第14章 虚構
その日は、マーサが休暇を取って朝から外出していた。
オリヴィアの部屋に入れない私はマーサの代わりをすることもできず、侍従長から臨時の侍女が派遣されていた。
その侍女が私を探して庭園に出てきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
「あなたがフィリス?」
頷くと、彼女はほっとした顔になった。
「よかった、すぐに見つかって。オリヴィア様があなたを呼んできて欲しいって。すぐに行ってもらえるかしら?」
「オリヴィアが私を?」
驚く私に彼女は不思議そうだった。本来なら別に驚く様な事ではないけれど、私とオリヴィアの関係ではめったにない事だった。
彼女にお礼を言って、私は早足でオリヴィアの部屋に向かった。
ノックをして中に入ると、オリヴィアは私の方を振り返りもせずじっと窓の外を眺めていた。
磨き上げられたガラスに映る顔がどこか思い詰めたようで、声をかけるのをためらってしまう。
「フィリス、よく恥ずかし気もなく私の前に顔を出せるわね。」
その声は今まで聞いたことがないほど低く、怒りを含んでいた。
何かやってしまったのだろうか?
理由が思い付かず言葉を返せないでいる私に、オリヴィアは振り返って目を細めた。
綺麗な人が怒った顔をすると、他の人よりも怖く見えるらしい。
そんなどうでもいい事が頭の中をよぎって行った。
「侍女の分際で陛下に話しかけるなんて・・・しかも、貢ぎ物まで贈るなんて、何を考えているの?」
言われた内容に心当たりがなくて、私はただ頭を振った。
「私について来たのは、これが目的?大人しそうな顔をして、陛下にまで取り入るつもりなの?」
「オリヴィア、何の事?私はそんな事してないっ!」
慌てた私は敬語を使う事も忘れて訴えた。
取り入るなど、陛下の顔もまだ見た事もないのに。それはオリヴィアもよく分かっているはず。
私は陛下との茶会の時は、いつもオリヴィアの部屋の掃除を言いつけられていたのだから。もちろんせっかくここまで来たのだから、本音を言えば一目だけでも竜王様の姿を見てみたい。
けれどそれはオリヴィアの意思に反してまで叶えたい事ではなかった。
「まさかあなたがこんな姑息な事をするとは思わなかった。しおらしく見せて今まで裏で何を考えていたのかしら。誤魔化しても無駄よ?私はこの目で見たんだから。」
私自身身に覚えのない事を、オリヴィアはいつどこで見たというのだろう。
絶対に違うと思いながらもここ数日の自分の行動を思い返していると、オリヴィアは文机の引き出しから便箋を取り出した。
「こんな安っぽいもので、私の機嫌を取ろうとしたの?こんなもので、私が喜ぶとでも思った?」
オリヴィアは私が贈った便箋を握りつぶすと、叩きつけるようにゴミ箱に捨てた。
呆然とそれを見ていた私に妖艶な笑みを浮かべると、オリヴィアは私のすぐ側に歩いて来た。
「いい事を教えてあげましょうか?」
オリヴィアの瞳に、私の怯える顔が映っているのが見えた。
「どうして、あなたがあんなにみんなに嫌われていたのか。」
心臓が、ドクドクと大きな音をたてた。これ以上聞きたくないのに、体が動いてくれない。
ただオリヴィアの口元が動くのを、じっと見ていた。
「私がお父さんとお母さんに言ったのよ。『緑色の目なんて気持ち悪い、化け物みたいだ』って。そうしたらみんな、面白いくらいあなたに冷たく当たり出した。当然よね?村長が嫌う者に優しくすれば、自分が村で生活しにくくなるもの。人間って単純よね?しばらくしたら、嫌っている振りが本当に嫌いになるんだから。」
私は浅い呼吸を繰り返した。
今聞いた話を嘘だと思いたいのに、オリヴィアに掴まれた肩がギシギシと痛んで、私にこれが現実なのだと教えていた。
オリヴィアは、村でずっと私を助けてくれていた。唯一優しくしてくれた人だった。
それなのに何故?
「ほんと、正解だったわね。小さい頃のフィリスは私の目から見ても可愛いかったし、村のみんなもあなたを可愛がっていた。でもね?」
掴まれた肩のあまりの痛みに顔が歪む。離れようとするが、オリヴィアの手は肩に食い込んで離れなかった。
「みんなに愛されるお姫様は、一人で十分。・・・そうでしょう?嫌われ者のあなたを庇う私は、優しく綺麗な天使になれたわ。そういう意味では、むしろお礼を言った方がいいのかしら?」
「・・・そ、んな、理由で?」
「私には大事な事よ。」
今まで与えられてきた優しさは、すべて嘘だった。
まるで、世界が暗闇に閉ざされたような錯覚を覚える。
立っているのがやっとな私に、オリヴィアはさらに追い討ちをかけた。
「ねえ、あなたの両親が死んだのは、事故だって知ってるでしょう?」
頷きも返さない私を気にする事もなく、オリヴィアは続けた。
「ギギリー鉱山で落盤事故に合ったって。どうしてそんな所に行ったか、知りたくはない?」
私も何度かその疑問を祖母に聞いた事がある。ただ祖母はそれには答えてくれず、いつも悲しそうな顔で私を抱きしめた。
子供心に祖母の辛そうな顔を見たくなくて、いつしか両親の話をしなくなっていったように思う。
何年かたってから知ったことだけど、ギギリー鉱山はダーナの北にある山で、もう五十年以上前に廃鉱になっていた。
そんな所に、一体何の用があったのだろう。
村の住人に聞いて回った事もあったが、それを知る人は誰もいなかった。
「私ね、宝石が欲しかったの。本物のお姫様みたいに、本物の宝石の飾りが欲しかった。子供って、バカな事を本気で考えるのよね。」
そう言って、オリヴィアはクスクスと笑った。
「だからお願いしたの。私の誕生日までに宝石を採って来てって。鉱山に行けばまだ一つくらい残ってるかも知れないじゃない?行かなきゃお父さんに言って家を取り上げてもらうからって言ったら、あなたの両親は血相を変えて鉱山に行ってくれたわ。」
心臓が痛いくらいに大きな音を立てていた。
あまりの事に口から意味をなさない声が時折漏れ出る。
「お父さんが私を溺愛しているのは、みんなが知っていた。娘の言う事ならなんでも聞くって。でも、結局死んじゃって家は取り上げられちゃったけどね。」
クスクスと笑うオリヴィアに、私は目の前が真っ赤に染まった。
生まれて初めて感じる強い感情に突き動かされるように、手を大きく振り上げる。
パシンッという大きな音がなって、私は自分がオリヴィアを叩いた事を知った。
オリヴィアは真っ赤になった頬を抑えて笑うと、大きな声で悲鳴をあげた。
「さようなら、フィリス。もう二度と会いたくないわね。」
すぐに部屋に入ってきた侍女は、オリヴィアを見て顔を青ざめさせた。
「オリヴィア様!?大変!誰か、誰か来てちょうだいっ!」
侍女は廊下に向かって大声で呼ばわると、急いでオリヴィアに駆け寄った。
そして、立ち尽くす私から庇うようにオリヴィアを椅子に座らせる。
カチャカチャと金属同士がこすれ合う音がして、帯剣した警備の女性が入ってきた。
「その子を捕まえて!」
二人は部屋の中の状況を見て、さっと私の両側に立った。
両手を掴まれて、後ろ手に太い縄で拘束される。
「まって!乱暴はしないで!」
オリヴィアは目に涙を浮かべながら、警備の二人に訴えた。
「私も悪かったの。私の注意の仕方が悪かったから、だから・・・。」
「オリヴィア様・・・しかし、王の花嫁候補であるあなたに手を上げれば、立派な反逆罪になります。」
侍女の言葉に、オリヴィアはブンブンと頭を振った。
「お願い!あぁ、私が大袈裟に悲鳴なんてあげてしまったから・・・どうかお願いです、見逃して下さい。この子にはもう二度と城には入らせませんから!」
だから逃がしてあげてと繰り返すオリヴィアを、私は冷めた目で見ていた。
制服を着替えさせられた私は、両手を拘束されたまま城の通用門から出された。
勢いよく体を押されて地面に倒れ込む。
「自分のした事を、よく考えるのね。」
「オリヴィア様の優しさに感謝なさい。」
二人は吐き捨てるようにそう言うと門を閉めた。
オリヴィアに言われた言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
これが夢だったらどれだけいいだろう・・・。
フワフワする体をなんとか起こして、私は歩きだした。
今はただ、何もかもから逃げ出したかった。