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盟約の花嫁  作者: 徒然
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第1章 花嫁候補


 この日、村はかつてないほどの活気に満ちていた。

 ここはエストア帝国の東の山間部にある、小さな村だ。

 一番近い隣の村まで、半日も歩かなければならないほどの辺境の村。

 その村の村長の一人娘オリヴィアが、現竜王の花嫁候補に選ばれたのだ。

 

 竜王ジークベルトは、初代竜王の孫にあたる。

 竜族はみな長命なため、700年近い年月の間に代替わりをしたのはわずか2回であった。

 盟約に基づき竜王は人間の花嫁を娶る必要がある。

 しかし、竜という生き物相手に政略結婚など求められるはずもなく、気に入らぬ娘を勧めれば最悪王の座を捨てて出ていってしまうかも知れない。

 大陸に住む者達は、王が去ってしまうことを何よりも恐れていた。

 この大陸の平和と繁栄は、全て王によって支えられているのだから。

 だからこそ、花嫁選びには万全を期さなくてはならない。


 そこで、各領地から年頃の美しい娘達を選出し、城に住まわせることになった。

 期間は一年。

 その間に王が気に入る者がいれば花嫁とし、いなければまた異なる領地から娘達が送り出される。

 差し出す領地は公正にクジで決められ、不満が出ないよう配慮されている。

 

 

「フィリス、ぼーっとしてないで!もうすぐ帝都からお迎えの方々がいらっしゃるのよ!宴の準備を手伝ってちょうだい!」

 ぼんやりと風に揺れる草木を眺めていた私は、慌てて視線を声の方に向けた。

 洗濯し終えたテーブルクロスやら何やらを両手に抱えた女が、嫌気のさした顔で私を見ていた。

「ほんとに、役に立たないったら・・・いいかい?使者の方々に失礼なことだけはしないでおくれよ?」

「はい、奥様。」

 大人しく返事をすると、女はフンと鼻を鳴らして宴の会場へと向かって歩いていった。

 彼女はオリヴィアの母、ライラだ。 

 幼い頃に両親を落盤事故で亡くした私を育ててくれたのは、年老いた祖母だった。

 しかしその祖母も7年前に病で亡くなり、路頭に迷った私を助けてくれたのが、3つ年上のオリヴィアだった。

 身寄りのない私に同情して、召使いとして雇うよう父である村長に頼んでくれた。

 彼女のおかげで、私は衣食住に困らない生活をさせてもらっている。

 

 

 炊き出しの準備をしている場所に行くと、女達がせわしなく立ち働いていた。

「あの、私も何かお手伝いを・・・。」

 声をかけると、楽しそうに笑い合っていた女達は一瞬無表情になった。

「じゃあ、水を汲んできておくれ。不器用なあんたでも、それくらいはできるだろ?」

 その言葉にクスクスと忍び笑いが漏れるが、気にせず手近にあった桶を手にとった。


 こんな調子で、オリヴィアが帝都に行ってしまったら、自分はどうなるのだろう?

 この村の中でオリヴィア以外に、私を庇ってくれる人はいない。

 思い切って街まで出てみたところで、たかが14になったばかりの小娘が、どうやって一人で生きていけるというのか。

 グルグルと暗い思考にはまったまま、村から半刻ほど行った先の川の岸に座り込んだ。

 こんな所を見られたら、きっとまたきつく叱られる。

 そうは思うが、足に根が生えたように動かなかった。

 ふと水を汲んだ桶を覗き込むと、冴えない顔をした少女の顔が見えた。

 蔦色の細い髪はだらしなく垂れ、痩せた顔に何かに怯えているような、緑色の目が際立って見えた。

 

 緑色の目をしているのは、村の中でも私しかいない。

 亡くなった祖母と母も同じ色の目をしていたが、他はみんな青や薄い金色だった。

 みんなと違うということは、みんなに嫌われるということだ。

 成長するにつれそれが分かってから、私は前髪を長く伸ばした。

 村の外には、自分と同じ色の目を持つ人がいるだろうか?

 帝都には大陸中の人が集まってくるという。

 オリヴィアがもし花嫁に選ばれず帰ってきたら、そんな話も聞かせてもらえるだろうか?

 そこまで考えて、苦笑した。

 オリヴィアもみんなも花嫁候補に選ばれたことをあんなに喜んでいるのに、村に帰ってきて欲しいと思う自分はなんて恩知らずなのだろう。

 思わずため息をついて立ち上がる。桶を両手に抱えたところで、後ろでザザッという派手な音がした。


「ッ!?」

 後ろの木の上から自分の背後に、何かとても大きな物が落ちてきた。それに驚いて、手に持っていた桶を落として振り返った。

 とっさにその何かと距離を取ろうとして、足元の石につまずく。

 派手な水しぶきをあげて、気が付いたら川の中に尻もちをついていた。

「すまない、そんなに驚くと思わなかったんだ。」

 目の前に差し出された手に驚いて見上げると、そこには軍服を着た青年が立っていた。

 濃い茶色の髪に、同色の瞳をしていた。

 整ってはいるがどこか凡庸な顔立で、軍服を着ていなければ村の男たちの中に紛れていても、きっと気付かなかっただろう。

 私はドキドキする胸を抑えて、差し出された手を取った。

 すぐに強い力で引き上げられて立つと、男の背の高さに驚いた。

 近くに立つと、ほとんど真上を見上げるようにしないと顔が見えなかった。

 

「大丈夫か?怪我は?」

 私が頭を振ると、男はほっとして、しかしすぐに顔をしかめた。

「・・・このままじゃ風邪を引いてしまうな。」

 男がフィリスの頭上にスッと手をかざすと、何か暖かいものが体を覆った。

「これで大丈夫だ。」

 体にまとわり付いていた濡れた服の感触がなくなり、驚いて全身をペタペタと確認した。

「えっ!?なんで?なんで?」

 何時の間にか、服は完全に乾いていた。

 説明を求めて男を見ると、男は楽しそうに私を見ていた。

「魔術だ。見るのは初めてか?」

 魔術と聞いて、私は頬を紅潮させた。

 魔術を使える人間は少ない。その大半は国の中枢にいて、田舎に住む者は生涯、魔術というものを言葉でしか知らずに過ごす者も多い。

 それをまさか、自分が体験できるなんて!

「喜んでもらえたようでよかった。君は、ダーナの村の者か?」

 頷くと、男は空になった桶を拾って水を汲んだ。慌ててそれを取ろうとすると、ひょいと片手で避けられた。

「驚かせてしまったお詫びだ。俺はジル。帝都から花嫁候補の娘を迎えに来たんだ。飲み水を探しに一人で森に入ったら、仲間とはぐれてしまってね。よかったら、村まで一緒に連れて行ってくれないか?仲間ももう着いてる頃だと思うから。」

 温和な笑みを向けられて、素直に頷いた。

「こっち。」

 先に立って歩き出すと、ゆったりとした靴音が後ろを着いて来た。


 いよいよ、オリヴィアは帝都に行ってしまうのだ。そう考えると、興奮していた気持ちも冷めて行くようだった。

「ところで、名前を教えてもらっても?」

「・・・・・フィリス。」

「そうか。いい名前だね。」

「・・・ありがとう。」

 社交辞令と分かっていても嬉しくなって、私は小さくお礼を言った。

「そういえば、どうして木の上に?」

 驚きの連続で忘れていたが、彼は何故か木の上から降りて来たんだった。

 私があそこに着いた時はもちろん誰もいなかったし、結構長い間座り込んでいたと思うのだけど。

「休憩するのに丁度いい枝だったから、登って休んでたんだ。そろそろ行かないとやばいと思ってた所に、たまたま君の姿を見つけてね。」

「そうなんだ?」

 休憩するのにわざわざ木の上に登るとは、変わった人だ。

「まさか木の上に誰かいるなんて、誰も思わないだろ?だから、人目を気にせずゆっくりできるんだ。」

 心の声が伝わったのか、ジルはそう話してくれた。

 返事はしなかったが、私が話をちゃんと聞いているのは伝わったのだろう。

 それからも、ジルは色々と話しかけてくれた。

 特に私が返事をしなくても、ジルは気にすることなく気さくに話をしてくれる。

 そのことに、今まで感じたことのない心地よさを覚えた。

 けれど、楽しい時間も長くは続かない。


「フィリス!あんた水汲みにどんだけ時間かけるんだい!ほんとに役立たずだよあんたは!」

 村の入り口に着いた途端浴びせられた怒声に、一瞬で顔が無表情になるのがわかった。

 辛い顔をすれば余計に怒りが大きくなるし、実際たかが水汲みにこんなに時間がかかるはずがない。

 自分が悪いのは分かっていたが、容赦のない言い方に素直に謝れないでいた。

 私を怒鳴りつけた女は、ふと後ろにいるジルに気がつくと慌てて愛想笑いを浮かべた。

「あ、あら、帝都の方でしょうか?この娘が何か?」

「森で迷っていた所を助けてもらいました。すいません、この子が遅くなったのは俺のせいなんです。」

「まあ、そうでしたか。他の皆さんはもう広場においでですよ。さあ、こちらです。」

 聞いてる方が気持ち悪くなるような猫なで声で言う女から逃げるように、私は彼の手から桶を奪い取ると、振り返ることもなくその場から逃げ出した。

 後ろでジルが私を呼んだ気もするが、今振り返って落ち込んだ情けない顔を見せたくなかった。



 オリヴィアを迎えに来た使者は7名。そのうち2名は領主の臣下で、ほか5名は竜王の臣下だ。

 一晩集会場に泊まり、明日の朝早く出立することになっている。

 広場の正面には薄紫のワンピースを着たオリヴィアが座っていた。

 艶やかな金茶色の髪、空の青を写し取ったかのような大粒の青い瞳。ふっくらとした唇はピンク色で、肌は雪の様に白い。

 まるで妖精の様なその姿に見とれぬ男が、この世に何人いるだろうか。

 見た目だけじゃない。オリヴィアは心も綺麗で、優しい。

 男も女も、オリヴィアを慕う村人は多い。

 今回彼女が竜王の花嫁候補に選ばれたことは、この村みんなの誇りだった。


 ふと、葡萄酒を手に仲間と歓談していたジルが私の方を見て、挨拶するかのように手を上げた。

 つられてジルの仲間もこちらの方を見たから、焦って身を木の影に隠した。

 人目につかないよう隠れていたのに、なぜ分かったのだろう?

「フィリス、そんな所に引っ込んでないで、向こうで一緒に楽しまないか?」

 ひょっこり現れたジルはそう言って身をかがめた。

 使者の一人が私に話しかけたことに、村人達が訝しげな声を上げる。

 あまり好意的ではないその声が聞こえてこないはずはないだろうに、ジルは何も聞こえてないように微笑んだまま私の返事を待っている。

「いい。私、ここにいる。ジルは主賓だから、みんなの所に戻って?」

 声をかけてくれたのは嬉しいが、みんなはいい顔をしないから。

 本当は宴の席にも顔を出さないよう言われていたが、どうしてもオリヴィアの晴れ姿を見たくて、こうして出て来てしまった。

 きっと後でライラにこってりとしぼられるだろう。

「俺はフィリスと話がしたいんだ。少しだけでもいいから、ここにいてもいいかな?」

「・・・どうして?」

 確かに私はジルを村まで案内したが、ただそれだけの事だ。

 理由が分からず戸惑う私に、ジルは首を傾げてしばらく考え込んだ。

「改めてそう言われると、どう答えていいか・・・世間話をするのに、どうしてもなにもないだろ?」

 それは、そうかも知れない。

 どうして、なんて聞いてしまって、気を悪くしてしまっただろうか?

 わざわざこんな広場のはずれまで話しに来てくれたのに。

「ごめんなさい。」

「別に謝ることじゃないさ。」

 ジルはこんなに優しのに、それに対する自分の態度があまりにも酷いものに思えて、私は身を小さくした。

「村に入った時も、私、お水を運んでもらったのにお礼も言わないで・・・ほんとにごめんなさい。」

「いいさ。そういう雰囲気でもなかったし、気にしてない。あの川には、よく行くのか?」

「村の井戸は飲み水にしか使っちゃいけない事になってるから。洗濯をしたり体を洗う時は、あの川に行くの。」

「そうか。このあたりは水源が少ないようだからな。土地も痩せている。」

「土地も水も村長様がみんな管理して、村の人たちに貸してるの。そうでもしないと、みんなすぐ喧嘩になっちゃうから。」

 それぞれの家が土地などを保有していた頃もあったらしいのだが、少ない資源をめぐっていさかいが絶えなかったという。

 それで何代か前の村長が領主に相談して、今の制度を取り入れたのだ。

「なるほどね〜。じゃあ、みんな小作人ってことだな。」

「そう、かな?でもみんながみんな土地を借りられるわけじゃなくて、外からきた人間は村の人と結婚しないと土地を持てないし、村の人間でも成人するまでは借りられないの。」

 借りた本人が亡くなると、土地はすぐに村長に返される。

 親をなくした子供は成人まで土地を借りられず、行きていけずに村を出て行く。

 冷たいようではあるが、そうでもしないと使える土地があまりにも少ないのだ。

「私は身寄りはないけど、オリヴィアに助けてもらったから。だからね、オリヴィアが花嫁候補に選ばれたのは私もすごく嬉しい。でも、すごく心細くなって・・・。」

 こんなことを話されてもきっと困るだろうと思うのについ話してしまうのは、もう二度と会うことはないだろう相手だからか、それともジルの穏やかな優しい雰囲気のせいなのか。

「それで、あんな所でこの世の終わりみたいな顔してたのか?」

 その言葉に驚いて顔を上げると、ジルはいたずらっ子のような顔をして笑っていた。

 木の上にいたのに、どうして私の表情まで見えたのだろうか?

 ジルが続けて何かを言おうとした時、鈴の音のような透き通った声が私を呼んだ。


「フィリス、こちらにいらっしゃい。」

 木の影から出ると、オリヴィアが天使のような微笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 オリヴィアに呼ばれては、行かないわけにはいかない。

 おずおずと進み出ると、それでも人目を避けるように俯いたままオリヴィアに近づいた。

「あなたとも、しばらく会えないわね。あなたの事は父と母によく頼んで行くから、何も心配しなくていいのよ。」

 白く細い指がスッと頬を撫でる。

 一瞬触れた柔らかさに潤んできた目をぎゅっと閉じて涙を堪える。

「ありがとう、オリヴィア。私、不器用だけど・・・オリヴィアの分まで頑張るから、だから、オリヴィアも心配しないで?みんな、オリヴィアが竜王様の花嫁になるの、楽しみにしてるから。」

 最後の方は声が震えてみっともなかったが、何とか花向けの言葉を送る事が出来た。

 ここ数日オリヴィアには誰かしらがついていて、このまま別れの挨拶もまともにできないのかと悩んでいた。

 もしかして、オリヴィアはそんな私の気持ちに気付いて、気を使ってくれたのだろうか?

 今は自分のことだけでも手一杯だろうに、こんな時でさえ周りに気を配るオリヴィアを改めて尊敬した。

「ありがとう、フィリス。」

 オリヴィアが、そっと私を抱き寄せる。

 花のような甘い香りに包まれて、また泣きたくなる。

「オリヴィア、洋服が汚れるわよ。」

 すぐそばでそんな声が聞こえてあわてて離れようとするが、オリヴィアは手を放さなかった。


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