廃洋館はひっそり
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「何で一緒に来ないのよ」
兵庫先輩が僕に言う。榛奈さんの事だ。
「現地集合なんて、わかってないわね」
「いえ、彼女がそう言うので……」
「ふーん。まぁいいわ。それで、どこで待ち合わせしてるの?」
「登山口にある階段です。あそこのふもとで」
僕は山の方を指さす。僕たちは無人駅を出て目的地目指して歩き出していた。点在する家々は、ここいらに広がる畑を所有する農家だろうか。どの家を見てもひと気がないように見えるのは、今日が休日だからかな。
「それにしても、いい天気だねぇ」
白石先輩は純粋にハイキングを楽しんでいるように見えた。もともと僕の計画には興味がないのかもしれない。
「なあ……こんな大人数になっちまって、よかったのか?」
ふいに端島が僕のそばに寄ってきて声をひそめて言った。
「誘い過ぎじゃないか?」
「そうかな……いや、そんなことはないさ」
二人っきりじゃない、って時点で、僕にとっては何人いようが一緒だ。それに、はっきりした性格の兵庫先輩が榛奈さんに何か変な事を言いやしないかと僕は内心ハラハラしていたのだ。兵庫先輩のブレーキ役のように見える白石先輩がいてくれた方が、僕にとっては少し安心できる。
「あの白石って先輩、相当モテるぞ。榛奈ちゃんにちょっかい出したらどうすんだ」
端島が変な事を言って、僕は思わず噴き出した。僕はそんな心配はしたこともなかった。あのキザな白石先輩と廃墟を好む榛奈さんには、どこにも接点がないように見える。
「何? 楽しそうじゃない」
僕たちの前を歩いていた兵庫先輩が振り返って言った。
「いえ、何でもないですよ」
端島がとぼける。
「心配……心配、か」
心配といえば、僕にはもっと根本的な心配があった。榛奈さんが本当に来るのかという心配だ。ここに来るには、僕と端島のように電車で来るか、兵庫先輩たちのように自転車で来るしかない。誰かに車で送ってもらうならともかく、徒歩で町からここまで来るのはおよそ考えられない。電車なら、そもそも本数が少ないので僕たちと駅で必ず出会うはずなんだ。でも彼女はいなかった。
「なあ、ここって、誰もいないな」
僕はつぶやいた。
「ああ。人が住んでんのが不思議なくらいだ」
端島が答える。駅から歩き出してから、誰にも出会わない。物音といえば、風にそよぐ草の音、鳥のさえずりぐらいだ。僕は無意識に周りをきょろきょろと見回し、榛奈さんの姿を探していた。
「ほんっと、寂れてるわね。ここは。ずーっと」
兵庫先輩のつぶやきは僕には聞こえなかった。
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「あ、ほら! あそこにある階段。あそこです」
僕は石でできた小さな階段を指さした。木々に覆われていて、知らなければ見逃してしまいそうな小さな登山道。おそらく長い間ここを登る人がいなかったんだろう。僕は胸が高鳴り、叫ぶと同時に一人で走り出していた。
「榛奈さん! いる?」
階段のふもとにたどり着くと。そこには……。
「おはよう。くすっ」
いた。榛奈さんは石段の端にぽつんと座っていた。僕は彼女の姿を見るだけで天にも舞い上がるような気分になる。夕日を背負っていない榛奈さんを初めて見た感動に打ち震えていたのだ。
「あなたが榛奈ちゃんね。初めまして」
後から来た兵庫先輩が榛奈さんに笑いかけた。
「私、この子の保護者として来たのよ。兵庫摩耶。私の事、聞いてる?」
「はい。兵庫先輩、ですね?」
榛奈さんも兵庫先輩に笑いかける。
「この子に意気地がないもんだから。大勢になっちゃったけど、ごめんね」
兵庫先輩がおどけた口調で言った。
「ちょっと、先輩……」
デートとか、そんなんじゃないんだ。いや、そうあってほしいとは思ってたけど……これは廃墟倶楽部の活動なんだ。意気地とか、そんなことは関係ないんだ。
「榛奈ちゃん、久しぶり」
端島もあいさつをする。
「端島君、おはよう。たまには野原の方にも来てね」
「僕は、白石っていうんだ。まあ、保護者の保護者、って感じかな。よろしくね」
「はい。伊香保榛奈です」
こうして人と話している榛奈さんを見ると、普通の女の子のように見える。こんな言い方は変かもしれないけど。
「さて、と。野暮はナシよ。君たちの計画に従うわ」
兵庫先輩が階段を上り始めた。
「今日は私が許可します」
「ふふっ」
白石先輩が笑う。僕に従うと言いながら、何だかすっかり兵庫先輩のペースのような。
「じゃ、じゃあ、行こうか。榛奈さん。この階段を上ってね……」
「うん」
「上る途中で、脇にそれる道を偶然見つけたんだ。普通なら見逃すような道でさ」
石の階段は落ち葉でいっぱいだった。上は木々が階段に覆いかぶさるように枝を伸ばし、まるでトンネルのようになっている。少し薄暗いここは、地面が滑りやすいこともあって危険かもしれないと思った。
「大丈夫……?」
榛奈さんに向かって手を差しだそうとして、あわてて引っ込めた。手をつないで歩けたら、どんなに幸せな事だろう。なのに僕は、やっぱり意気地がないんだ。
「でもさ、正直ビックリしたよ。榛奈ちゃん、よく来る気になったね」
「そう? 私、楽しみだよ?」
「今日も制服だね。部活でもあったの?」
「うん……」
榛奈さんと端島は相変わらず気さくな関係だ。端島が榛奈さんに興味ない事がわかっていても、それでもやっぱり僕はヤキモキしてしまう。もっとも、端島もそこまで空気の読めない男じゃない。ひと通り世間話を終えた後は、僕たちの数段下を黙々と歩いていた。
「どうやってここまで来たの? 電車で会えるかもしれないって思ってたけど」
「歩いて来たわ」
「え? ここまで?」
「うん。歩くの、好きだもの」
「そうなんだ……」
けっこう行動的なのかなあ。何だか榛奈さんの新しい顔を発見しているような気分になった。ただ相変わらず彼女からは何も聞いて来ないので、会話といっても僕が質問攻めしているような形になってしまう。自分の会話力の無さを内心大いに恥じた。
「疲れてない?」
「大丈夫よ」
そうこうしているうちに、例の隠し小道までたどり着いた。ここを奥に入って行くと、洋館が姿を現すんだ。初めてそれを発見したときの感動は、今でも忘れられない。
「あの……」
先を行く兵庫先輩と白石先輩にそれを伝えようとした時。
「ふん、ほんと寂れちゃってるわね」
「ふふっ、たまに整備しに来るかい?」
「何で私が!」
二人は何の躊躇もなくその奥道に入って行った。
「あれ?」
よっぽど気を付けないと分からない道なのに、二人はまるでその場所を最初から知っているかのようだった。僕は不思議な気分になる。
「あの道なの?」
榛奈さんが僕に訊いた。
「うん。そうだよ」
さすが地学部というか、普段から注意深く物事を探るような活動をしている人たちには、こんな小道を見つけるのは造作もない事なのかもしれない。
「気を付けてね。枝に引っかからないように」
「うん、ありがとう」
榛奈さんとこんなやり取りをしている僕が、自分自身たまらなく頼もしく感じた。
~~
「うわ……ぁ」
端島が小さく声を漏らす。そう。僕が初めてここに来た時も同じだった。人ひとりやっと通れる小道の先にあるとは思えないほどにだだっ広く切り開いた平地。そこにそびえる洋館。ある種の圧倒を覚える瞬間だ。その洋館も今では古びた廃墟と化し、圧倒感に不気味さも増し加わっていた。
「これ、これですよ! 兵庫先輩、白石先輩!」
「……見りゃわかるわよ」
「どう? すごいだろ、榛奈さん!」
「ええ。そうね」
「お前、ちょっと落ち着けって」
「この中が、もっとすごいんだ!」
「……入るの?」
兵庫先輩がつぶやくように言った。
「ええ! せっかく来たんですから!」
僕はどうしても榛奈さんにこの中の幻想的風景を見せたかった。直前まで人が住んでいたような不思議な空間に、大きな出窓から差し込む幾筋もの光。
「……いいわ。じゃあ、行きましょう」
兵庫先輩がため息交じりに言った。
「まあ……私も……入ってみたい気分だわ。今日は」
「そうですよ! 行きましょうよ!」
「中に入っても大丈夫?」
榛奈さんが僕を上目づかいで見る。
「もちろん! いや……うん。大丈夫、きっと」
「俺も行くよ。探検っぽくて楽しそうだしな」
「じゃあ、決まりね。入りましょうか」
「ええ!」
僕が興奮気味に返事をした、その時。
「僕は……待ってるよ。ここでね」
白石先輩は相変わらずのかっこいい微笑のまま、さらりと言った。
「え? どうしてですか?」
「怖いのよ」
兵庫先輩が代わりに答える。
「こういう場所、てんでダメなんだから。白石ったら」
「いやいや……見張りだって必要だろ? まぁや」
「カッコつけちゃって。いいわ。そこで待ってなさいよ」