敵は侮れない
「いやいや……だって、望遠鏡を売るのはいくらなんでもやりすぎだよ」
白石先輩が肩をすくめる。
「だから、方々から助けを借りればもっと手っ取り早く優れた設備を使えるじゃないかってずっと言ってるのに。聞く耳持たないのはお互い様さ」
人当たりの良さ、流暢で明快なしゃべり、そして誰も知らない小惑星の軌道予測までやってのける聡明さ。確かに、白石先輩ならそれなりの設備や資金を持つ人たちを簡単に説得できるかもしれない。
「ダメよ、何度も言ってるでしょ。地学部が見つけるの。私たちが、私たちだけで、誰よりも早く」
兵庫先輩が言う『私たち』に白石先輩が入ってるのは間違いないだろうけど、そこには僕や端島もカウントされているんだろうかとふと考える。まあ……打ち明けてくれたんだし、きっと僕たちの事も信用してくれてる気はするけど。
「はーぁ、困ったな。ねえ、まぁや、これがばれたら、小惑星を見つけてもまたすぐに地学部はお取り潰しだよ」
その時、兵庫先輩が顔を上げ、そのままキッと白石先輩の方を睨みつける。僕は周りの空気が一瞬張りつめたのを感じた。
「いいわよ! それさえ見つかれば! 小惑星が見つからなきゃ意味ないのよ! こんな部にいたって! こんな部なんか……」
そこまで言って、兵庫先輩がハッとしたような表情を浮かべて固まる。僕は白石先輩の穏やかな表情が冷えていくのを見逃さなかった。
一瞬で地学準備室がとても居心地の悪い空間になる。誰も何もしゃべらない。何をしゃべっていいのかわからない。僕は兵庫先輩が言葉を継いでくれるのを待った。いや、あるいは白石先輩がいつものように優しく兵庫先輩を諭すのを。
だけど、二人とも何も言わない。きっと兵庫先輩は後悔のために。白石先輩は怒りのために。
おい、端島、何とか言えよ。
隣をちらりと見ると、端島は何ともいえない気持ち悪い薄ら笑いを浮かべ、僕の方を見ている。きっと僕も同じ表情をしているに違いない。
「………………」
その時。
「おい、ちょっと入るぞ!」
突然ドアがガラガラと開く。僕たちはいっせいに振り返った。
自信に満ちあふれた顔をした男子生徒が一人、それからその隣におかっぱ頭のとても小柄な女子生徒が一人。一瞬見ただけだと親子かと見まがうほどの身長差と外見だ。男子生徒とは違い、その小柄な女子生徒はとても落ち着き払っている。いや、感情がないのかと思うほどに無表情だ。だけどその冷たい表情は凛としていて、外見とは似つかわしくない大人びて落ち着いた雰囲気をかもし出している。
「……また来たんだ」
白石先輩が下を向いてため息交じりに小さくつぶやいた。あの二人を知っているみたいだ。
「お前ら、とんでもないな! びっくりしたぞ! ほんとにびっくりだ!」
男子生徒が突然喚き散らす。兵庫先輩がそれに即座に反応するかのように叫び返す。
「あんたたち、誰よ!」
「……な! 何度も会ってんだろ!」
ひるむ男子生徒。兵庫先輩はイスから立ち上がって仁王立ちになる。
「何の用よ!」
「大切なお話です。そうですね、先輩」
騒がしい来客の隣に立つ小学生のような外見の女の子が口を開いた。
「……そうだ! 俺は兵庫摩耶に話があるんだ!」
「……あのうるさい方、僕と同じクラスなんだ。まぁやにいつも食って掛かる奴さ」
白石先輩が声をひそめて僕たちに言った。
「自分の部をまぁやに潰されたと思って恨んでるんだ。さっきまで引き止めていたんだけど、僕はどうやら説得に失敗したらしい。しかし、やっかいだな」
この情報から察するに、男子生徒は兵庫先輩や白石先輩と同じ学年、つまり僕や端島より一つ上の先輩という事になる。兵庫先輩は男子生徒の事を知らないようなそぶりだけど、どうなってんだろう。
「あいつはすぐに追い出せるとしても、隣の子。あの子はちょっと一筋縄ではいかないんだ……留萌ちゃん、さっきはいなかったのになあ」
僕も端島もあっけにとられたまま入り口に立つ二人をただ無言で眺めるだけだ。
「鉄道愛好会の天塩住吉会長と、会員の羽幌留萌です。兵庫先輩にひとつお訊きしたい事があります」
その一筋縄ではいかないらしい、羽幌留萌と名乗った少女が自己紹介をする。
「……ああ、鉄道の子たちね。ああ、そうだったわ。それで?」
「お、お前……ちゃんと覚えてろよ……それぐらい」
「だって、覚えにくいもん、あんたたち」
兵庫先輩は全く興味ないという感じで緊張をほどき、ぷいっと顔を横に向ける。こういうやり取りを何度もしているらしく、兵庫先輩はすっかり慣れ切った様子だ。
「消えた望遠鏡! これだけ言えば、わかるよな?」
得意げに、いや、イヤミっぽさ満点でそういう先輩。兵庫先輩の顔が一瞬だけひきつる。
「何言ってんのよ! 活動費の事ならちゃんと配分してるでしょ!」
「活動費があんだけなんて、お前が潰す前は三倍あったんだぞ! この横暴野郎!」
「あんたたち二人しかいない愛好会なんだから、あれでも多すぎるくらいよ」
「俺たちの部は金がかかるんだ!」
「鉄道のおもちゃ買ってるだけじゃないの。教室にあんなの並べないでよ、邪魔なんだから」
「お前! また俺の部をバカにすんのか!!」
話がどんどんそれていく。興奮する天塩先輩の横でそれを見かねた様子の羽幌さんが冷静に会話に割って入る。
「兵庫先輩。この部屋には望遠鏡がありませんね?」
「望遠鏡……そう、望遠鏡だ! お前らはそれを売って金にするつもりだろ! な?」
思い出したような顔をして天塩先輩が羽幌さんの方を振り返る。
「はい。その通りです、先輩」
「ほらみろ! お前らの秘密、押さえたぞ! あっははは!」
「さすがです、先輩」
自分の連れにお世辞を言わせて悦に入る先輩。付き合いにくそうな人だ。いや、そんなことよりも、望遠鏡の一件を誰かに知られてしまったというのは一大事だ。
「……そんなつもりはないよ、ねえ。まぁや」
白石先輩が冷静に答え、兵庫先輩の方を向く。兵庫先輩はさっきの余裕が完全に失われて、明らかにうろたえた顔をしていた。必死に冷静さを装おうとしてるけど、完全に表に動揺が出てしまっている。
「そうよ! だいたいあんたたち、望遠鏡がどこにあるかなんて知らないでしょ! 私たちがちゃんと管理してるんだから!」
「は? どこかって? 決まってんだろ! ……ええと、どこだ?」
天塩先輩がまた羽幌さんの方を振り返る。
「放送室横の電気機器備品室の奥に真新しい段ボール箱が三箱置かれています。兵庫先輩はそれらの中に地学部備品である望遠鏡九本をひと箱につき三本ずつきれいに包装し、いつでも発送できるように準備を整えています」
「そういうことだ! おい! こんなことが許されると思ってんのか!」
自身は何の情報も持っていなかったであろう天塩先輩が得意げになって高笑いをする。
「学校の備品を横流し! 金に汚い奴だとは思ってたが、ここまでするとは……もう犯罪だぞ、これ!」
「下取りに出してしまえば、そうなります、先輩」
「今から職員室行ってやろうか! どうするよ?」
「どうしますか、地学部のみなさん」