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先輩はおかしい

「お前、何かいいことでもあったか」


ニヤニヤと窓の外を眺める僕に近寄り、先生が言った。


「ええ……はい」


僕はこみ上げる喜びを抑えられず、先生の方を見てもなお気持ちの悪い笑みを浮かべていた。


「俺の授業なんか耳に入らないほどに心奪われることなんだな」


「……はい……へへ」


「そうか、わかったよ。今日の授業分、お前の宿題に加えとくから。冷静になってから学習しろよ」


「はい……ありがとうございます……」


「ったく」


呆れたように教卓に戻って行く先生。僕は、そんなやりとりがあったことすら全然思い出せないほどに、榛奈さんとの廃墟での一日を思い返しては幸せに浸っていた。


「おいおい」


端島も呆れていた。


~~


廃洋館の奥深くに眠っていた輝ける張窓に、彼女と佇んでいた日曜日。あれほど榛奈さんを近くに感じたことはなかった。彼女は間違いなく僕に心を開いていたんだ。今思い出してもにやけてしまう、あの繊細なガラス細工のような笑顔。彼女の白く透き通った肌。天上の音楽にも匹敵するであろう心地の良い声、そして、すべてを安らぎにいざなう彼女の寝息。


「おい、端島」


「……またか」


「可愛いよなぁ……彼女」


「わかったよ……今日もう15回目だぞ、それ聞くの」


「へへ……そうか?」


「ったく、お前がこんなにノロケるとはな」


だってしょうがないじゃないか。言いたくてたまらないんだ。聞いてくれるのはこいつしかいないし、端島は僕がこんなに浮かれている理由をよく知っているから、僕の気持ちも理解してもらいやすい。


「さぁ~て。僕は今日も彼女に会わないとねえ、端島君」


「はいはい、勝手にしろよ。うまくいってんならな」


「何を言うんだ、端島君。僕たちはもう付き合っているも同然さ。あははは」


「そんなもんかよ」


「いやあ、君のおかげでもあるからねえ。今度、昼飯ぐらいならおごってあげよう!」


「そりゃどうも」


幸せの絶頂にいる僕と違い、端島はやたらと冷めていた。


「おかげって言えば、先輩たちにも礼を言っといた方がいいんじゃないか?」


「ん? そうだなあ。そりゃそうだ」


「特に摩耶先輩はあの建物の持ち主……っていうか関係者だろ」


「そう……だったな」


僕はあの時の先輩を思い出して、少し冷静になった。様子のおかしかった先輩、端島の話では屋根裏部屋で号泣していたという。


「一度、地学部に顔出した方がいいかな」


行ってみようか……でも、放課後は困るな。先輩と放課後に会うと、地学部の活動に引き込まれてしまいそうな気がする。それはまずい。僕は放課後は榛奈さんとの廃墟倶楽部で忙しいんだ。そんなことを考えていると、ちょうど教卓に山積みになっているノートが目に入った。先生が誰かに地学室へ持っていくように頼んでいる。


「準備室の鍵は開いてるからな。地学部の連中がいるよ」


「わかりました」


やり取りを聞いていた僕。


「こりゃ好都合だ」


昼休みなら長居する必要もない。今のうちに先輩にお礼を言っとこう。


「これ、持っていくんだろ?」


僕は頼まれていたクラスメイトに近寄った。


「え、ええ。そうだけど」


「地学室だろ。僕が持ってく」


「何よ急に……まあ、いいけど。じゃあ、お願い」


会話が終わらないうちに、僕はノートを抱えて教室を出た。端島も手伝ってくれるというのでノートを半分持ってもらい、僕たちは二人で地学準備室に向かった。


~~


「失礼します」


僕が準備室のドアを開けると、中はカーテンが閉められているせいか薄暗かった。


「あれ? 誰もいないぞ」


端島が準備室の中を見回して言う。確かにひと気はない。


「物騒だなあ。鍵を開けたままいなくなるなんて。まったく摩耶先輩は」


「まあ、いないんならしょうがない。ノート置いて帰るか」


僕たちは部屋の中央に置かれている大きな机に近寄った。すでに他のクラスから持ってきたらしいノートが山積みになっている。その隣に持ってきたノートを置こうとした瞬間。


「あいてっ!」


端島が何かにつまづいてノートを倒した。いっせいに崩れ落ちるノートの束。


「ああっ! 何やってんだよ端島!」


「あーあ、やっちまったわ。すまんすまん」


慌てて二人でノートを拾うために床に這いつくばる。


「なんか落ちてたんだよ。誰だよ、こんな所に物置いたのは……これか」


端島は床に落ちていた細長い棒を拾い上げた。望遠鏡に取り付ける三脚だ。


「そんなのいいから、早く拾えよ」


「珍しいな、きっちりした性格の摩耶先輩にしちゃ……ん?」


端島が急に立ち上がり、壁際の棚の方に駆け寄った。そして。


「あーっ! おい! ないぞ!」


「は?」


端島が突然叫ぶので、僕は驚いて振り返った。そのまま立ち上がり、端島に駆け寄る。


「どうしたんだよ」


「望遠鏡! 見ろよ!」


「ん? あ、あれ……」


そこは望遠鏡を重ねておいて置くスペースだった。棚の扉が開いていて、中にあるはずの望遠鏡が一本もない。


「ど、泥棒じゃないか?」


「いや……授業で使うんじゃ……」


「おい、うちに望遠鏡使う科目なんかないだろ!」


「そんなのわかんないだろ……いや、じゃあ……地学部の活動かも」


「そんな様子じゃないだろ! 見ろ、三脚はみんなあるのに!」


確かに観測のために必要な三脚はみんな棚の中にあった。


「でもなあ……考えすぎじゃ……」


僕たちがそこで立ち尽くしていると。突然。


「誰よっ!! 何してんの!!」


背後で叫び声がして、僕たちはギョッとして振り返った。人影が準備室の入り口で仁王立ちしている。逆光でよく見えなかったけど、彼女が誰だか僕たちにはすぐ分かった。


「せ、先輩! 僕ですよ! 端島もいます!」


「な……あ、あなたたち!! 何でいるのよ!」


「摩耶先輩! 大変だよ! 望遠鏡が!」


「いや……勘違いだと思うんですけど、なくなってるから……」


「……くっ……!」


先輩は素早く教室に入ると、ものすごい勢いでドアを閉めた。そのままズカズカと僕たちに近寄って、ギロリと睨みつる。予想外の出来事に、僕と端島はただ呆然とするしかなかった。


「誰にも言わないの……いいわね……」


「は?」


「いいから! 心配しないで!」


「じゃあ、先輩が持っていったんですか。やっぱり」


「いいから!!」


「……あ、はい……」


「わかったわね! 先生にも言わない!」


「はい……」


地学部長の兵庫先輩が望遠鏡を使うからって、別に何の不思議もない。僕にはなぜ先輩がそんなに焦っていたのか、さっぱりわからなかった。その時は。


「さっさと出てって!」


「いや……あの」


「早く!」


僕たちは、半ば追い出されるように準備室を後にした。


「何だよ、あれ」


端島が怒ったような口調でつぶやいた。僕だって同じだ。僕はただ、先輩にお礼を言いたかっただけなのだ。なのに、何も話す暇すらなく、強引に変な約束をさせられ、そのまま部屋から叩き出されてしまった。


「なんか秘密の活動でも始めるんじゃねえの」


「さあ」


「でもさ、俺たちも一応地学部員だろ。あの態度、ちょっとおかしいわ」


「まあな。そうだよな」


僕たちは教室に戻る間、ずっと兵庫先輩に対する文句を言い合っていた。先輩にお礼を言う気持ちなどすっかりなくなってしまった僕は、地学部のことも兵庫先輩のことも全部頭の片隅に追いやった。


「まあいいや、また今度でも」


僕は再び、榛奈さんと過ごすであろう来たるべき楽しい時間を夢想することに全神経を集中することにしたのだった。

まぁや編

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