第10章 青い花(SIDEジル)
城の最上階にある自室で、俺は朝から何度目かのため息をついた。
外はいい天気で、窓から入る風は春らしい暖かな空気を運んでくる。
それなのに、俺の気分は少しも軽くならなかった。
「今年の花嫁候補たちもようやくそろったというのに、その顔はなんとかなりませんか?娘達が怖がります。」
そう言ったのは、エストアの宰相、コンラートだ。
金髪碧眼で王子様のような甘い顔立をしている。ただし、甘いのは顔だけということは、彼と話せばすぐに分かる。
初対面で彼に惹かれた女性は、30分に満たない会話でみんな逃げ出してしまう。
「怒ってるわけじゃあるまいし、何を怖がる必要がある?」
そう言うと、今度はコンラートがため息をついた。
「相変わらず自覚のない方ですね。あなたのそのお顔だと、無表情なだけで十分怖いんですよ。年頃の娘というものは特に傷つきやすいのですから、配慮していただかなくては困ります。」
「酷い言い様だな。心配しなくても、人前では気をつけてるだろう?」
自分の顔が、人から見てとても綺麗なものなのだということは分かっている。
ほんの少し微笑んだだけで大抵の女性は頬を染めて俯いてしまうし、少し目を細めてやるだけで大の大人でも怯んでしまう。
「それは存じ上げておりますが、最近隠しきれていないようですので・・・。」
その言葉に俺はふてくされて窓の外を見た。
大体、誰のせいだと思っているのか。
城に戻った途端日ごろの恨みでも晴らすかのように仕事を押し付けてきて、フィリスと会う時間どころか言葉通りに寝る間もない。
あれから、もう半月近く経つ。
仕事にはもう慣れただろうか?マーサがついているから心配はないと思うが、オリヴィアにまた何か言われたりしていないだろうか?
様子を見に行くと約束したのに全く連絡もしてこない俺のことを、どう思っているのだろう?
そんな事を考えては仕事の手を早めるが、嫌味のように増えていく仕事は無くなる事を知らなかった。
「今日は、花嫁たちとはじめての親睦会ですよ?嘘でももう少しうれしそうな顔はできませんか?」
「もうそんな時期か、そういえば、この前会った娘が最後だと言っていたな・・・。」
すっかり忘れていた。ここ数年ですっかり恒例となった行事だが、今まで会った花嫁候補はすでに数十人にのぼる。
正直、もう新鮮さもなにもない。
「どうですか?今年の娘たちは。少しでも気になる者はいませんか?」
「そうだな・・・・・」
正直、はっきりと顔を覚えている娘など一人もいない。
しばらく一緒に旅をしたオリヴィアでさえ、うろ覚えでしかなかった。
気になる娘といえば、今はフィリスしかいない。
あの子の顔だけは、はっきりと思い出せる。
花祭りの時のフィリスは、本当に妖精のようだった。
フィリスはオリヴィアの事をよく妖精のようだと例えるが、俺にとってはフィリスの方がよほど妖精のように見える。
純粋で、フワフワしていて、気がつくとどこかに消えていってしまいそうだ。
「・・・コンラート、お前、顔が変になってる。」
コンラートの方を見ると、こいつにしては珍しい顔をしていた。
鳩が豆鉄砲をくらったような・・・というのだろうか?
「も、もしかして誰かお気に召す者がいましたか?」
「花嫁の話か?いや、残念だがいないな。そもそも一度会っただけで気に入るもなにもあるまい。そう急くな。別に花嫁がいなくともすぐに王がいなくなるわけじゃない。仮に盟約が終わっても、お前たちには準備をする時間が十分に与えられる。」
そう言うと、コンラートは目に見えて落ち込んだ顔をした。
竜族の総意としては、別に盟約を継続させる必要はないと考えている。
大陸は統一され、人間によって分割されきちんと統治されている。
戦争は終わり平和が続き、竜の王によってもたらされた知識と知恵は十分に広まったと考えていいだろう。
まして花嫁が与えられなくとも、俺は竜王に代わる人間の王が王座につくまで、役目を放棄するつもりはない。
何も無理に人間の娘を差し出す必要などないのだ。
「あなた以上にこの大陸をまとめられる者などいないでしょう。あなただからこそ、大陸の国々は恭順を示すのです。」
「それを心配していては、いつまでたっても人間は竜族に頼りっぱなしだ。お前たちは、人間の国を人間だけで動かしたいとは思わないのか?」
「・・・それほどのカリスマを持つ者がいないのです、陛下。宗主国の王座をめぐり、人間はまた争いを始めるでしょう。人間とは、そういう強欲なものなのです。」
苦虫を噛み潰したようなコンラートに、俺は肩をすくめた。
この議論はきっと大陸のあちこちで何度も行われてきたことだろう。
色んな意見があるだろうが、多くの人間の意見がコンラートと同じなのも知っている。
微妙な空気になった時、部屋の扉をノックする音がした。
「陛下、いらっしゃいますか?」
「ああ。入れ。」
入ってきたのは、ガントだった。
「失礼致します、陛下・・・。」
ガントは、コンラートを見ると微妙な顔をした。
「どうしたガント、何かあったか?」
「は、はあ・・・・・。宰相殿もおいででしたか。」
「私がいると、何か不都合でも?」
「い、いやあ、そんな事はありませんが。・・・陛下、東の庭園で見慣れぬ侍女が困っておる様子でしたぞ。」
ガントは最初迷っていたようだが、すぐに気を取り直してそう告げた。
コンラートは何の話だと言いたげに眉を潜めたが、俺は次の瞬間、座っていた椅子をけり倒すようにして立ち上がった。
「少し外す。茶会の前には必ず戻るから、悪いがあとを頼む。」
扉に向かって歩く数歩の間に、竜王の姿から人間の姿へと姿を変える。
クローゼットから軍服を取り出して着替えようとすると、ガントに止められた。
「いけません!東の庭園に入れるのは王だけです!他の男は王と共にでなければ入る事を許可されません!」
「この姿でないと、フィリスは俺が分からないだろう?」
何を言ってるんだ、という目で見ると、ガントも同じような目で俺を見た。
「ルールはルールです!王のお姿であっても、できることはありましょう。」
そう言われて、俺はしぶしぶ元の姿に戻った。
そもそも、俺は生まれつき3つの姿を持っている。
竜の姿、竜なら誰でも持っている竜人の姿。そして、人である母から受け継いだ、人の姿。
フィリスが知っているのは、人の姿だ。
どれもが真の姿であり、どれが本当の姿というのもない。
だが俺が人の姿を持っていることだけは、ごくわずかな人間にしか知らせていない。
息抜きをしたいときに、この姿はとても便利だったからだ。
「・・・とにかく行って来る。」
余計な事を考えてる暇はない。
俺は人通りの少ない道を選んで東の庭園に急いだ。
庭園につくと、フィリスはすぐに見つかった。
はじめてみる制服姿に顔がほころぶ。
紺色のワンピースに白いエプロンをつけ、三角巾で髪をまとめている。
フィリスは浮かない顔であたりを見回しては、困った顔でうなだれた。
俺はフィリスにそっと近づくと、思い切って声をかけた。
「探し物は何かな?」
フィリスは俺を見ると、驚いた顔で固まった。
ここまでは大抵の女と反応は変わらない。
「さっきから、ずっとこの辺を歩いていただろう?」
けれど、頬を染めない所は他の女とは違っていた。
人間の女受けがいいこの顔は、どうやらフィリスには効果がないらしい。
「話してごらん?力になれるかも知れないよ?」
警戒を解くようにやさしく言うと、フィリスは思い切ったように話した。
「あの、青いバラの花をどこかで見ませんでしたか?」
青いバラ?そんな品種は見た事も聞いた事もないが・・・。
「もうバラの時期でもないからな。しかも青いバラとは・・・それは、君の主の希望かな?」
もしかして、と思って聞くと、フィリスはそれに頷いた。
やはりそうか。おそらく、オリヴィアは何らかの理由でフィリスを自分の側から離したかったのだろう。もしくは明らかにフィリスの失態を望んでいるようにも思える。
彼女がフィリスをこうまでぞんざいに扱うのは、いったい何故だろうか?
オリヴィアがフィリスをどう思っているかはともかく、フィリスがオリヴィアを慕っているのは間違いない。
そしてその気持ちを踏みにじる事は、俺にはできなかった。
「バラはもう咲いていないだろう。代わり違う花では駄目か?」
そう言うと、フィリスは暗い表情になった。その事に焦って、適当にその辺の花を手折った。
「・・・では、これではどうかな。」
かろうじて平静を装ったが、フィリスが悲しそうにすると心臓が手で捕まれたように痛くなるのだ。
「青い花というのは、もともと少ないんだよ。この花も、種類は多いが青い色はない。」
手をかざして花びらの色を青色に変えると、フィリスは目を丸くしておどろいた。
まるで、初めて会ったあの日のように・・・。
「持って行くといい。これなら、バラでなくとも君の主ががっかりすることはないだろう。」
「・・・ありがとうございます。」
ようやく見れた笑顔にほっとする。
「気をつけてもどりなさい。それから、ここで私と会ったことは絶対に誰にも話してはいけない。いいね?」
余計な混乱を招くことは、本意ではないから。
「・・・?分かりました。本当にありがとうございました!」
駆けていくフィリスを見送って、俺はふと考えた。
俺が竜王だと分かったら、あの子はどう思うのだろうか?
午後に行われた茶会のテーブルには、青い花が一輪、飾られていた。
オリヴィアの後ろにはマーサが控えている。
フィリスの姿は見当たらなかった・・・・・。