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雨天は嫌い

ところが、午後からだんだんと雲行きが怪しくなり、授業が全て終わるころには厚い黒雲が空をすっかり覆ってしまった。


「こりゃあ、いつ降り出してもおかしくないぞ」


端島が窓から顔を出し、空を見上げながら言った。


「早く帰ろうぜ、今ならまだ間に合うぞ」


手早く教科書やノートをカバンに詰め込んだ端島が、教室を出ながら僕に声をかける。僕は、悩んでいた。


「うん……いや、ちょっと用事があるから」


「急ぎなのか? それは」


「ああ、まあな」


「そうか。俺はさっさと下校するわ。じゃあな」


「またな」


端島が帰ってしまった後も、僕は考えていた。今日みたいな天気の日に、彼女は来るのだろうか、と。雨が降ってしまったら、廃墟を楽しむどころの騒ぎじゃない。いくらあの子が廃墟好きだからって、冷たい雨に打たれてまで行くほど魅力的のある場所だとはとても思えない。僕だってそんなのはまっぴらごめんだ。


「うーん、どうしよう……」


僕は自分の机がある場所から窓の向こうに広がる空を見た。だんだんと空が暗くなる。あれは間違いなく雨雲だ。ものすごい勢いで流れているところを見ると、どうやら風も強くなっているらしい。


「あー! もう!」


今日みたいな悶々とした気持ちをそのまま家に持って帰るのは、どうしても嫌だ。とりあえず行ってみよう。いなかったら、すぐに帰ればいいさ。僕は自分のカバンをつかむと、自転車置き場の方へと走った。


~~


「はぁ、はぁ……」


間に合った。まだ雨は降り出してはいない。僕は自転車を道路のわきに乗り捨てると、ススキ野原を橋げためがけて走って行った。すぐそばまで近寄ると、昨日よりも大きな声で呼びかける。


「伊香保さん、僕だよ」


返事は……ない。


「いないの?」


コンクリートの柱をぐるりと回ってみた。やっぱり誰もいない。今日は来ていないみたいだ。まあ……そりゃそうだ。こんな天気ならば当然だ。だいたい、あの子は毎日来るとは言わなかった。考えてみれば、毎日来れるような暇もないのかもしれない。


「ムダ足、か」


僕は橋げたを見つめた。ススキ野原は冷たい風に揺られ、さっきからざわざわと大きな音を立てている。どんどん暗くなっていく周囲の景色。空を見上げると、雲はさっきよりも厚く重なっているようだ。いつもとは違う顔を見せる廃墟。これはこれで、趣がある。夕暮れとは良い対比だな、と思った。


「……そうか、夕暮れだ」


彼女はいつも夕日を見つめていた。倶楽部の名前にすら入っている、夕暮れ。彼女はきっと夕暮れを見に来ているんだ。こんな天気の悪い日には来るはずがない。どうして早く気付かなかったのか。


「何だよ……夕暮れがないと会えないのか」


僕は橋げたに向かい合って、手を這わせながらてっぺんを見上げた。この古ぼけて使い道のなくなった柱が、今ではどこか空の一点を指し示すために存在しているように感じられる。この上、線路が残っているはずなんだ。航空写真で見たことがある。僕も登って行けるだろうか。高そうだなあ、きっと十メートル以上はあるに違いない。でも、ところどころから飛び出ている鉄骨をつかんでいけば、もしかしたら……。


ぽつ、ぽつ


橋げたを見上げながらそんなことを考えていると、雨のしずくが僕の顔に落ちてきた。僕はあわててススキ野原を抜けると、草の中に倒れている自転車を持ち上げ、すぐに飛び乗った。


「こりゃ、家に着くころにはずぶ濡れかなあ」


悪い予感はよく当たる。思った通り、自転車をこぎ出すとすぐに土砂降りが僕を襲った。


~~


あの日から毎日悪天候が続いている。今日でもう五日目だ。雨がやむことはあるけれど、厚く空を覆う雲が切れることは一度もない。僕は空を見つめながら、ため息をついた。


「どうした。まだ悩んでんのか」


端島が僕の背中をポンと叩く。


「悩み以前の問題だよ」


僕は小さくつぶやく。端島から「アドバイス」なるものを受けて以来、僕は伊香保さんに一度も会っていない。


「俺に何でも相談しろよ! 助けてやれるかもしれないぞ!」


端島が陽気に笑う。


「じゃあ、この空、何とかしてくれよ」


「空?」


「雲を全部どけてくれ」


「は? そりゃ無理だわ、俺でも」


分かっているさ。バカな事を言っていると自分で笑ってしまう。


「天気? どうしたんだよ、天気を気にするなんて」


端島がそれを言い終わらないうちに、クラスの女子が僕に近寄ってきて声をかけた。


「ねえ、お客さん来てるわよ」


そう言いながら教室の扉の方を指さす。あれは……兵庫先輩か。


「おーい! こっちこっち!」


兵庫先輩は手を振って僕を呼んでいる。恥ずかしいな、やめてくれよ……。


「はいはい……」


僕はのそのそと自分のイスから立ち上がり、扉へと向かった。


「おいおい、ほうほう!」


端島が好奇心たっぷりな目で僕を見送る。こいつには後で説明する必要があるだろう。どんな勘違いをされるか、わかったもんじゃない。僕は廊下に出て、兵庫先輩に話しかけた。


「あの、何でしょう」


「今夜の天体観測だけどね、中止にするわ」


「ああ、天体観測ですか」


「この天気だもの。ちょっと、ね」


兵庫先輩が廊下の窓からちらりと空を見た。


「そうですね、晴れそうにないですね」


僕は天体観測の事をもうすっかり忘れていた。当然、今夜天体観測が予定されていたことも忘れていたし、それに参加するつもりだってこれっぽっちもなかった。


「残念よねぇ。せっかく新しい真部員が加わったのに」


「真部員?」


「真の部員、よ。活動に参加して初めて真の部員なんだから」


兵庫先輩は、人差し指を僕の胸に押し当てた。


「君は、私によって正式に真部員と認められた、ってわけ。どう? 嬉しい?」


「いや、どうと言われても……」


「あっ! あと二人に伝えなきゃ! じゃあね!」


兵庫先輩は時計を見ると、あわてて廊下を走って行ってしまった。


「騒がしい人だなあ……」


うんざりしながら教室の方に向き直ると。


「なーるほどな」


端島がニヤニヤした顔で僕のすぐ後ろに立っていた。


「わっ! 背後霊みたいな真似するなよ!」


「天体観測、ねえ……お前が……それで天気を……そうかそうか」


端島は本当に嬉しそうな顔をしながら僕をじろじろ見ている。まったく、もう……。


「あのな……そういう……」


「しかも、お相手は『地学部の金色(こんじき)彗星』、摩耶先輩じゃないか!」


「は? 何だそれ?」


変なあだ名をつける奴もいるもんだ。そんな事よりも。


「お前、兵庫先輩の事知ってるのか?」


「有名だぞ。あの先輩、文化部連合では絶大な権力持ってるからな」


端島は腕組みをしながらしみじみという。僕にとってはすべて初耳だ。文化部が連合を作っていた事も、兵庫先輩が権力者だということも。


「あの先輩、何者なんだ?」


僕は端島に兵庫先輩について訊いてみることにした。


「何だ、知らずにアタックしてんのか? しょうがない奴だな」


「アタックはしてないぞ!」


「まあまあ、いいから。摩耶先輩はだな……」


端島はコホンとひとつわざとらしい咳をして、話を続けた。


「総勢百人を超える巨大クラブ、地学部を率いる豪傑少女だ。部員が多いから、当然金も権力も彼女に集まる」


「……ふーん」


似たような話をこの前聞いたような気がするな。


「しかも抜群の政治力で、他の弱小クラブを次々と地学部に吸収合併させてるそうだ」


「……ほんとかよ」


「まあ、標的になるクラブは部員も少ないから、そこに属してた連中からも文句はあまり出ないそうだ。ただ、そのクラブに行ってた金を全部地学部がせしめるもんだから」


「敵も多そうだな」


「そうさ。睨まれてるぞ、あの人、かなり多方面から」


ただにぎやかなだけの人かと思ってたら。そんな人だったのか、兵庫先輩。


「あの人がそばを通ると、常に金の音がするそうだ。だから金色彗星」


「へぇ」


僕がいつの間にかそんな邪悪なクラブの真部員になっていたという事実を思い返し、少し身震いした。


「お前、覚悟はできたか?」


「え? 何のだよ?」


「摩耶先輩を支える覚悟だよ! 大変だぞ!」


「いやいや、だから!」


きーんこーんかーんこーん


「おっと、やべ! 課題やってねえぞ!」


端島は僕の話をさえぎって急いで自分の席に帰っていった。


「お、おい、ちょっと待てよ!」


「話はまたゆっくり聞いてやるから!」


どうすんだよ、この勘違い……。

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