第11章 再会
その日いつものように厨房に食器を返しに行くと、後ろからポンと肩を叩かれた。
驚いて振り返ると、ひと月ぶりに会うジルがすぐ後ろに立っていた。
「ここで待ってれば会えると思った。フィリス、元気にしてたか?」
「ジルっ!」
取り落としそうになった食器を、マーサが慌てて私の手から奪い取る。
それに申し訳ないと思いながらも、目はジルから放せなかった。
「なかなか会いに来れなくて悪かった。仕事が忙しくて。」
まさかこんな所で会えるとは思ってもいなかった私は、夢でないことを確かめようと頬を抓った。
・・・・・痛い。夢じゃない。
「何やってるんだ?」
「夢じゃないかと思って。だって、ずっと会いたいと思っていたのに会えなかったから・・・。」
そう言うと、ジルの顔が赤くなった。
「ジル、大丈夫?」
「あ、ああ・・・。何でもない。」
気まずそうなジルに、マーサが肩をすくめる。
「フィリスはほんと直球よね。純粋というか素直すぎるというか・・・。こんな所で青春しないでよね。それよりジル、あなた会いに来るの遅すぎるわよ!城に来てからいったいどれだけ経ったと思ってるの?」
マーサの勢いに押されるように、ジルは後ろに一歩下がった。
「とにかく、積もる話もあるでしょうし二人で散歩でも行ってらっしゃい。オリヴィア様には私からうまく話しておくから。」
「でも・・・・。」
「いいのよたまには。息抜きしてらっしゃい。ジル、あなたと連絡が取れないと何かと困るのよね。オルグに聞いてもあなたのいる場所は誰も知らないっていうし・・・。魔術師の仕事内容を詮索する気はないけど、連絡経路を作ってもらえないかしら?」
真剣な顔になったマーサに、ジルは神妙に頷いた。
「わかった。何か考えるよ。じゃあ、フィリスを借りていく。遅くならないように返すよ。」
そう言って、ジルは私の腕をとった。
「ゆっくりどうぞ~。」
マーサはヒラヒラと手を振った。私もマーサに手を振り返して、ジルと一緒に厨房を出た。
ジルは私が通った事のない廊下をいくつか曲がると、人気のない中庭に私を誘った。
建物の壁際に座ると、私にも隣に座るよう勧める。
「その服、なかなか似合ってる。仕事にはもう慣れたか?」
久しぶりに聞く優しい声に、胸がドキドキする。私は何とか平静を装って答えた。
「うん。マーサが丁寧に教えてくれるから・・・。」
「そうか。何か困ってることはないか?」
「何もないよ。」
ここでは、珍しい緑の目も揶揄されることがない。仕事に失敗してもご飯を抜かれることもないし、理不尽に怒鳴りつけられたり、邪険に扱われることもない。
誰かに会うたびに何か言われるのではないかとビクビクする必要もない。
オリヴィアとも、距離さえ間違わなければうまくやっていく自信があるし、頼りにされなくてもオリヴィアのためにできる事はたくさんある。
これ以上望むことなど、何もなかった。
「ジル、ありがとう。」
そんな事を考えていたら、自然と言葉がこぼれた。
「うん?」
「私を村から連れてきてくれて・・・。世界は、こんなに温かかったんだね。」
ジルが見せてくれた村の外の世界は、とても明るい。
それに比べてダーナの村は、何故あんなにも暗く冷たく感じるのだろうか。
「・・・・・フィリス。」
名を呼ばれて顔を上げると、ジルが眩しそうな目で私を見ていた。
それっきり何も言わずに私を見つめるジルに居心地が悪くなって、私はつい俯いてしまった。
二人の間に沈黙が流れたが、それは不快なものではなかった。
ただ黙って座っているだけで、温かい何かが二人の間で通じ合っているような気がした。
「そうだ、そろそろフィリスも休暇がもらえるはずだ。そうしたら一緒に帝都を見に行かないか?」
沈黙を破ったのはジルの方だった。
「休暇?」
「ああ。一ヶ月につき4日もらえることになってる。仕事の都合にあわせて、休みはいつ使ってもいいんだ。」
そんなルールがあったとは知らなかった。
「病気じゃないのに、休んでもいいの?」
「病気?・・・ああ、フィリスの村には、そもそも休暇っていう考え方がないんだな。」
それからジルは、休暇の制度について簡単に教えてくれた。
「でも、マーサは一日も休んでないみたいだけど・・・。」
マーサはもうずっと長いあいだお城で働いているようだけど、なぜ休まないのだろう?
「花嫁候補に付く侍女は、主が城の生活に慣れるまで休みを取らないんだ。それも大体ひと月くらいが通例だから、マーサも適当に休みを取るんじゃないかな。」
ひとしきり話して、ジルはため息をついてから立ち上がった。
「そろそろ送ろう。あんまり長い間拘束すると、次から会わせてもらえなくなる。」
そう苦笑して、私の手を引っ張って立たせてくれた。
「ジル、また会える?」
東の庭園の入り口でそう聞くと、ジルはいつものように私の頭をポンポンと叩いた。
「もちろんだ。約束しただろ?今度はそう遠くないうちに会おう。さあ、行っておいで。」
私は頷いて、ジルに手を振った。
オリヴィアの部屋に戻ると、マーサの姿がなかった。
「マーサなら、あなたの代わりに外を掃いているわ。」
オリヴィアは飲んでいたお茶を置いて、椅子から立ち上がった。
「ねえ、急な仕事を頼まれたってマーサは言ってたけど、本当は何処で何をしていたのかしら?」
顔は微笑んでいるのに、口調には明らかに攻撃の色が見えた。
私は答えることができずに口ごもってしまう。
「自分の仕事を放棄して、遊んでいたの?・・・・・フィリス、やっぱりあなたは駄目ね。厳しくしないと、すぐにさぼろうとして。」
それ以上聞いていられなくて、とっさに私は口を開いた。
「ごめんなさいっ!あの、ジルに会って、それで少し話を・・・。」
「それで、マーサに自分の仕事をやらせて平気で遊んでいたの?悪い子ね。フィリス、反省しなくては駄目よ?」
オリヴィアの言うことは、決して間違いではなくて。
罪悪感が胸に突き刺さった。
「マーサの優しさに付け込むのはいい加減やめなさい。足を引っ張っているのが何故分からないの?」
言い返すこともできず、私は唇を噛むことしかできなかった。
「しばらく顔を見せなくていいわ。私が許可するまで、部屋に入ってきては駄目よ。」
「・・・・はい。オリヴィア様。」
なんとか返事をして、退室する。
泣きたくなるのをなんとか我慢して、外に出た。
「あら、フィリス。早かったのね!ジルとはゆっくり話せ・・・・フィリス、どうしたの?ジルに何か言われた!?」
マーサは持っていたほうきを放り出すと、私に駆け寄った。
「違うの。ごめんなさい、マーサ。私、自分のことばっかりで、マーサに甘えてた。」
「フィリス?何を言ってるの?これくらいのこと、仲間内じゃしょっちゅうあることよ?甘えるうちに入らないじゃない。」
私はそれに頭を振って、落ちたほうきを取り上げた。
「今日のことだけじゃない。私、マーサを頼りすぎてた。私ね、オリヴィア様に叱られちゃったの。しばらく部屋にも入れないから、外回りの仕事頑張るね。」
村を出て、みんなに優しくしてもらって、少しいい気になりすぎていたのかも知れない。
私が仕事を覚えようと必死になればなるほど、それを教えるマーサの時間を拘束することになる。
オリヴィアに言われて、初めてそう考えられた。
それなのにジルに会って浮かれて、マーサの仕事を増やしてしまった。
マーサの言うとおり、こういったことは仲間内ではあることなのかも知れない。
でも今の私はマーサに助けてもらうことはあっても、マーサを助けることができない・・・。
「フィリス、オリヴィア様があなたに何を言ったのかは分からないけどね、私はあなたに頼られて嬉しいし、頼られて迷惑だなんて一度だって思ったことないのよ?だってそうでしょう?確かにフィリスは仕事のことも世の中のことも、何にも知らないわ。けど、私に追いつこうといつだって一生懸命なの、私ちゃんと分かってる!」
そう言われて、また涙腺が緩んでくる。
必死に涙を堪える私を、マーサはギュッと抱きしめてくれた。
「あなたはちょっと頑張りすぎ!むしろもっと周りの大人に甘えなさい。オリヴィア様には、私からとりなしてみるから。ね?」
声を出すと嗚咽になりそうで、私は何度も頷いた。