思い出は書き換わる
「先輩、いますか」
放課後、僕たちが地学準備室のドアを開けると、兵庫先輩が壁に飾られた天体図をじっと見つめていた。
「ええ、いるわ」
兵庫先輩はこちらを向かずに答えた。
「すみません、望遠鏡の資金をどうやって手に入れるか、いい考えがまだ思い浮かばなくて」
「ううん。そんな事しなくていいのよ。ありがとう」
先輩は少し微笑んだようだったけど、相変わらず天体図から目を離そうとはしなかった。先輩はまだ地学部の望遠鏡たちを売るつもりでいるに違いない。それだけはどうしても止める必要がある。
……どうやって?
「……それ……先輩のお兄さんが作ったそうですね」
沈黙に耐えられなくなった端島がふとそう言うと、先輩がハッとしたように僕たちの方を向いた。
「どうして知ってるの?」
「あ、白石先輩が俺たちに教えてくれたんですけど……」
「……またあいつ……」
兵庫先輩は大きくため息をつくと、そばにあったイスに座った。
「ねえ、あなた達も座って。あいつ、あなた達に何を言ったの?」
「やっぱり聞いちゃまずかったんですか?」
「それは後で判断するわ。とりあえずあなた達が何を知ってるのかを聞いてからね」
「はあ」
白石先輩から教えられた情報は、兵庫先輩にとって何も不名誉な事じゃない、とは思うけど。僕たちは説明を始めた。
「先輩たちが入学した日に……」
僕は先輩にそれを伝える時、ほんの少し緊張した。もちろん端島もそうだったに違いない。二人で代わる代わる知っている事を話していき、いちいち兵庫先輩の態度に注目した。だけど先輩はこっちをじっと見たまま黙って聞いているだけで、大げさな反応は何一つ示さない。
「……というわけで、先輩はお兄さんのために小惑星を探されているんだ、と」
ひと通り話し終え、僕と端島はホッと一息ついた。
「……へぇ」
話を聞き終わると、兵庫先輩は短くそうつぶやいた後、イスから立ち上がった。ビクッとする僕たち。
「……お茶、入れましょうか。それともコーヒーがいい?」
きっと知り過ぎてしまった僕たちに怒りを向けるんじゃないか、そんな僕たちの予想に反し、兵庫先輩はにやりと笑うときびすを返して流し台の方に向かった。
「……あの……コーヒーを……」
「ぼ、僕も……」
「ちょっと待っててね」
何だかよく分からない展開に戸惑いながらも、僕たちは黙って先輩の淹れてくれるコーヒーが来るのを待った。
~~
「このお茶ね、一乃先輩の直伝なのよ。先輩、土が好きだから園芸部のアドバイザーもやっていて、いろんな植物を育てていたの。ハーブも」
兵庫先輩は自分の手元のティーカップを少し持ち上げると、僕たちに笑いながら言った。
「そうなんですか」
「すごくいい香りなのよ。私はハーブを育てる事はできないけどね」
「は、はぁ」
僕たちは振る舞われたコーヒーをすすった。
先輩はお茶を一口飲むと、ティーカップを机の上に置いて、そして僕たちの方をまっすぐ見つめた。
「兄の事も、小惑星の事も、別に隠すつもりはないわ。ううん、私の事を気にしてくれてるあなた達は、むしろそれを知っておいてほしいと思ってるの」
「そうですか……よかったです」
「……でもね!」
「は、はい!」
しおらしい兵庫先輩はここまでだった。そこまで言うと、先輩はいつもの先輩の口調に戻った。
「ちょっと違うわよ! その話! 主に白石に関する所が!」
「そ、そうなんですか?」
そういえば白石先輩はまだ来ていない。僕の中では放課後の兵庫先輩はほとんどいつも白石先輩と一緒にいる印象だけど。
「あいつ、自分の所を脚色してるわ! ほんと、ずるい」
「は、はぁ」
僕と端島は顔を見合わせた。そして端島が口を開く。
「あの、もしよかったらその部分の真相を教えてくださいよ」
「真相?」
「俺たちが聞いたのは確かに白石先輩サイドのみの情報です。摩耶先輩の方からも聞くのがフェアじゃないかと」
「……そうねぇ……まあ、いっか」
少し考えた後、兵庫先輩が軽くうなずいた。
「じゃあ、教えてあげるわ。あいつ、今のあいつと全然違ったのよ……」
~~
さあ、ついにこの学校に入学できたわ! 私はとても興奮していた。
私にとってこの学校、ううん、ここにある地学部は特別のもの。早速入部希望を伝えるために地学準備室に向かう。ずっと前から準備してきたんだもの。これから頑張らなくちゃ。
私が地学準備室の前まで来ると、ほぼ同時に初々しい雰囲気の男子生徒が一人こちらに向かってやって来る。あの子……きっと入部希望者ね。星が好きなのかしら……それとも今朝私が宣伝したのを聞いたのかしら。
「やっ! 君も地学部に入りたいの?」
私は親しげにその小柄な子に話しかけた。私も背は小さいけど、彼は私とほぼ同じ身長で、男の子の背丈としてはひときわ小さいように思える。
「……あ、ええと……うん……そうだけど」
彼はしどろもどろになりながら私に答えた。うつむいたまま、私の方を見ようともしない。
「私、兵庫摩耶。同じく地学部に入部希望よ。よろしくね」
握手をしようと手を差し出すと、彼は顔を真っ赤にしながら恐る恐る手を差し出す。私はその手を強引に握って、上下にぶんぶんと振った。
「し、白石……鉱……です」
「そう、白石君ね。さてっと。じゃあ一緒に行きましょうか」
「え、ちょ、ちょっと……待って……まだ準備が……」
「だって、入部希望なんでしょ?」
「うん……そうだけど……まだ……考えてるっていうか……」
何だかはっきりしないわね。私は少しイライラしてきて、彼にずいっと近寄って腕をつかみ、そのまま彼を引っぱりながら準備室の扉を開けた。
「新入生、兵庫摩耶と白石鉱! 地学部入部希望します!」