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廃洋館はどんより

僕は一人でやたらと興奮していた。数年前に味わった静かな感動にもう一度出会えるであろう喜び、それを好きな子と共有できる幸せ、そして人里離れた立派な廃洋館を僕たちだけが知っていて、まさにそこに侵入しようとする甘美な背徳感、そんなものがごちゃごちゃになって僕の気持ちの中に渦巻いていた。


「何かあったら呼んでくれよ。僕はずっとここにいるから」


白石先輩は相変わらず落ち着いていた。先輩にとって廃墟を彷徨うなんて行為は、およそ馬鹿げていて幼稚な遊びに見えるのかもしれない。先輩、もったいないな。僕はそんなことを勝手に思った。


「あの、パンと飲み物、よかったらどうぞ。たくさん買ってきたので」


「おや、気が利くね。じゃあ、飲み物だけ。ありがとう」


白石先輩は僕が差し出したコンビニのビニール袋の中から飲み物をつまみ出すと、そばにあった大きな石に腰を下ろした。僕は兵庫先輩の言っていたことが少し気になって、声をひそめて訊いてみた。


「本当のところはどうなんですか? やっぱり中は嫌ですか?」


「中は……怖いな。はは」


白石先輩は自分の気持ちを隠そうとはしなかった。


「白石、退屈したって知らないわよ。勝手に帰っちゃダメなんだから」


「退屈はしないさ。たぶん、しなくなる」


白石先輩は静かに言った。


「じゃあ、榛奈さん。行こうよ」


僕は榛奈さんの方を振り向いた。榛奈さんもやっぱり落ち着いている。僕と同じような感動を覚えてくれるかと少しだけ期待していたけど、彼女は僕の予測通り動いてくれるほど甘くはない。彼女はどこまでも謎めいているんだ。まあいいさ、中に入ってからが本当の勝負だ。


「ええ、行きましょうか」


榛奈さんが僕に笑いかける。手を差しだそうか迷いに迷って、僕はやっぱり差し出すことはできなかった。


「こっちだよ。表の扉は開かないんだ。裏に回って勝手口から入れるから」


僕はそう言いながら建物の裏に向かって走り出した。


「ちょっと、待てよ」


端島も慌てて付いてくる。僕は早く中に入ろうと少し焦っていた。それなのに、腐りきって建物の方に倒れ掛かっている古い木々が邪魔をしてなかなか裏に回ることができない。建物のすぐ背後には、木々がうっそうと生い茂る山の斜面が迫っていた。


「おっかしいなぁ、前はすぐに行けたんだよ」


「そりゃ、誰も刈り込まなきゃこうなるだろ」


木々の枝の間に潜り込もうと四苦八苦している僕と端島を見たのか、榛奈さんは相変わらず建物の表側にとどまっているようだ。


「おい、摩耶先輩と榛奈ちゃん、何してんだろう」


「さあ……」


彼女たちのためにもこの木々をどけておかなければならない。前に立ちはだかる枝を大きく押しのけたり、払ったりしていると、不意に背後から声がした。


「何してんの。ほら、さっさと来なさいよ」


兵庫先輩が僕たちを呼んでいる。


「玄関、開いてるわよ」


「へ?」


~~


表の大きな扉は、確かに開いていた。前に僕が来た時はびくともしなかったのに、今はまるで僕たちを歓迎するかのように大きく開け放たれている。時が経って鍵が壊れたのか、あるいは他の侵入者によって壊されたのか……。


「何だよ」


端島がつぶやいた。榛奈さんは扉の前で僕たちを待っていた。


「この扉、簡単に開いた?」


「うん。先輩が開けてくれたわ」


「ふーん……」


僕たちは中を覗き込んだ。多くの洋館の例に違わず、扉の向こうには大きな玄関ホールが広がっていた。建物の中はどこもかしこもひんやりとしていて薄暗い。一人で来た時は不気味でしょうがなかったここも、廃墟倶楽部の仲間と来ている今は胸を高鳴らせる魅惑的な空間だ。ただ、僕には違和感があった。


「こんなに荒れてたかな……」


僕が前に来た時は、まるで人が住み続けているかのような空気があった。家具や調度品も綺麗に整っていて、ほこりっぽくはあったけど、何というか、秩序立っていたのだ。でも、今は違う。床はところどころ抜けていて、得体のしれない木やら金属やらの切れ端が方々に散らかっている。鉄サビの独特の刺激臭と土気を帯びたすえた臭いが混ざり込み、僕の鼻の奥を刺す。階上のどこかの窓が割れているのか、上の方でヒュウヒュウと風の通る音が聞こえる。窓にかかっていたカーテンらしき布切れが廊下の向こうでヒラヒラと揺れているのが少しだけ見えた。


「まさに廃墟、って感じだな」


端島が言った。確かに、幻想的と形容できるようなものじゃない。僕は少しがっかりした。


「こんなに……なってるのね……」


兵庫先輩は何のためらいもなく中に入っていった。物怖じしない人だとは思っていたけど、こんな不気味な廃館に来ても先輩の顔には恐怖の色は微塵もうかがえない。僕たちは先輩に続いて中に入った。


「………………」


榛奈さんは黙って僕の後に続いた。相変わらずすました顔をしているので、僕には彼女が何を感じているのかよくわからない。


「あ……先輩、見せたい場所なんですけど……」


僕はどんどん先へ進もうとする兵庫先輩を呼びとめた。先輩はゆっくり振り返る。何だかひどく真剣な表情をしていた。


「私は一人でいいわ。表でまた落ち合いましょう」


そう言うと、先輩はそばにあった部屋に入っていった。


「なんか変だな、摩耶先輩」


「うん」


「一人で危険じゃないか?」


「そうかも……なあ」


「俺、とりあえず摩耶先輩の近くにいるわ」


「じゃあ、僕も……榛奈さん、いい?」


「いやいや、お前と榛奈ちゃんは別にいいよ。行きたい場所があるんだろ? 行ってこいよ」


端島は親指を立てると僕にニヤリと笑いかけた。


「広いったって学校ほどじゃないし、見失うほど離れる事もないだろうし。何かあったらすぐに表に出ればいいしな」


「ん……」


まあ、そうかもしれない。僕はとにかくあの場所が気になっていた。以前ここに来た時、魂を引き込まれてしまったかのように佇み続けた、あの場所が。


「……榛奈さん。行こうか」


「うん」


榛奈さんはただ僕に従うつもりのようだった。彼女のペースになりがちな橋げたでの時間とは全く違うことに、僕は妙な戸惑いと緊張感を持った。彼女を失望させてはいけない。絶対に。僕は心の中で覚悟を決めた。


「階段を上るんだ。二階の廊下の途中にそれはある」


「うん」


大きな階段のふもとまで来て、上の方を軽く見わたす。床が抜けないか慎重に確かめながら、僕は榛奈さんの前を行った。僕が一歩進むごとにギシギシと階段がきしむ。なのに榛奈さんは音をほとんど立てない。彼女はまるでカモシカのようだ。


「階段は大丈夫みたいだね」


「うん。そうね」


結構しっかりした作りになっているらしく、音はするものの僕たちが乗ってもびくともしないようだ。そうこうしているうちに、二階にたどり着く。目の前に左右に走る廊下が現れた。僕たちはそこに立つと、ゆっくりと両方向に目をやった。


「……あれね」


榛奈さんが一方の廊下の奥を指さした。


「……うん」


薄暗い廊下に差し込む光。そう、あの時もすぐに目についた。全面ガラス張りの大きな出窓、あの場所だけはスポットライトを浴びているかのような特別な空間なんだ。僕は再びやってきた。榛奈さんと一緒に。


「きれいね……きれいだわ」


榛奈さんがつぶやく。僕はその事がたまらなくうれしかった。彼女と感動を共有できた。そしてそれを僕自身が伝えることができたんだ。荒廃した館に隠されたキラキラ光る宝石。


「行ってみよう。近くで見るともっときれいだよ」


「あっ、気を付けてね」


走り出そうとする僕に榛奈さんが声をかけた。今は廊下の床ももろくなっているかもしれない。すっかり忘れていた。

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