第13章 自覚(SIDEジル)
『・・・世界は、こんなに温かかったんだね。』
そう言って微笑んだフィリスを見て、俺はやっと自分の気持ちに気が付いた。
答えはいつもそこにあったのに、何故分からなかったのだろう?
フィリスと出会ってから、いつもモヤモヤしたものが心に引っかかっているようだった。
何故、こんなにも一人の少女のことが気にかかるのか。
不遇な子供など、世の中には無数に存在するのに。
何故、城に一緒に連れ帰ったのか。
孤児院であれば、教育だって最低限のものは受けられるし、将来仕事の紹介もしてくれるのに。
俺はきっとあの時、あの瞬間に恋に落ちたんだ。
水鏡に見えた、貧相な緑の目をした子供に・・・・・。
その顔に浮かぶ笑顔が見たかった。
怯えて小さな声しか出せないフィリスに、もっと自由な世界をあげたいと思った。
そしてその世界に、俺の居場所を作って欲しかった。
そうでなければ、俺の世界は酷く霞んでしまうだろう。
俺はフィリスへの気持ちに気が付かないまま、本能で動いていたんだ。
「陛下、難しい顔をされていますが何か問題でも?」
コンラートの言葉に、自分の考えに沈み込んでいた俺は我に返った。
手につかまれた書類が、力を入れすぎてシワシワになっている。
「悪い。他の事を考えてた。この案件は進めて大丈夫だ。」
印を押してコンラートに渡す。
コンラートは、何か言いたげな顔で俺を見ていた。
「どうした?」
「いえ・・・何かお悩みのようですが、我々ではお手伝いできない事でしょうか?」
真剣なコンラートに、そんなに難しい顔をしていたのだろうかと反省する。
けれど、せっかくそう言ってくれてるのだから少しくらいは相談にのってもらってもいいだろう。
「離宮の侍女と連絡を取り合いたいんだ。どこかに窓口になってもらいたいんだが・・・毎日厨房の前で張ってる訳にもいかないからな。」
「侍女と?もしかして、この前陛下が会いに行かれた?」
「いや、違う。」
連絡を取るということは誰かしらに伝言や手紙を預けるということで、そういう人に頼むという行為はフィリスにはまだ難しいだろう。
「それは、どなたとなのかお聞きしても?」
もちろん、教えなければ協力などしてもらえるはずもない。それに、誰彼かまわず伝言を持ってきてもらっても困る。
「マーサという侍女だ。彼女は何かと頼りになる。」
離宮にいては、何かあっても俺には分からない。マーサが俺と連絡を取りたいと言ってくれたのは、ありがたかった。
「・・・・・わかりました。では、信頼のおける者をこちらで用意します。」
「ありがとう、助かるよ。」
心からそう言うと、コンラートは苦笑した。
「王がこのような些細な事で礼を言われるなど、あなたくらいでしょうね。」
「私事だからな。それに、王様だからって偉そうにするというのは間違ってる。態度を偉く見せただけでは、見せかけの尊敬しか受けられない。」
コンラートは神妙に頷いた。
フィリスは俺の事を、どう思っているのだろうか?
いつものあの子の言動から、好かれているのだろう事はわかる。
けれどそれはすり込みのようなもので、生まれ育った村から出て俺しか頼れない状況だったから、それで懐いてくれているだけのような気もする。
とにかく好意は持ってくれているのだから、これから一人の男として見てもらえる様にすればいい。
ただそれで上手くいったとして、フィリスが知っているのは魔術師のジルだ。
俺が竜王だと分かれば、あの子の性格では引いてしまうだろう。
何より、俺は竜だ。人間じゃない。
異種族間で恋愛感情を持つ事は、とても難しい。
それは分かっているが、悲観することはない。
実際に俺の父も祖父も人間の女性を妻にしているし、夫婦仲が不仲なところは見たことがない。
竜でも構わないと思ってくれる女性は確かにいる。
フィリスがそう思ってくれるかどうかは分からないが・・・・・。
「コンラート、半日ほど出てくるから、書類はそのまま机に置いといてくれ。戻ったら片付ける。」
「またですか?仕方ないですね。なるべく早く戻ってきて下さいよ?」
「分かってるよ。」
人間の姿でヒラヒラと手を振ると、不満顔のコンラートをおいて部屋を出る。
難しく考えていても仕方がない。
行動を起こさなければ、今の関係が変わることはないのだから。
突然、花嫁候補に会いに行くと言った時、ガントとコンラートは二人してバカみたいに口を開けた。
「酷い間抜けな顔になってるぞ?そのまま廊下に出るなよ。」
二人とも高い地位にいるのだから、そんな顔を見られるのはまずいだろう。
「そ、それで、どなたの所に通われるのでしょうか?先触れを出しておかなければいけませんので。」
「陛下が自分から離宮に行かれるのは始めてです。相当な期待を持たせる事になるでしょうが・・・。」
そう言ったのは、近衛隊長のガントだった。
「心配ない。コンラート、一番最初に到着した娘は誰だったかな?」
「確か、アリシア様だったかと・・・。」
「じゃあその人の所に行こう。コンラート、今日中でいいから花嫁候補を到着順に並べたリストを作っておいてくれ。ガント、すまないが一緒に来てくれないか?」
「はあ、それはもちろん構いませんが・・・。」
俺はガントを連れて、離宮に向かった。
庭園の中に入ると、俺はフィリスを探した。
マーサがくれた手紙には、あの日俺が会いに行った事が原因で、フィリスが不当な扱いを受けていることが書かれていた。
部屋に入れず、外の仕事ばかりやらされているのだという。
オリヴィアの行動には腹が立つが、不当な扱いそのものに対してはそれほど心配はしていなかった。
あの村での仕事を思えば、城の仕事などどれもあの子にとって苦ではないだろう。
庭園の中ほどまで来て、やっと見つけた。
フィリスはしゃがみこんで、足元の雑草を丁寧に抜いていた。
顔に泥をつけて一生懸命に作業をしているフィリスに、ガントの方が先に声をあげた。
「娘よ、何をしている?そのような仕事は庭師に任せなさい、腰を痛めてはいかん!」
強面の顔だが意外と優しいガントは、そう言ってフィリスを立たせた。
何が起こったのか分からずキョトンとする姿が愛らしい。
俺はフィリスに近づくと、汚れた頬を手で拭ってやった。
「あなたは、あの時の・・・。」
どうやら顔くらいは覚えていてくれたらしい。
俺はこっそり持ってきた包みを取り出すと、フィリスに差し出した。
中にはこの前街で買ったお菓子が入っている。
フィリスは差し出された包みを前に、どうしていいのか分からないようだった。
「疲れた時に食べるといい。」
そう言って、フィリスの手に強引に握らせた。
いきなりあれこれ話しかけても、人見知りの強いフィリスは困惑するだけだろう。
名残惜しさにフィリスの頭を撫でてから、ガントを連れてフィリスの側を離れた。
「あなたが離宮に通うなど、おかしいと思いましたが・・・そういう事ですか。」
ふむふむと独り言のように呟くガントに、少々居心地が悪くなる。
「お前、最初から気付いていたな?何故だ?俺自身分かっていなかったのに。」
「陛下がどのように私のことを考えているのかは知りませんが、これでも妻とは大恋愛の末結婚しましてな。そのあたりのことは、人並みに分かるのです。」
「経験者ということか。」
「そんな所です。」
どうやら俺は、恋愛に関しては自分の半分も生きていないこの人間よりも未熟らしい。
「花嫁候補の部屋には一緒に入ってくれ。お茶を一杯飲み終わったら退室できるように声をかけて欲しい。」
「わかりました。」
彼女達には利用するようで申し訳ないが、フィリスにだけ会って帰ったのでは、余計な噂になってしまう。
自分の気持ちが分かった以上、俺が彼女達を選ぶ事はない。
早急に家に帰してやりたいと思うが、事情を話さずに穏便に帰すにはどうしたらいいだろうか・・・。
問題は山積していたが、フィリスの顔を思い出すだけで体が軽くなるような気がした。