってくれたおばさん。それに、飴をくれたおじさんの顔も、何故だかはっきりと思い出せた。
他にも、私に優しくしてくれた人たちの顔が浮かんでは、心の中に暖かい何かを落として消えていった。
・・・どんなに綺麗に隠しても、心の奥深くに刻まれた傷はふとした時に痛み、その存在を私に思い知らせるだろう。
この先もずっと怯えて暮らすのは嫌だった。そんな自分の姿を、私を励ましてくれた人達に見せ続けるのは、酷く情けないと思った。
握り締めていた手から、力が抜ける。
「私、逃げたくない。ちゃんと向き合いたい。」
自然と出た言葉に、こわばっていた体の緊張が取れた気がした。
心にわきあがる強い気持ちが、その答えが自分にとって正解なのだと教えてくれた。
「みんなと一緒に、心から笑いたい。」
だからもう、過去から逃げるのは終わりにする。
「ジル。私、本当の事が知りたい。」
はっきりと口に出して、差し出された手に自分の手をのせた。
その瞬間、ジルは今まで見たこともないくらい、嬉しそうな顔で笑った。
「フィリスなら、真実を選ぶと思っていた。・・・約束しよう。俺はこれから先、フィリスには決して嘘はつかない。」
その笑顔に見とれていると、ジルの輪郭が淡くぼやけた。
瞬きの間に現れた姿に、私は自分の目を疑った。
全身を覆う黒い鱗。人一人くらい簡単に入ってしまいそうな大きな口からは、鋭い牙が少しだけ見えていた。
バサリと伸ばすように広げた翼が、あたり一面に大きな影を落とす。
その姿を見て、唐突に祖母が幼い頃によく読んでくれたおとぎ話の表紙の絵を思い出した。
「怖いか?」
聞こえる声は、ジルのものよりも少し低い。
「・・・・・ジル?」
恐る恐る問いかけると、はるか頭上にある金色の目が細められた。
「そうだ。どうして俺がこの短期間でダーナの村まで行って帰ってこられたか、これで分かっただろう?」
ジルは人間じゃなくて竜だったの?
「俺の本当の名はジークベルトだ。人の姿をとっているときは、ジルという名前を使っている。」
ジークベルト・・・。その名前は、この大陸に住んでいるのならば3歳の子供でも知っているだろう。
「竜王、様?」
パニックになる頭が、寂しそうな色をした金色の目に少しだけ冷静になった。
「確かに、俺は竜王だ。けど、ジルでもある。」
その声もどこか沈んでいて、私は宙ぶらりんになった手を上の方へと差し出した。
「・・・じゃあ、これからもジルって呼んでもいい?」
そう聞くと、彼は今度は嬉しそうに目を細めて、大きな頭を私の頬にすり寄せた。
口元に手を当てると、冷たいと思っていた鱗はとても温かかった。
「ああ、もちろんだ。・・・フィリス。」
両手を大きな頭に巻きつけて、目を閉じる。そうすると、言いようのない安心感が私を包んでくれた。
しばらくお互いに無言でそうしていたけれど、やがてジルが身じろぎしたので手を離した。
「暗くなってきた。場所を移動しよう。」
気がつくと、あたりは薄暗くなっていた。
「ちょっと待ってて?マーサに話してこないと。」
ずいぶん長い時間待たせてしまった事に気がついて、私は慌ててマーサが待つ場所に走り出した。
しかし、何歩か走った所で急に体が宙に浮いた。
「っ!?」
驚いて目を閉じるけど、すぐに何か温かくて硬いものの上に降ろされたのが分かって目を開いた。
「マーサなら大丈夫だ。ちゃんと兵士が送ってくれる。フィリス、しっかり掴まってろよ?」
「えっ!?」
降ろされた先は、ジルの首の根元辺りだった。ぐらりと動いた巨体に思わず首元にしがみつく。
次の瞬間、ジルの体は空へと飛び上がっていた。
村を出てから、何度も考えた。今、自分は夢を見ているだけなんじゃないかって。
けれど今ほど強くそう思った事もないだろう。
「大丈夫か?」
「・・・う、うん。なんとか・・・・。」
恐る恐る下を見ると、家がまるで玩具のように小さく見える。すごいスピードで飛んでいるような気がするけれど、不思議と振り落とされそうにはならなかった。
「・・・フィリスは、怖がらないんだな。」
「下を見ると、ちょっと怖いかな。」
正直に言うと、しばらくの無言の後、ジルが違うと呟いた。
「そうじゃなくて、俺が怖くはないのか?」
そういえば、さっきも同じ事を聞かれた気がする。
「何故?」
不思議に思って聞き返すと、ジルも不思議そうに言った。
「俺は竜だ。大きいし、強い。小さく弱い人間など、一瞬で殺す事もできる。」
ジルの言う事がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。
「何がおかしい?」
「だって、想像できなくて。何故って聞かれると困るけど、怖いとは思わない。」
どんな姿だって、ジルであることに違いはない。
好きになった人を、見た目が変わっただけでどうして怖いと思えるだろうか?
そう考えて、あることに気付いた私は大きな溜息をついてしまった。
竜王は、花嫁候補から花嫁を選ばなければならない。ジルが竜王じゃなくても望みはなかったけれど、これで私の気持ちが報われる可能性は完全に失われてしまった。
「・・・どうした?」
心配そうな声に、私は慌てて頭を振った。それがジルには見えないことに気がついて、今度はちゃんと言葉で応えた。
「何でもない。ところで、どこまで行くの?」
「もう着くよ。」
ジルはそう言うと、ゆっくりと高度を下げていった。
ジルが降り立ったのは、城の屋上だった。
屋上は綺麗に手入れをされていて、まるで庭園のようにも見える。
乗った時と同じようにふわりと体が浮いて、下に降ろされた。降りたのはいいけれど、立ち上がろうとしたら体がふらふらと揺れて力が入らない。
「大丈夫か?」
近い場所から声が聞こえて振り返ると、人型に戻ったジルが・・・・・いると思った場所には、予想外の人物が立っていた。
「次々と驚かせてすまないな。これは竜人の姿なんだ。フィリスが知ってるのは、母親からもらった人間の姿だ。人間の姿はほとんどの連中には秘密でね、こっちの姿でないと、自分の部屋に戻れないんだ。」
目の前で苦笑するのは、私にいつもお菓子をくれていた黒髪の彼だった。
驚いて目を見開いたままの私を困った顔で見て、ジルは手品のようにどこからか大きな布を出してきた。
「うわさ好きの奴らに見られたら、何を言われるか分からないからな。少しの間、我慢してくれるか?」
よく分からないまま頷くと、ジルは布を広げて私を頭から覆った。そしてくるくると巻くと、荷物のように肩に担ぎ上げた。
「ジル?」
体全体に伝わる体温に、心臓がうるさい音を立てる。こんなに密着していてはジルに聞こえてしまいそうで、私は焦った。
「じっとしてろよ?」
ジルはどこか楽しそうにそう言うと、どこかに向かって歩き出した。
体に伝わる動きから、階段を下りたのと何度か廊下を曲がったような感じがした。
「少し休みたいから、部屋には誰も入れないでくれ。」
「はいっ!」
動きが止まってジルの声が聞こえた後、すぐ近くで他の人の声が聞こえて私は思わずビクリとなってしまった。
ドアが開く音がして、また閉じられる。
ようやく下に降ろされて、布を取ってもらった。
「窮屈だっただろう?悪かったな。」
降ろされたのは、大人が5人は並んで寝れそうな大きなベッドの上だった。
「・・・ここが、ジルの部屋?」
天井の高い広い部屋は、きっとジルが竜の姿になってもくつろげるだろう。置かれた家具はどれも見たことないほど意匠を凝らしてあって、とても怖くて触れそうになかった。
キョロキョロと部屋を見回して、私はあることに気がついて慌ててベッドを降りようとした。
「ご、ごめんなさい!」
「うん?・・・ああ、靴か。」
靴が布団に触れないようになんとか降りようとしている私に気がついて、ジルは何でもないことのようにそう言うと、私の靴を脱がしてくれた。
「これでいいか?」
「・・・あ、ありがとう。」
竜王様に靴を脱がしてもらうなんて・・・・・・。
軽くショックを受けていると、ジルはベッドの脇においてあった水差しからコップに水を入れて、私に渡してくれた。
「どの姿がいい?この姿でも、人でも、竜でも、フィリスが話しやすい姿になるよ。」
私は少し考えて、笑った。
「どれでもいい。中身は変わらないでしょう?」
中まで別人になってしまったらそれは困るけれど、そうでないなら何も気にすることはなかった。
もちろん見慣れない姿には戸惑うけれど、きっとすぐに慣れるだろう。
ジルは嬉しそうに目を細めて頷くと、私の隣に腰を下ろした。
「さて、何から話そうか・・・。」
表情を引き締めたジルに、私も居住まいを正した。