彗星は輝く
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……そんな。
そんな、そんな、そんな、そんな! 地学部が廃部になるなんて! 私はめまいを覚え、頭の中が真っ白になって、ついに泣き出してしまった。
「ひ、兵庫さん……泣かないで……」
「うっ……えっ……えっ……」
隣に座る白石君がうろたえた様子で私に何か言っている。でも、私には何も聞こえない。何も聞きたくない。こんな絶望って、あるかしら……お兄ちゃん……。
その時、ふわりと柔かく暖かい感覚を身に受ける。一乃先輩が私を優しく抱きしめてくれているんだ。すごく嬉しい、でも、だからって私の絶望が消えるわけじゃない。
「ひ、兵庫さん……考えようよ……何とかなるかどうか……さ」
白石君はとても優しい性格の子らしい。先輩たちと何か色々しゃべって部の存続について考えてくれている。きっと彼も、地学部が好きなんだ。そう、私は一人じゃない。この部が好きだって思う誰かが一人でもいるなら、絶対に部を潰しちゃいけない! ここでくじけちゃダメだ!
「私が地学部を守ります!」
私は思わずそう叫んでいた。隣にいた白石君も、その日限りで部を去ることになっていた先輩たちも、びっくりしたような表情で私を見てたっけ。
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白石は私に脅されて半ば強引に入部させられたと思ってるみたい。でも、それは違うわ。だって、あいつは私に言われる前から地学部入部を決めてたんだもの。本人はきっと否定するだろうけど、あいつの天体に対する情熱を見ればわかる。あいつは地学部の事が心底好きなのよ。
白石の才能は、私にとってすごく大きな助けになってるの。外見は新入生のころからすごく変わっちゃったけど、あいつがこの学校で飛び抜けて優秀なのは私たちが最初に出会った頃からずっと変わってない。
「まぁや、この軌道はおかしいよ。小惑星のそれじゃない」
「でも、お兄ちゃんはまたこっちから来るって」
兄の残したノートを白石に見せて、いつ、どこに小惑星が現れるかを計算してもらっていた。私は物理みたいな理屈っぽいものがぜんぜんダメだから、こういう事は数式に強い白石に頼ってばかり。
「ほら、この部分、おとめ座方向から現れて、木星の方に突っ込んでる。これじゃ重力から抜け出せずに衝突しちゃうよ」
「そ、そうなの? じゃあ、そうなのかも……」
「だったらさ、お兄さんが観測した時にすでに衝突してるはずなんだ。ね、おかしいだろ?」
ノートを見てみると、兄のスケッチにも確かに木星が描かれている。白石がそれを元に書いた小惑星の軌道はなぜか木星の真裏でくるりと反転し、地球から遠ざかっている。
「……どう思う? こんな軌道はあり得ないけど」
「……信じるわ、お兄ちゃんを」
「……そうか。わかったよ。僕も信じてみようか」
「ありがとう、白石」
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「それでね、今月末に……」
「木星の方に向かって小惑星が来るってわけですか」
端島が感嘆のため息とともに兵庫先輩に向かってつぶやく。兵庫先輩はこっくりとうなずいた。
小惑星のこともそうだけど、僕はあの長身でハンサムな白石先輩が新入生当時は兵庫先輩ほどの背丈しかなかったことが未だに信じられずにいた。兵庫先輩の話から察するに、当時白石先輩はとてもシャイで女の子なんかとしゃべるような性格ではなかったらしい。
面白いな。人ってこんなに変わるもんなんだ。僕は冷め切ったコーヒーを飲み干しながら白石先輩にこのことを問いただすべきかどうかを考えていた。
「先輩、そんな変な小惑星、ほんとに来るんですかねえ」
端島がいぶかしげな顔をしながら言った。
「変な軌道なら、予測もできないんじゃないですか?」
「いや、それは大丈夫だよ」
突然扉の方から声がした。その声の主こそ、小惑星の到来時期を予測した張本人なのだ。
「僕の計算は絶対に間違っていないからね。そう思うだろ、まぁや?」
「その呼び方、やめてって言ってるでしょ!」
兵庫先輩が白石先輩に向かって怒鳴る。白石先輩は準備室に入ってくるとティーカップを取り、それに兵庫先輩のティーポットの中身を注ぐ。
「お兄さんじゃないとこの呼び方はダメかい? 今でも」
「もうっ!」
兵庫先輩が可愛らしくぷいっと横を向く。ああ、そういうことか。
「予測が難しいからこそ誰も観測できなかったのさ。まぁやのお兄さん、明延先輩は天才だよ」
白石先輩がまるで自分のことのように胸を張る。それを見て兵庫先輩が苦笑しながらぽつりぽつりと話しだした。
お兄さんのことだ。
「体が弱くて、空気のきれいな所に、って離れて住んでたの。ほら、この前行ったあの家よ」
ああ、兵庫邸、あれはお兄さんのためのものだったんだ。
「あそこの屋根裏にね、ずっといたのよ。お兄ちゃん。朝から晩まで。私はなかなか会わせてもらえなかったけど、たまに連れられて行った時にはこっそり屋根裏に忍び込んだりしてたわ」
「……へえ。先輩の家族って、すごい金持ちなんですね」
兵庫先輩は僕が思わず口にした言葉には答えず、ただため息交じりに苦笑するだけだ。
「それで、お兄さんはそこで小惑星を見つけたんですか?」
端島が話を続けるように兵庫先輩に促す。
「ええ、そうよ。あの時のお兄ちゃん、すごく興奮してたわ。私はまだ小さかったけど、そんなお兄ちゃんを見ることができてすごく嬉しかった」
兵庫先輩の目が潤んでくる。先輩は涙もろい。
「二人だけの秘密、って、私だけに教えてくれたの。私がある日お兄ちゃんに会いに屋根裏に忍び込んだ時にね。それで……お兄ちゃんもだいぶ良くなったからって、この学校に編入して、この教室で……過ごして……」
そこまで言うと、兵庫先輩の目から大粒の涙が数滴こぼれ落ちた。僕たちは言葉を失う。
「半年だけ、ね。でもたくさんのものを残してくれたんだ。明延先輩は」
白石先輩がしんみりした様子で壁に掲げられた大きな天体図の方に目を向ける。
「これもその一つさ。ほら、そこに彗星の絵が描いてあるだろう? 金色の」
「……ええと、ああ、これですか」
僕はおとめ座付近に小さく描き込まれた彗星を見つける。
「きっとこれ、まぁやだよ。だからさ、まぁやに金色彗星って称号を贈ったんだ。ぴったりだと思わないかい?」
「……へ?」
僕と端島は顔を見合わせた。その称号、別の意味で校内に轟き渡っている兵庫先輩の二つ名、金色彗星。これを広めたのは白石先輩だったのか。
「ええと……まあ……何というか、その称号はうちの学年でも結構有名っていうか……」
「そうなの? 名付けた僕も鼻が高いな」
嬉しそうに笑う白石先輩は、どうやらその称号がどういう意味で使われているか知らないらしい。兵庫先輩は相変わらずうつむいたままだ。
「明延先輩は、小惑星とランデブーするまぁやを描いたんじゃないかな、って思ってるのさ。ロマンあふれるだろう?」
「ええ……」
「そんなこと言って、協力してくれないくせに……」
兵庫先輩が突然唸るように白石先輩に言った。