面倒は困る
「いえ、僕が見たのは、望遠鏡がなくなっていたってことぐらいで、それ以上は何も」
今まで見たこともないような白石先輩の真剣な態度を意外に感じた僕は、何とか昨日の事を詳しく思い出そうと努力した。
「まぁや、望遠鏡のことで何か言ってたかい?」
白石先輩は相変わらず落ち着いた口調だったけど、いつもの余裕がまるで感じられない。
「いえ、そんなことを聞く暇もなく準備室を追い出されちゃったので」
「追い出したの? 君を?」
「僕と端島なんですけど……用事ついでに兵庫先輩に洋館のお礼を言おうとして準備室に行ったら、端島が偶然望遠鏡の事に気付いたんです。そこに兵庫先輩がやってきて」
「うん」
「望遠鏡がないって伝えたら、ものすごい迫力で、心配するな、誰にも言うなって……あ」
そこまで思い出して、僕は重大な事に気付いた。そうだ、僕は口止めされていたのだ。すでに榛奈さんに話してしまったし、今こうして白石先輩にも話してしまっている。部外者の榛奈さんはたぶん大丈夫だろうけど、白石先輩にまで内緒にしてたとなると、これはちょっと問題じゃないか?
「ふむ……まぁやが……」
白石先輩は考え込んでいる。この一件について知らなかったんだ。
「あの……先輩、僕、そういや口止めされてたんでした。兵庫先輩には僕の事、黙っててもらえますか?」
「ん? ああ、いいよ。僕だって地学部の関係者だからね。遅かれ早かれ気付いたと思うんだ」
兵庫先輩は顔を上げると、僕に微笑んだ。
「た、助かります……」
ホッとした僕は、それでも兵庫先輩の事が釈然としなかった。兵庫先輩が白石先輩に大きな信頼を寄せている事は、今までの態度を見ていれば明白だ。そんな白石先輩も知らない所で、兵庫先輩は何かをやろうとしている。
「白石先輩、兵庫先輩は望遠鏡で何してるんでしょうね? 地学部で望遠鏡を使う計画とか、あるんですか?」
「望遠鏡は天体観察で使ってるけど、昨日は天体観測日じゃないし、何より昼から望遠鏡を持ち出すのは、ちょっとおかしいな」
「兵庫先輩が一人で観測したかったとか、でしょうか」
「うん。でも、すべての望遠鏡がなくなっていたんだろう?」
確かに、一人で活動するなら望遠鏡は一本で十分だ。それに、望遠鏡を支える三脚は準備室にたくさん残されていた。僕にはさっぱりわからない。
「……あの、兵庫先輩の事なんですけど」
僕はこの前から思っていた疑問を白石先輩にぶつけてみることにした。
「廃洋館、いえ、兵庫邸で、何かあったんですか?」
「ん? どうして?」
少し迷ったけど、僕は端島から聞いた事を話した。
「兵庫先輩が屋根裏で泣いてて、白石先輩が慰めてたって。実は端島が見ちゃったんです」
「……ああ。見られてたのか。いや、うーん……大した事じゃない……というのもまぁやに悪いかな……ふぅむ」
そう言ったっきり白石先輩は手をあごに当てて再び考え込んでしまった。
「……いや、それが何か関係あるのかなって思っただけで……知る必要がない話であれば別にいいんですけど……ちょっと気になったので」
何やら話しづらい事のようで、僕はとっさに、これ以上聞くべきじゃないと悟った。白石先輩は笑顔に戻り僕の方を見ると、穏やかな口調で言った。
「まぁやの事、心配してくれてるんだね」
「……ええと、まあ、そうですね」
洋館に誘ったのは僕だし、地学部の先輩と言う事もある。ただ、兵庫先輩の事を訊いた一番の理由は、何の事はない、ただの好奇心だった。最近よく話すのに、僕は兵庫先輩の事を噂を通じてしか知らない。その噂も、何だかよくない類いのものばかりだ。
「まあ、隠す必要もないと思うんだけど……おや、もう昼休みが終わるね。僕もまぁやと話す事ができたから、全部わかったら君にも話すよ」
「は、はぁ」
白石先輩にはやはり何か心当たりがあるのかもしれない。だけど、僕には先輩の言いたい事がさっぱりわからなかった。そもそも兵庫先輩の態度がどうであろうと僕には何の関係もなかったはずなのに、何だか変な事に巻き込まれてしまいそうで、僕は不安になった。
「まいったなあ、言わなきゃよかった」
モヤモヤした思いを抱えたまま教室に帰ると、端島が僕を見つけて慌ててすっ飛んできた。
「おい! どこ行ってたんだよ! この大事な時に!」
端島の物凄い興奮ぶりを見て、兵庫先輩を巡る一連の出来事が僕につきまとい続けている事を知った。こいつは昼休みに先輩に会いに地学準備室に行ったのだ。そこで何かを知ったに違いない。
「あのな! 摩耶先輩! 俺さ! 聞いたんだよ! あ、いや……お前には秘密だ!」
「何なんだよ一体」
「とにかく俺は摩耶先輩を止める! お前はどうする?」
「意味わかんないよ」
「だから、望遠鏡だよ!」
「ちゃんと話せよ……」
端島の言う事は全く要領を得ない。望遠鏡がどうしたって?
「いくら部長だからって! ダメだろ!」
「望遠鏡で覗きでもしてたのか?」
「バカ! 摩耶先輩がそんなことするか! とにかく放課後! もう一度行くぞ!」
「いや、僕は放課後は廃墟へ……」
その時チャイムが鳴って、端島は大慌てで自分の席へ戻っていった。白石先輩といい端島といい、僕に思わせぶりな事ばかり言って、そのくせ何も教えようとしない。そのせいか、傍観を決め込もうとしていた僕の中にも兵庫先輩への疑念がどんどん膨らんでいく。一体先輩は何をたくらんでるんだ?
~~
放課後。端島は相変わらずやたらと張り切っていた。廃墟倶楽部を優先したい僕には奴の態度が少々うざったい。
「よし! 行くぞ!」
「ちょっと待てよ、お前一人で行けよ」
「何言ってんだ! 気にならないのか?」
「うーん……気にはなるけど……」
「じゃあ行くぞ!」
「いや、お前が顛末を教えてくれりゃいいんだよ」
「いや……俺の口からは言えん……聞きたいなら摩耶先輩から直接聞けよ、な!」
僕はホトホトうんざりしてしまった。兵庫先輩に直接会って訊くほど関心があるわけでもないし、何より僕には廃墟倶楽部があるんだ。榛奈さんとの仲を進展させる努力だけで精一杯なのに、地学部の方にも足を突っ込むわけにもいかない。
何とか端島の誘いから逃れられないかと考えていると、ほうきで床を掃いている掃除当番の姿が目に留まった。僕はとっさにある考えを思いつく。
「そうだ、今日は掃除当番だっけ」
「は? 違うだろ。お前の班じゃねえぞ」
「いや、前に代わってもらったんだよ……榛奈さんと約束があってさ、その時はどうしても早く彼女のところに行きたかったもんだから」
「そんなことあったか?」
「それで、そうだ、今日は僕が代わってあげないとな。そうだそうだ、そうだった」
僕は苦しい言い訳をしながら、疑惑の目を向ける端島をよそに掃除当番の子に近づいて、ほうきを取り上げた。
「あ……ちょっと!」
「いやいや、今日は僕が、ほら、そういう事だったろ?」
「はぁ? 何のことよ……あっ」
端島にばれないように口裏を合わせてもらう必要がある。僕はほうきを持って廊下に駈け出した。ほうきを取られたその女子は、僕を追いかけて廊下に出てきた。
「ちょっと! ふざけないで……」
そう言いかけた女子を慌てて制しながら、僕は今自分の立って居る場所が端島の視界からは死角になっていることを確認した。そして、声をひそめて女子に言う。
「僕が掃除当番代わる事になってた、って事にしてくれないか?」
「……どうしたのよ」
「もう帰っていいから。僕やっとくからさ……」
そう言いかけた時、端島が廊下に出て来た。
「おいおい、何やってんだよ!」
「いや、廊下を先にやろうと思ってさ。な?」
僕は女子に向かって妙に明るい声を出した。
「代わってくれてありがとな。例の、あれ、さ」
頼む、何も余計な事を言わないでくれ。僕は内心ヒヤヒヤしながら女子に向かって演技を続けた。彼女は釈然としない表情をしながらも、やっぱり掃除は嫌だったようで、少し考えた後、僕に言った。
「そう。お願いね」
「お、おう。この前の分も含めてきっちりやっとくから」
「ふぅん、まぁ……ありがとね」
女子が教室に戻った後、僕は端島に向かって言った。
「そういうことだからさ、先行ってくれよ」
「……お前、そこまでするか……わかったよ。俺一人で行くから。でも、何も教えてやんねえぞ」
構わないさ。僕は心の中で苦笑いした。
端島から聞かなくても白石先輩が後で何か教えてくれるような事を言ってたし、何より僕は端島のたくらみに巻き込まれたくなかったのだ。こいつの行動は無計画な事が多い。
「ああ、何だかよくわからんが、がんばれよ」
そう言って端島を見送ろうとした、その時。
「ん……あれ?」
廊下の窓の外から言い争うような声が聞こえた気がして思わずそちらに目をやると、女子生徒が一人校庭を門に向かって走っていくのが見えた。
「おい……あそこ……白石先輩がいるぞ」
端島が指さす方を見ると、確かに白石先輩が立っている。
先輩は走り去る女子生徒の背中を見つめていた。