少女は物知り
「でもさ、漫画だろ? どんだけ価値があるんだよ? 俺たちが必要な額はそんな生易しいもんじゃないぞ」
端島がいぶかしげな顔をしながら言う。当然の疑問だ。漫画を売って望遠鏡を買おう、なんて……。
「現在の相場では恐らく車一台買えるほどの価値でしょう」
「……!!」
僕はそれを聞いて、心臓が止まりそうになる。端島も同じだろう。奴ははっと息をのんだ後、羽幌さんに向かって興奮したように唾を飛ばしながら叫ぶ。
「い、今も!! 今もあるのか!?」
「現存しています。隠しておきました」
僕だって興奮してしまう。
「君が、君が隠したのか!」
「はい」
「な、何で……何でそんなこと知ってるの……」
「私は鉄道愛好会の会員です」
「だからって……」
何て子だ。僕と端島は羽幌さんと同じように芝生に座り込んだ。羽幌さんはどこからか小さな水筒を取り出し、湯気の立ち上るお茶をコップに注いで静かに飲んでいる。しばらくの沈黙の後、端島が思いついたように口を開く。
「なあ、それって持ち主がいるんじゃないのか?」
「いません」
「何でわかるんだよ」
「駅舎の書庫の棚の上にはこう書かれています。『ご自由にお持ちください。不要な書物があればお持ち寄りください』」
「………………」
いわゆる持ち寄り図書ってやつだ。駅構内に置かれている間、それらの本の持ち主は誰になるんだろう。駅の所有者か……すると鉱山の所有者になる……のか?
「じじつ、廃線を迎えた日、多くの本が鉱山労働者たちや関係者により持ち去られましたが、『のっくろ』及び他の幾冊かは誰も手に取ることなく、廃線後もそのまま残されました」
「な、何で……そんな貴重な本が」
「わかりません。誰もその存在を知らなかったのでしょうか」
「それで、その本は今どこに……」
「駅舎内に」
その駅に取りに行かなきゃいけないのか。この子は隠したと言ってたな。
「何で持って帰って来ないんだよ! 誰かに取られたらどうすんだよ!」
「私は構いません。私のものではありませんから」
「どういう感覚してんだ……お前」
端島は呆れたような感心したような複雑な表情で羽幌さんを見ている。
「それに、それを見つけた時、私は先輩と二人で駅舎を訪れていたのです。先輩は『そんな本など放っておけ』と」
「……それで先輩の言うことを聞いた……と」
「はい」
「あのバカ……」
そう言いかけて、端島が慌てて自分の口を手でふさいだ。
「あ……いや、今のは先輩のことじゃないから……な?」
「はい」
もしそれで必要な金が手に入るなら、夢のような話だ。でも、どうにも引っかかる。いくら何でも都合がよすぎやしないか?
「僕たちがそれをもらっても、本当にいいの?」
「私に許可を取る必要はないと思いますけれど。ただし、まだ残っていればの話です」
何かモヤモヤする。捨てられた本を拾い、持って帰って売る。それだけなのに。その時、僕は彼女が最初に言った言葉を思い出す。
「それで、君さ、さっき二つ方法があるって言ってたけど……もう一つは……」
「地学部を去られた先輩、私の記憶では尾去沢先輩という方ですが、その方が何とかしてくださるかもしれません」
羽幌さんは突然それまでと全然関係ない言葉を口に出す。尾去沢先輩? 地学部の??
「な、何でその先輩の事まで……」
「その方から学校に何度か連絡が来ています。地学部はどうか、活動は十分にできているのか、等の問い合わせが主ですが、その他にも」
「………………」
「同窓生が部費を寄付することは可能か、と。現在地学部に配分される部費の総額が告げられると、例えそれが全てなくなったとしても先輩がその額を寄付できると」
「………………」
「そうつぶやかれていたのを聞きました」
「聞きました、って……どうやって……」
この子、本当にこの学校の生徒なのか? スパイか何かじゃないのか? 僕と端島はただあっけにとられるしかなかった。その時。
キーンコーン
チャイムが鳴る。昼休みももう終わりだ。僕と端島は羽幌さんにお礼を言うと、立ち上がった。そのまま教室に戻ろうとした時、端島が立ち止まる。
「なあ、一つ訊きたいんだけど」
そのまま羽幌さんのほうを振り返った。
「何でしょう」
「お前さ、とんでもなく優秀なんだけど……なんで鉄道愛好会なんかに入ってんだ? あの先輩とじゃ全然釣り合ってないように見えるんだけど……」
うーん、確かにそうだ。
「先輩が私に最初に声を掛けて下さったからです」
「……それだけ?」
「それだけです」
「鉄道が好き……とかじゃ……」
「先輩の好きなものは好きです」
「う……うん」
兵庫先輩がこの子を地学部に引き入れる事ができなかったのが本当に悔やまれる。もしこの子が地学部にいたら、僕や端島なんかより遥かに強大な、とてつもない戦力になっていたに違いない。
「今日の話、もうちょっと詳しく教えてもらいたいから、また来るよ」
「いつですか?」
「え? じゃあ……明日の昼にでもまた……ここにいるんだよね?」
「昼食を取り終わる前ですか、後ですか?」
「ええと……」
何でこんなに細かく訊くんだろう? もしかして、昼食を邪魔された事を怒ってるのかな。全てが秩序立っているように見える彼女にとって僕たちの突然の訪問は歓迎すべき出来事でもなかったのかもしれない。
「飯食い終わった頃に来るよ。邪魔して悪かったな」
端島が僕の考えを読み取ったかのように彼女に言う。
「わかりました。どうぞ」
「じゃ」
こうして僕たちは教室に戻った。
~~
放課後。僕は地学部に行くべきかどうか迷っていた。昨日の事もあったし、それとは別に気になっていたこともあった。
橋げたに榛奈さんは来ているだろうか。僕の事をまだ覚えているだろうか。ひょっとしたら、廃墟倶楽部なんてすっかり忘れて、もう来るのをやめてしまうんじゃないだろうか。僕のために来てくれていた、なんて自惚れたくはないけど、あんなひと気のない寂しい場所に可愛い榛奈さんが一人でいるなんて危険だし、何より意味がないように思える。
……一体榛奈さんはどうしてあんな所に来たんだろう?
「行くぞ、摩耶先輩に例の情報教えなきゃ」
「……ん? あ、ああ、そうか。そうだったな」
今日の昼休みに羽幌さんから聞いた情報。もうこの学校にはいない尾去沢という先輩が望遠鏡を買う手助けをしてくれるかもしれないという情報だ。どこまで信憑性があるのか分からないけど、羽幌さんが適当な事を言うようにはどうしても思えない。
「僕も行くべきだろうか……どう思う、端島?」
「あったり前だろ! 摩耶先輩はお前の事すごく信頼してんだぞ!」
「そう……なのかなあ」
よくは分からないけど、結局僕も地学部に行くことにした。昨日の気まずい別れの後、兵庫先輩が元気を取り戻したかどうか知りたい気持ちもある。
地学準備室に向かう途中、廊下を歩きながら端島が言った。
「なあ……『のっくろ』の事は黙っとこうぜ」
「……そうだな」
それが金になるなら夢のような話だけど、確実とは言えない。ぬか喜びさせないためにも今は黙っておいた方がいいだろう。というより地学部の先輩たちがそれを本気にするとも思えないけど。