出会いは突然
僕の名は白石鉱。桜咲く季節。僕は今日、この学校に入学した。
転勤の多い親の都合であちこちの学校を転々としている僕にとって、どこの学校に入学するかなどという事は些末な事柄に過ぎない。たまたま入学の時期にこの土地にいて、たまたまこの学校にスムーズに入学できた。それだけの事だ。
「ふーん」
入学式の行われている体育館でぼんやりと先生のあいさつを聞きながら周りを見回す。今まで転校してきた学校とさして変わらない風景。いかにも初々しい生徒達が緊張した面持ちでお互いを探り合っているように見える。僕も最初の頃はこんな感じだったのだろうか。今では初々しさも緊張感もすっかり失われてしまった僕は、同学年の中で最も大人びて、冷めきった人間に違いない。
さて、今回はどのくらいの間同じ土地で学生生活を続けられるかな。
「し、白石君、ね。これからよろしく……」
「ああ、よろしくね」
自分の教室に戻ると、早速クラスメイト達からの怒涛の自己紹介を受ける。女子生徒の中には顔を赤らめている子も幾人かいた。
これも僕には慣れきった事だ。自分の容姿も能力もわきまえている僕は、このような態度を示されても一向に意に介さない。自惚れじゃないが、僕はどんな人からも仲良くされるようにできているのだ。まあ、どこに転校してもすんなり馴染んでしまうのは、こうした僕の性質のおかげだろうなと感謝はしている。
「入学おめでとう」
先生が来るまでの間、上級生たちがひっきりなしに教室に入って来ては自分たちの部活の宣伝をしていた。周りのクラスメイト達は目を輝かせて先輩たちの紹介に聞き入り、興奮したようにどの部活にしようだの何だのと話し合っている。
ああ、羨ましい事だ。同世代の人間たちの世界ではこんなにも感動にあふれているのか。僕は苦笑しながら周りのおしゃべりに耳を傾ける。それに比べて僕ときたら、成熟が早すぎて達観してしまい、心動かされる出来事に出会うことなどめったにない。何をやっても難なくこなせてしまう僕には、きっとどの部活に励んでも努力や達成の喜びなんて分からないんだろう。
「白石君、あの、部活、どこに入るか、決めた?」
女子生徒の一人が僕の席に近寄ってきて訊いた。
「ん? ああ、まだだよ。魅力のある部活ばかりで、迷ってるんだ」
「そ、そうよね……あの……決まったら……教えて欲しいな……」
「どうして? 君はまだ決めてないの?」
「え……ええと、白石君と同じ部活も……楽しそうかな……なんて」
「はは。そうかもね。クラスメイトと部活に励むのも、きっと楽しいだろうね」
「う、うん!」
顔を真っ赤にして微笑む女子生徒を見て、僕も彼女に微笑み返す。
ごめんね。僕は君の想いを受け入れる事ができないんだ。いや、嫌いだというわけじゃない。ただ、早熟の僕には君たちは小さな子供にしか見えない。以前同級生と付き合ったこともあったけれど、何をやっても僕の心は動かされず、結局ままごとにしかならなかった。
僕はため息をつきながら外を見た。
「はい! ちょっといいかしら!」
突然、元気で大きな女生徒の声がしたので僕は教室の入り口を見た。
小柄な女の子が仁王立ちして僕たちの教室を覗き込んでいる。
女の子はそのままずかずかと教室に入り込み、教卓のそばまで来るとそれを一度ばんと叩いた。
「注目! 注目してね!」
元気な人だ。やたら幼く見えるけど、一応は先輩なのだろう。物怖じしない態度には確かに貫禄がある。
「地学部よ! 天体、地層、フィールドワークに興味のある人! 地学準備室で待ってるわ!」
周りを見ると、皆はあっけにとられたように押し黙っている。こんなに強引では、さすがにね……。
「特に天体観測! すごいわよ! 世界に通用する知識と技術を得られます! 有名になるわよ! 有名になりたいでしょ?」
その言葉を聞いて、僕は思わず吹き出しそうになった。こんなに寂れた地方いち小都市の、決してとびぬけて優秀とも言えないこの学校。僕はいろいろな街を見てきたからわかるが、こんな所では世界に通用するどころか、ろくな活動すらできやしないさ。恐らくずっとここに住んでいたであろう彼女には、それが分からないのかもしれないが。
「はい! そこの君!」
突然、女の子が僕を指さした。不意の出来事に僕はびっくりしてしまい、思わず。
「な、何でしょう?」
答えてしまった。
「笑ったわね! いいえ、見たわよ。興味あるんでしょ! 放課後に地学準備室! いいわね! 来なかったら……わかってるわね?」
彼女はそう叫んで、僕に意地悪く笑った。
「な……」
答えに窮していた僕の返事も待たずに、彼女はもう一度教室の中を見わたすと、放課後に地学準備室と叫びながら、さっさと教室から出て行ってしまった。
困ったことになった、と僕は思った。
平穏無事を望んでいた僕なのに、学校生活の初日からとんだハプニングだ。この事項についてどう対処すればいいか、少し考える必要があるだろう。選択を誤ると後々厄介な事になりかねない。
「何よあの人、ほんとに……白石君、気にしちゃダメよ」
誰かが僕に近寄り優しくそう言った。
「あ、ああ……気にしてはいないよ」
そう答えながらも、僕は心の中で来たるべき放課後の行動パターンとその結果についてのシミュレーションを走らせ始めていたのだった。
~~
担任のあいさつはあっさりと終った。クラスメイト達はできたばかりの友達と集まって話したり一緒に帰り支度をしたりしている。
「さて、と」
黄昏れゆく地方の炭鉱都市にある中規模な学校では何もかもが味気ない。別段面白い暮らしを望んでいるわけではないが、次にどこかに移るまでのささやかな暇つぶしくらいは見つけておきたい。
そんな事を思いながら、地学部だという幼顔の女子先輩の言葉を頭の中で繰り返した。
「放課後に地学準備室!」
入部するかどうかはともかく、今日は行っておいた方がいいだろう。機転の利く僕にとって、入部しない理由を作り出すことなど造作もない。直々に指名を受けた事だし、入学早々敵を作らないためにも、一度はあの先輩に会っておこう。
僕は真新しい自分のカバンにノートやプリントをしまうと、教室を出て地学準備室に向かった。
「さあて、何が待ち構えているやら」
僕の中では、ほんの少しではあったけれど久しぶりにわくわくした気持ちが芽生え始めていた。
~~
僕が少し迷いながらも地学準備室まで来ると、扉の前で例の女子生徒が僕を待っていた。
「あっ! 来たわね。君は、ええと、今朝の」
「白石と言います。白石鉱です」
「そう! 私は兵庫摩耶よ。よろしくね、白石君!」
そう言うと、兵庫と名乗ったその女の子はにんまりと笑った。
「……それで、今日は、何をするんでしょう」
「ん? 決まってるでしょ! 入部希望を伝えるのよ!」
彼女は僕をもう入部させる気らしいが、そういう訳にはいかない。部活動に別段何の思い入れもないとはいうものの、僕だって少しは在籍する部活について吟味を重ねておきたいのだ。
「今日は、見学のみですよ」
「他の子たち、おっそいわねえ」
僕の言う事を無視するかのように、僕の肩越しに廊下を眺めながらつぶやく彼女。
「では、地学部の活動について詳しく教えていただけますか。先程は天体観測に関する高度な知識と技術を得られるとおっしゃっていましたが」
「おっかしいなあ、何人も声かけといたのに」
「あの」
「たくさんいないと困るのよ! 計画が狂うじゃないの!」
やれやれ。自己中心的な人だ。周りを振り回すタイプの女の子はあまり好きじゃないな。
「では、集まるまで待ちますよ。僕も」
交渉で優位に立つには余裕を持つことだ。僕は彼女が落ち着くのを待つことにした。
~~
しばらく待っても、地学準備室には誰も来なかった。
「来ませんね」
僕は彼女に話しかける。
「………………」
彼女は苦虫をかみつぶしたような渋い顔をしながら廊下を見つめていた。
「どうしますか? 誘いを無視した彼らには罰を与えますか?」
「……ふん、いいわ」
彼女はいらついたような表情で僕の方に向き直ると、いきなり僕の手を取って自分の顔を僕の顔に近づけた。
僕は不意打ちを食らいハッとした。女性からのアプローチを数多受けてきた僕であっても、こんなに大胆なものはあまりお目にかかったことがない。
「……白石君。君は逃げちゃダメ」
「……あの」
「わかったわね。入部するの」
「……いえ、それは……」
僕が言い終わらないうちに、彼女はまたも突然僕に背中を向けて歩き出した。僕は手を引っぱられて彼女に付いて行くほかない。
「さて、行くわ」
彼女は地学準備室の入り口に立つと、勢いよく扉を開け……そして、叫んだ。
「新入生、兵庫摩耶と白石鉱! 地学部入部希望します!」