嫉妬は醜い
帰り道も僕はずっと不機嫌だった。榛奈さんとろくに話もできなかったばかりか、彼女は関係なかったはずの端島を気に入ってしまったようで、僕にはどうにも納得がいかなかった。
「いやあ、可愛い子だったな、榛奈ちゃんって」
僕は、端島の自転車の後ろに座りながら黙りこくっていた。これは間違いなく嫉妬に違いない。今日、彼女が他の男と喋るのを見て僕ははっきり確信した。僕は彼女が好きなのだと。
「見慣れない制服着てたけど、どこだろうな。お前、知ってんのか?」
そんな事に全く気付いていない様子の端島は、能天気に僕に語りかけ続けた。こいつに悪気がないのはよくわかっている。何より僕は彼女と端島が会うように仕向けた張本人だ。少しぐらい二人が仲良くなったからって、僕がそれに腹を立てるのは端島にとっても理不尽極まりない事のように思える。ただ、僕は彼女が最後に残した一言がいつまでも心の中で引っかかっていた。
「私たちの夕暮れ廃墟倶楽部へ、ようこそ」
これはどう考えても端島を倶楽部のメンバーとして認めるという宣誓だ。二人だけの甘美なる秘密とたかをくくっていた僕、そんな存在だったはずの倶楽部は、彼女の放った一言により、いとも簡単にそのベールが剥げ落ちてしまった。
「おい、どうしたんだよ、黙っちゃって」
端島には倶楽部に入る資格があるのかどうか、確認しておく必要があると思った。僕たちの倶楽部のメンバーは、少なくとも廃墟を愛していなければならない。そして、夕暮れを愛でる耽美心を備えている事が望まれる。鈍感でガサツな端島には、そんなものが微塵も感じられないが。
「それよりも、あの場所はどうだった?」
「ああ、野原な。寂れたうちの街の中でも特に寂れてる場所だな」
「お前は、あの場所、気に入ったのか?」
「うーん、結構面白い場所だとは思ったな。変な柱があるし」
「……面白いって、どんな風にだよ」
「え? お前が思ってるのとおんなじような感じじゃねえの? たぶん」
「お、お前と一緒にするなよ」
「そうか? 俺もまたあそこに行ってみたいと思うぜ。あの子もそう言ったしな!」
端島は話をはぐらかす天才だと思う事がたまにあるが、今回もこいつはその才能を如何なく発揮して、結局僕にはこいつの廃墟観がさっぱりわからなかった。ただ、間違いなく言える事は、端島が僕の強力なライバルになる恐れがある、という事だ。こんな、女の子目的でホイホイと僕たちの崇高な廃墟に来るような奴に、倶楽部を汚して欲しくない。汚れた心の持ち主は、あの場所に足を踏み入れるべきじゃないんだ!
「お前もあの子に会いたいんだろ? また行こうぜ!」
「僕? 僕は……」
そうだ。僕はハッとした。こいつに言われて、最近の僕が榛奈さん目的であの場所に行っている、という事に気付いたんだ。ならば僕もこいつと変わらない、ただの軟派な、どこにでもいそうな普通の青少年じゃないか。僕は今まで、自分が孤高で、ある種浮世離れしていて、それでいて大人びた、平凡な学生には到達できない人間であるとひそかに自惚れていたのだ。そんな僕の価値を知り、共感し、時間も気持ちも共有してくれた可愛い榛奈さん。いつしか僕はそんな彼女に認められるほどの特異さを失ってしまい、スケベ心丸出しな下衆男に成り下がってしまったんじゃないだろうか。それを考えた時、僕は僕自身に非常にガッカリした。だってそうなってしまったら、僕だって倶楽部にいる資格がないような気がしてしまったから。
「だけど、変な子だよなあ。言動がさ。人を食った性格っていうか……いきなり訳分からん事言って帰っちゃうし……何だっけ、廃墟倶楽部とか」
彼女はいつも突然帰ってしまう。僕にそれを止める権利はない。ただ、彼女が人を食ったような性格だという意見に関しては、僕も端島に同意だ。現にこうして僕は彼女の言動に振り回されっぱなしで、それは未だに続いている。今にして思えば、彼女は僕の下心を見抜いていたのかもしれない。だから僕と過度に仲良くなるのを避けていたに違いない。それは、廃墟の崇高さを保つためには必要な事なんだ。そうだ、僕は彼女を同志と認めたんじゃなかったか。同じ廃墟と風景を愛する仲間として。僕は原点に立ち返る必要がある。
「なあ、そろそろちゃんと教えてくれよ、その倶楽部の事」
頭では分かっているんだ。彼女が言う「お互いに邪魔をしない」の意味はこういう事だ。つまり、夕暮れと廃墟を愛し、それらのみを大事にする。ただ……彼女の魅力に抗えない僕もここに存在する。今日だって、もし彼女に出会っていなかったら、怪我を押して廃墟に行こうなんて考えただろうか。いや、彼女にこれ以上嫌われないために、僕は下心を消し去る必要がある。……ん? 矛盾したことを言っていないか?
「……あくまで秘密なのか? 黙っちゃってさ」
僕の頭は激しく混乱していた。くそっ、何でこんな事になっちゃったんだ! そうだ、端島だ。こいつが榛奈さんと仲良くしているから、僕は自分を見失っているんだ! だけど、もし僕の考えが正しいなら、榛奈さんは僕だけじゃなく端島にも関心が無いはずだ。じゃあ、どうして僕たちの倶楽部にこいつを引き入れようとなんかしたんだろう。
「おい、端島」
僕は思わず呼びかけてしまった。
「何だ? ようやくしゃべりだしたか」
「お前、あの子を好きになったか?」
「は? どういう意味だよ」
「だから、惚れたっていうか……」
「……プッ」
僕は真剣そのもだった。なのに端島は突然吹き出す。
「はははっ! ないわ!」
端島の答えは僕を唖然とさせた。勝手にこいつをライバルだと勘違いしていた僕を。
「俺、ああいう不思議系の子はダメなんだわ! まあ、すごく可愛いけどな!」
「そ、そうか……」
端島の性格にはあんな繊細な子は似合わない。そりゃそうだ。僕は自分がとても安堵している事に気付いた。
「それに、俺はお前が狙ってる子なんか取らねえよ!」
端島が肘で僕を小突いた。僕は顔が真っ赤になるのを感じた。いや、それはともかく、榛奈さんが端島を引き入れようとした理由も少しだが分かった気がする。こいつには下心が存在しないからだ。端島が廃墟好きにはとても見えないけれど、これから彼女がその魅力を教えようとしているのかもしれない。
「言っただろ、協力してやるって。ちょっと難しそうな子だけどな」
僕のヤキモキした心に全く気付いていなかったくせに、端島は偉そうに僕に協力を申し出る。そう思うならもうちょっと気を使ってくれ!
「……とりあえず焦らないことにする」
「ふーん、わかったよ」
さんざん考えた挙句、僕が出した答えは、「現状維持」だった。
~~
「ねぇ、お客さんよ。また同じ先輩よ」
同じクラスの女子が僕の机にやってきて僕に言った。
「ああ、兵庫先輩か……」
僕はつぶやきながらノロノロと立ち上がる。また地学部に来いとか言うんだろう。
「きれいな先輩と付き合うのはいいけど、あんまり入り口でイチャイチャしないでよね。邪魔なんだから」
女子が何やら文句を言う。何でそういう勘違いができるのか僕にはさっぱりわからない。
「付き合ってもないし、イチャイチャもしてないし、端島と同じような事言うなよ」
吐き捨てながら教室の扉に向かう。ここのところ毎日のように兵庫先輩は僕の教室にやって来る。よっぽどいいカモにされたんだろう。それにしても、初対面の時も薄々は感じていたけど、兵庫先輩って同性から見てもきれいなのか、やっぱり。
「やっ! もう足もすっかり治ったんでしょ! そろそろ来なさいよ!」
兵庫先輩は相変わらず元気いっぱいに僕に笑いかけた。
「いえ、だって天体観測は週一回でしょ」
僕が面倒くさそうに答えると、兵庫先輩はヤレヤレといった表情で僕に言った。
「何言ってんの。地学部の活動は天体観測だけじゃないのよ」
「へぇ……」
とにかく僕には興味のない事だ。断ろうとしていたその時、後ろで声がした。
「よう、何してんだ?……あ、金色……」
端島は兵庫先輩には気付いていなかったようで、その姿を見つけるや否や、思わず先輩のあだ名を声に出しそうになって、あわてて口を閉じた。このあだ名、やっぱり先輩の前では禁句なんだな……。
「ふふん、とにかく、活動に参加してね! 君はホープなんだから!」
兵庫先輩が無邪気に言う。いやいや、勝手にそんな。
「ほぅ、よかったじゃんかよ!」
端島まで同意する始末だ。うんざりする僕を横目に見ながら、今度は先輩は端島の方に向き直った。
「君もよ、今週の天体観測!」
「……は?」
端島がきょとんとする。僕だって同じだ。
「君が当番! 端島軍平君!」
「あの……何の……」
「地学部員でしょ! ちゃぁんと部員名簿に載ってるんだから!」
「……へ?」