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狼よ眠れ ~光秀と元就~

作者: 水野不起

 真っ赤な鳥居が海面に映し出されている。


 船の上からこれを眺める男の名前は明智十兵衛といった。


 同乗者には盲目の琵琶法師やら行商人やら、十兵衛と同じく牢人と思しき者まで多種多様な職種の人間がいた。


 以前からその名を知られた厳島神社だが、最近になってますます参拝客が増えたと、船頭が嬉しそう語っていたことを十兵衛は思い出した。


「毛利の殿様も元服前、厳島に天下を願ったとか。それも天下を目指す気概が無くては中国すら取れぬとまで言ったそうな。二年前の大勝利もきっとそのご利益に違いない」


「やはり大人物は若い時から将来のために考えを巡らせてらっしゃるのでしょう。我らのような凡人には及びもつきませんわい。うちの息子も元就公の千分の一で良いから分別をつけて欲しいもんじゃ」


 行商人がため息混じりにつぶやいた。その姿は一年前に殺されたかつてのあるじを十兵衛に思い起こさせた。


 どこの家も親の心子知らずといったところか。十兵衛自身も母親の反対を押し切って諸国を旅する原因となった男のことを思い出すたびに無性に腹が立つ。


(木偶の坊め、今に見ておれよ)


 明智十兵衛は美濃を支配する斎藤道三に仕えていた。それもただの家臣としてではなく、外戚として一族を挙げて道三を支えていたのである。十兵衛自身、将来は明智の血を引く人間を道三の後継に擁立して、己が采配を振るってやろうという野心を胸に秘めていたのだ。


 そんな彼がどうして瀬戸内海に浮かんでいるのかといえば、肝心の道三があっけなく死んでしまったからだ。


 油商人を父に持つという斎藤道三は、権謀術数の果てに美濃の覇者になったところまでは良かったものの、その強引な手法が災いした結果、息子の新九郎を担いだ家臣団に半ば強制的に隠居に追い込まれてしまった。


 ちなみに、この新九郎は明智の血を引いていない。

 その巨体ゆえか動きが鈍重で、さらに病弱な新九郎を十兵衛は内心馬鹿にしていた。道三も事あるごとに、


「あれは耄者でとても長くは生きられまい」


 などとこぼしていたし、十兵衛もそれを聞くたびに、


「新九郎殿は庶子でありますから、ここは正室の小見の方様の御子で無事に成長した者のいずれかから跡取りをお選びになるのがよろしい」


 といった具合に叔父の光安と進言を重ねていた。


 小見の方は十兵衛の叔母にあたる人物で、すでに道三とのあいだに何人か子を儲けていた。(女子の帰蝶は清州の織田信長に嫁いでいる)明智家としてはどうにかして小見の方の子供を次期当主としたい。十兵衛らは巻き返しを狙っていろいろと策謀を巡らせていたが、それがかえっていけなかった。


 とくに四男の喜平次に官位や一色姓を与えるよう幕府や朝廷に働きかけたことが、大いに新九郎一派を刺激するところとなり、骨肉相食むきっかけとなった。


 十兵衛、生涯の不覚であったと未だに後悔の念が消えない。

 事件は稲葉山城で起こった。新九郎がいつものように病に臥せっているとの報告を受けた道三は言った。


「まったく誰に似たのやら。清州の婿殿は鷹狩りを好んでおるそうな、爪の垢を煎じて飲ませようか」


「今度の病はかなり重いと伺っております」


「存じておる。良い機会じゃ、利口者の孫四郎か喜平次に家督を継がせてみるかの」


 そんな折に新九郎も自らの死期を悟ったのか、最期に弟たちに後を託したいと申し込んで来た。


 道三は思わず拍手して孫四郎と喜平次を見舞いに行かせたが、これが最後の別れになろうとは、智慧の鏡が曇った蝮には予想できなかった。


「兄者、父上とお会いになったほうが良い。我らだけでは心得違いになりかねん」


 布団にくるまった新九郎に孫四郎と喜平次が述べた瞬間、二人は踏み込んで来た刺客に斬り殺されてしまった。


 道三は大慌てで稲葉山城から脱出し、十兵衛も所領で兵をかき集めることになった。

こうして否応なしに父子の対立に巻き込まれた明智家は、長良川で道三が討死すると一家離散の憂き目にあった。


(こんな馬鹿なことがあってたまるか)


妻を背負って越前へと落ち延びて行った時の悔しさが胸に去来した。

 思えば妻には苦労をかけ通しだった。


「織田殿に仕官すれば良いではないか。帰蝶様に口を利いてもらえばすぐじゃ。それをわざわざ諸国放浪なんぞと金のかかることを……。熙子殿が不憫でなりません。女房の髪を売り払って鉄砲や旅の路銀に当てる亭主がどこにいるというのです」


 といった具合に、今頃は姑の謝罪にも似た小言に付き合わされているに違いない。


 十兵衛が感傷に浸ってしまうのも、船に同乗している者がことごとく故郷を連想させたからだ。行商人はよく見ると油壷を持ち込んでいたし、時おり美濃訛りが出ていた。


「美濃にも蝮がいたが、安芸には謀神がいるとは知りませんでした。どなたか厳島の戦さについて詳しい方はおりませんか? これでも武士の端くれですから後学のために元就公の軍略知りたいのです」


 十兵衛が問いかけると、琵琶法師は自らの見聞きした厳島合戦について講談いたしましょうと名乗りを上げた。


「さて、平家物語、太平記にも並ぶ語りをこれよりお目にかけよう。まずは陶尾張守隆房の逆心について語らねばなりますまい」


 法師は仰々しく琵琶を弾き鳴らし始めた。

 大内義隆は、天下無類の大大名である。中国地方を手中に収め、北九州の諸大名をも臣従させていた。


 彼の本拠の山口には、月卿雲客が宿を構え、公家町が五十間にも及ぶほどだった。これに引き寄せられるように畿内の商人が衣服・珍器・刀・脇差・茶道具に至るまで浮世で手に入ろう品々を持ち込み、山海の珍宝が市町に満ちあふれていた。


 こうなると義隆も堕落を回避できず、幽王が妲己を愛し、玄宗が楊貴妃を寵したのと同じように、愛妾の北の方に溺れていった。


日々を長ずるごとに奢りの度を増していく義隆に、心ある者は眉をひそめてこう語った。


「大内殿も滅亡遠からず」


 では、国権を執行するべき重臣たちは何をしていたかというと、文治派と武断派に分かれて対立していた。もっとも、武断派は現在失脚中であるが。


 その筆頭格の陶尾張守隆房は、主君の義隆の振る舞いに嫌気が差して、仮病を使って居城のある若山で引きこもり生活をしていた。


「殿は儂の話など聞いてくれもしない。何度お諫めしても無駄じゃった」


 武断派一味を集めた酒の席で隆房が語りだした。


「不思議としか言いようがないが、相良遠江守武任が如き文弱の輩が我等を讒言して、兵を集めているそうな。義隆様も相良の言うことを誠だと信じきっておるわ。かくなる上は連中が勢いづくより先に山口に押し寄せて義隆様を討ち申し、相良めの首を刎ねようと思う」


「逆心のこと確かに承りました。しかしながら佞臣相良を討つだけに飽き足らず、義隆公を害し奉るとは如何なるご存念なるや。趙高は秦王を弑逆し、蘇我入鹿は山城大兄王を討ちましたが、いずれも三年の内に滅びました。主君を殺した臣下が栄えた試しは和漢ともにござらぬ」


 と、涙を流しながら申し上げたのは、弘中三河守隆包だ。


「二十八代に渡りお仕えした主を害せば、先祖に申し訳が立ちませぬ。義隆公を討つのは容易いことですが、必ずや御身に祟りましょう」


 この訴えを聞いた隆房は、


「もはや事態は極まっておるのだ。このままでは一族滅亡は必定、どうせ滅びるならどちらも同じことではないか。暴虐の君を殺した後は、大友家から養子を迎え、大内の御家をこれまで以上に盛り立てて行く。そのようなことをこれ以上申すな」


 そう言い捨てて奥に引っ込んでしまった。後のことは皆で決めろ。俺は知らぬと言わんばかりである。

 その場にいた一同は、もはや再議の必要はないだろうと、血盟文を認めて隆房に提出した。 

        

 涙ながらに訴えた弘中三河守の名前も含まれていた。


 時は天文二十五年、大内家の滅亡が決まった瞬間である。隆房に従った江良丹後守信俊・狩野弾正・弘中三河守隆包・青景刑部少輔・戸井正広・鷲津入道を主力とした八千騎が、山口に殺到した。さらにその前後には筑前の秋月氏や安芸の毛利氏にまで密書を送り、根回しまで済ませていた。


 この動きの速さには文治派の諸将もついていくことが出来ず、訳もわからないまま逃げ惑う貴賤男女で山口はごった返す事態となった。


「なに隆房が謀反とな? あれほど良くしてやったいうのに、恩知らずが! 主君に弓引けば天罰が下ると思い知らせててくれる」


 義隆も久しぶりに武門の血が騒いだのか、戦支度に取り掛かるよう命じたものの、城に詰めていた僅かな近習らを残して皆逃げ出した後であった。


「弘中三河守まで謀反に加わっているのか」


 義隆からすれば耳を疑うような報告が次々と舞い込んでくる。

 武断派といえども自分に対して直後刃を向けるような者は少数であろうと考えていたのだ。陶尾張守隆房に対しても、しばらく頭を冷やせば政務に復帰するだろうと楽観していた。


「冷泉隆豊卿・天野藤内殿ご到着でございます」


 近習の一人が援軍の到着を知らせた。その顔には安堵の表情が浮かんでいる。


「味方はこれだけしかいないのか」


 義隆の下に駆けつけた冷泉隆豊卿は開口一番味方の敗北を宣言した。


「この人数では籠城したところで長くは持ちますまい。法泉寺まで引き下がり、華々しく一戦したうえでご自害召されませ」


「冷泉卿の力を持ってしても勝てぬのか」


 義隆は愕然とした。


 手勢三百騎に守られながら義隆が落ち延びて行ったことを知った隆房は即座に兵を差し向けた。先陣を切らせた青景・鷲津らは、捨て身の覚悟で襲いかかる義隆の近習相手に交戦を開始した。


 萌黄綴の鎧を身につけた隆豊が白柄の長刀を引っ提げて、雄叫びを上げた。


「人間電光石火の一生、惜しむべきに非ず。ただ朽ち果てても残るのは忠義の名ぞ。進めえぇっ!」


 隆豊自ら先頭に立って敵を輪切りにして回ると、他の諸将も思い思いに合戦を繰り広げた。

想定を超える抵抗に鷲津入道もすかさず新手を投入したが、張飛もかくやと言わんばかりに兵をなぎ倒す冷泉卿には易々して、


「流石に隠れなき大力の持ち主よ。一筋縄ではいかぬ」


 と、兵をいったん退かせた。

 この隙に隆豊は本堂にいる義隆に対面した。


「いよいよ腹を切る時か」


 そうのたまった義隆の表情はこわばっている。


「いえ、敵は存外脆く、退き申した。今から急ぎ豊後に落ち延びることが出来れば、重ねて運が開け、いずれは九州・中国の心ある者たちが馳せ参じましょう」


 そう言って立ち上がると、隆豊は再び敵に向かって行った。


 こうして義隆主従は七騎で法泉寺を密かに脱出した。


 九州に渡るべく長門国仙崎で船を手配したまでは良かったが、あまりに天候が悪い。

 義隆には以前船旅の最中に嵐に遭って子息を亡くした苦い経験があったからなおのこと心配した。


「この風では船は出せまいよ」


「ここまで来て何を仰います。むしろ風に乗る好機でございます」


 義隆の懸念した通り海上では激しい風と波に晒されて、漂うのが精一杯という有様だった。しまいには仙崎に押し戻されてしまった。


「このまま海の藻屑になるか、それとも雑兵の手にかかるよりかは自害のほうが幾分か増しであろう」


 もうすべてを諦めた義隆は、一刻も早く屈辱の苦しみから逃れたい様子だ。


「近くに大寧寺がございます。大内家が代々布施をしてきた寺ですから、後のことも引き受けてくれるでしょう」


 天野藤内が言上すると、さようかと義隆がうなずいた。

 義隆一行が訪問すると大寧寺の和尚は袈裟で涙を拭いながら、


「盛者必衰は世の理と言いますが、よもやこのようなことになろうとは……。夢うつつかと思いましたぞ」


「陶尾張守を信じきっていた自分が悪いのだ。今にして思えば冷泉卿の言う通り彼奴を成敗しておくのだった。いや、相良を重用したのがそもそもの誤りであったのかもしれん。気懸りなのは我が嫡子と北の方の今後である。出来ればどこぞに身を隠して豊後に落ち延びて欲しいのだが……」


 義隆は十文字に切腹し、藤内が介錯した。


「和尚殿、葬儀の件とくと頼みます」


 義隆の首桶を手渡すと、藤内も首筋に刃を当てその場で果てた。

 和尚の仕事はこれからである。陶尾張守隆房の軍勢が義隆の首を求めて迫っているのだ。


「このぶんでは時が足らぬと見えるが?」


「冷泉卿は腹を召されぬか」


 太刀を担いだ荒武者に和尚は問いを投げかけた。


「むろん、義隆公の葬儀が終わるのを見届け次第、後を追うつもりだ。だがその前に一合戦仕る」


 そう言い捨てると、隆豊は寺から飛び出して行った。


 和尚が葬儀を終えて、義隆らの遺体を埋葬している間、敵兵を七人ほど斬った。

そして短冊に辞世の句を書きつけた。


「見よや立つ煙も雲も中空にさそひし風の末も残らず」


 歌の内容を端的に解説すると、陶尾張守の時代も長くはないだろうと予言と恨み節といったところだろうか。


 ほどなくして冷泉隆豊も切腹した。


 冷泉卿と呼ばれた男の最期はあまりに潔いものだった。しかし、皆が皆彼のようにはなれる訳ではない。


 必死の逃避行を続けていた北の方は、供の者をことごとく討たれ、ついには安徳天皇を抱いて入水した時子よろしく我が子を抱いて海に身を投げてしまったし、山口に滞在していた月卿雲客たちは野伏野盗の類から暴行略奪を受ける羽目になった。


「山口の治安を回復しなければ陶殿の評判に傷がつきましょう」


「野伏どもは放っちょけ。大内殿を堕落させた報いじゃ。膿は出し切らねばならぬ。新しい大内殿をお迎えするためにもな」


 義隆の墓前で手を合わせた隆房が弘中三河守に向かって言った。


「大友とは話がついたけえ。後は幕府や朝廷に計って官位と諱を頂戴するだけじゃ」


「箔をつけるということでありますか」


「儂も改名することにした。足利義晴公から一字頂いて晴賢というのはどうかな」


 大内家の家臣にすぎない陶尾張守が、主君の頭越しに将軍から偏諱を受けるというのは越権行為そのものではないかと弘中は思った。そのことを述べると隆房は慌てて訂正した。


「あ、いや、そうではない。きちんと手続きは踏む。まずは大友家から迎え入れる若殿が先じゃ。そこを経由して初めて儂が晴賢を名乗る。何度も言うが、自分は大内家を立てることが第一なのだ。そこに噓偽りは微塵もない」


「話が違うじゃないか」


 後世で言うところの、『大寧寺の変』の一部始終を知ったある男がうめいた。男は全体的に丸みを帯びた、いかにも優しそうな顔立ちをしている。性格も外見どおりなのだが、そんな彼が珍しく怒りを露にするので周囲の者も大いに驚いていた。


「死んじまったものはしょうがねえだろ」


「しょうがないで済む訳ないでしょ。あれほど若君の命は助けると言っていたのに、これじゃあ正真正銘の謀反人どころか大友の家来になるようなものだ」


 彼の名前は毛利隆元という。安芸国吉田に領地を持つ毛利元就の嫡子だ。


「だからよ、文句を言ったところで若君が生き返るわけでもあるまいし、うちは大内家の譜代の家臣ってわけでもないんだからもう少し冷静に考えようや」


 先ほどから毛利家の跡取りに軽口を叩いている、豆のような輪郭と浅黒い肌の持ち主は吉川元春といって、名字は異なるが隆元とは実の兄弟にあたる。


 この二人がどうして揉めているのかというと、『大寧寺の変』の前後に陶尾張守が各地の領主に送った密書に原因があった。


 密書には今回の反乱への協力要請と、言い訳じみた動機が記されている。


「義隆公を廃して若君に跡目を相続して頂く。そして文治派を一掃して政道を正したい」


 文面を見る限りでは義隆を殺害するなどとはひと言も書いていないし、ましてや若君を新たな当主に据えると明言しているのだ。


 ところが、ふたを開けてみると二人とも亡き者にされていたうえ、肝心の新当主は九州豊後を支配する大友家の人間だという。彼は将軍からもらった晴の字を陶尾張守に下げ渡すと、義長と名乗り大内家を相続した。


 隆元も近ごろの義隆公の行状は目に余るものと考えていたので、逆心そのものには強くは反対しなかった。


 そして何より父である元就の陶尾張守に味方するという決断に逆らう気もなかった。だが、大友家の属国同然にはなりたくはない。大内家と大友家は、親戚でありながらたびたび対立関係にあった。いや、対立関係を解消するためにたびたび婚姻してきたと言うべきだろう。隆元の推測では、陶尾張守にこうした微妙な距離感を計算できるとは思えない。いずれ陶を排斥するための動乱が起こるはずだ。


「元春は陶と義兄弟だから、むこうの肩を持っているんだろ」


 隆元は毛利家が陶尾張守の巻き添えになりはすまいかと心配しているのだが、


「俺だって好きで陶の野郎と義兄弟になったわけでもないしなあ。そういう命令を義隆にされただけだし、その義隆は当の陶尾張守隆房……いや今は晴賢に改名したんだっけ。まあ、命じた本人を殺してしまったらもう義兄弟の契りも無効になるんじゃないのか」


 と、元春は至って吞気なものだ。


 しばらくすると、元就がいる本丸に呼び出された二人は、ある書状を見せられた。


「大内殿は出兵せよとの思し召しである」


 隆元の予想した通り、各地で陶に対する反感が高まっているようだ。


「陶尾張守は虎狼のような人間です。この際毛利も義長・晴賢を見限ってはどうですか」


「わざわざ猛威を振るっている時に喧嘩を売らずとも良い。まずは陶に味方しようではないか。隆景には我から知らせておく。お前たちは戦支度をいたせ」


 三男の名前を口にすると元就は思い出したように、


「よもや隆景まで弔い合戦をやるとは言うまいな」


 と若干の懸念をした。


 元就の懸念は当たらずとも遠からずであった。軍勢を率いて吉田郡山城に駆けつけた三男小早川隆景は、如才なく情報収集に勤しんでいたようで、


「今は陶尾張守に勢いがありますが、長くは続きますまい。今回はほどほどに戦って切り上げるのが上策かと」


 そっと元就に耳打ちした。


「村上水軍だけではありません。瀬戸内の海賊は陶尾張守を見限ることになるでしょう」

 元就によく似た切れ長の目を光らせながら、隆景は予言した。

 山口で新政権を発足させた陶尾張守晴賢は、相次ぐ反乱を鎮圧するのに躍起になっている。とは言え、今のところ大した強敵に出くわすこともなく、順調過ぎるくらい順調なのだ。


晴賢を始め武断派の名声もあるだろうが、なかでも安芸方面における毛利家の働きは特筆に値する。


「元就の勇名が無ければ世上がここまで静まることはなかった」


 援軍として派遣した江良丹後などはひどく元就に心服した様子で、合戦の様子を語るものだから、それを聞いた義長もつい耳を傾ける。


 敵城の守りが硬いと見れば、


「このままでは味方の手負いが増えるばかり。何日かかるか知れたものではない。ここは一計案じて見せよう」


と、偽装退却で城外におびき寄せ、伏兵をもって完膚なきまでに敵兵を蹴散らす。降伏開城して城から出た者をあえて追わず無駄な戦さは避ける。


 出雲の尼子に内通した者たちが出れば撃退する。


 「毛利への恩賞の沙汰はどうすべきか?」


 義長が尋ねた。


 「元就に恩賞を与え過ぎるのは危険でございます。あの者は大内と尼子を天秤にかけている節がある」

 「しかし、それでは反感を買うのではないか」


 晴賢は黙った。義長の言うことも一理あるのだが、武断派の協力者は他にも大勢いる。毛利家ばかりを優遇するわけにはいかない。そもそも武断派が決起した理由は、文治派との利権争いであり、外様扱いの毛利家は部外者なのだ。


 それに先立つものが無ければ恩賞を出しようもない。大内家の富の源泉であった文化人を義隆もろとも粛清したせいで、資金繰りに晴賢は頭を悩ませていた。


「かねてより商人たちから陳情が寄せられているようだが、そちらから金銭を引っ張ってはこれないか」

 この新当主、意外と統治に熱心らしい。


「吉見正頼が謀反!」


 近習が報告にやって来ると、晴賢は舌打ちした。


「やけに大人しくしていると思うちょったが、今頃か」


 せっかく腰を据えて政権を始動しようかという時に、とんだ邪魔が入ってしまった。


「お聞きのとおりでございます。これよりしばらく山口を留守にいたしますゆえ」


「私も出陣するぞ」


 義長が気色ばんで叫んだ。


「な、なれど……」


「そろそろ大内殿の威厳を見せつけねばなるまい」


 実はこの義長、家出同然に山口入りを果たしたほどの熱血漢なのである。


 陶尾張守が大友家に養子派遣を打診した時、大友家でも世代交代を終えたばかりで、とても中国にまで手が回らないと断ろうとする兄の反対を押し切って海を渡ったのだ。


「そうと決まればやはり軍資金がいるな。どうであろう、駄別料を廃止してやろうじゃないか」


 駄別料とは、早い話が海賊のみかじめ料である。瀬戸内海を通過する船は、これを支払わなければ、海賊に襲われてしまう。そこで大内家が海賊から商人を保護する代わりに礼金を頂戴しようというのだ。むろん、海賊に支払う駄別料よりも格安である。


「ゆくゆくは明国との貿易も再開したいなあ」


 義長の夢は膨らむばかりだった。

 ともあれ、謀反人を成敗すべく義長・晴賢は軍勢を引き連れて吉見正頼の拠点がある石見国三本松城を攻撃したのだが、間もなくして驚くべき知らせが入ってきた。


「野間城から救援要請! 突然の敵襲に遭い劣勢とのこと」


「毛利に使いを出せ。安芸国の鎮撫に当たらせよ」


「そ、それが……」


 なんと野間城を攻撃している犯人は毛利元就その人だという。

 晴賢は歯嚙みして、


「さては元就め、最初からこれが狙いだったか……!」


 すぐにでも安芸国に出向いてやりたいが、こちらは三本松城の包囲で身動きが取れない。それを見越して元就はこのような暴挙に出たに違いない。もしかすると、吉見正頼とも事前に申し合わせていたのかもしれない。


「軍勢を一部野間城に回せ。三本松城を押さえるまで時間を稼ぐのだ」


 しかし、そうやって捻出した連中もけちょんけちょんに負かされてしまい、いよいよ元就が安芸国を席捲した。


「このままでは毛利と吉見に挟み撃ちにされるのではないか」


「無理に退こうとすれば吉見から追撃を受け、包囲を続ければ毛利に退路を断たれることになるでしょう。かくなるうえは、全力で三本松城を落とすしかありますまい」


 江良丹後を搦め手に配置し、正面では晴賢が自ら陣頭指揮を執って攻撃を開始した。死力を尽くした甲斐あってか、根負けした吉見正頼との和議に持ち込んで、義長・晴賢主従は逃げ帰るように山口に凱旋したのだった。

 弘治元年十一月、陶尾張守晴賢はしばらく毛利元就に負けが込んでいて、社稷が傾くのではないかと噂されていた。晴賢本人も寝ても覚めてもそのことを気にしていた。


 そんな時に毛利元就の陣営に潜りこんだ検校が有力な情報をもたらした。なんでも厳島での城の改築工事が遅れに遅れており、兵士まで動員している有様なのだという。兵士まで駆り出されているということは当然そのぶん守備は手薄のはずで、設備の面でも不完全に違いない。


 善は急げと、晴賢は厳島に漕ぎ出して行った。兵数三万、軍船五百隻を号する大軍勢である。塔の丘という場所に沿って東西の山々に弘中三河守隆包ら諸将を隙間なく配置し、海上には筑前・豊前・長門・周防の浦々から集まった軍船を一面に並べた。一望すると、色々の旗印船印を輝かして、あたかも瀬戸内海に錦を曝したかのように見える。


「敵は籠の中の鳥と同じやけえ。毛利方も手出しできんじゃろ」


 自分の力に惚れ惚れしていた晴賢は意気軒昂に下知した。しかし城は落ちない。


「このままでは追っ付け元就の援軍が到着してしまいます。急ぎませんと……」


汗だくになった弘中三河守が心配して、たびたび晴賢に忠告したが、状況は変わらなかった。


 導入されたばかりの鉄砲を数十挺ばかりを用いて、塀や矢倉を撃ちすくめた時は優勢となったものの、城方の対策も早く、土俵を積み上げて塞がれてしまった。


 それでも晴賢はこの新兵器の有用性を確認できたことが嬉しかったらしく、


「見立てどおりじゃ。野戦はまだわからんが、城攻めで使う分には具合が良い。船でも使えるかもしれん。値は張るが、帰陣したらもっと数を揃えよう」


 と、目を細めた。


 西国一の侍大将と謳われただけあって、武具に対する勘は鋭いらしい。

 しかし、彼が帰陣することは叶わなかった。


 夜な夜な上陸した毛利家と、彼らに味方する村上水軍に一斉に攻め立てられて、黄金色の錦と見まがうような陶尾張守の軍勢もズタズタに引き裂かれてしまったのだ。


 弘中三河守が先手衆として刀槍の先を光らせ、一時は吉川元春を討ち取る寸前まで猛威を振るったが、結局劣勢を挽回できないまま、敗北が決定的となった。


 晴賢はいつぞやの義隆と同様這う這うの体で厳島から脱出しようと港にまでたどり着いたが、そこには小舟すら無かった。西国一の侍大将は仕方なく山中に分け入っていった。

 毛利家が厳島に上陸してからはや三日が経過していた。あれほどの勝利を経験したのに何故か帷幕の中には緊張感が漂っている。


「晴賢の奴は泳いで逃げたんじゃねえかなあ」


「村上水軍の封鎖をくぐり抜けるなんて無理な話ですよ」


 元春の言に素早く隆景が反応した。


 陶尾張守晴賢の首級が一向に見つからないのだ。正確には生きているのか死んでいるかさえ分からない。 

「せっかく味方についてくれた彼らの信用を失うような発言は控えていただきます」


「へっ、どうだか……。土壇場まで風見鶏決め込んでた連中だぜ。村上水軍の中にだって内通者の一人ぐらいいるだろうよ」


 元春は疑念が拭い切れない。


 父と弟がよくわからない手で連れて来たよくわからない連中。それが村上水軍だった。


 合戦の最終局面まで旗色を明らかにしないというのも元春には気に食わない。


「彼らにも生活が懸かっているのですから、仕事はきちんとこなしてくれますよ。今回の合戦で陶方に着いて得をする人間は村上水軍の中に誰一人としていないんです」


 隆景は種明かしでもするかのように言った。


「駄別料の徴収をある程度認めると伝えたらすぐ駆けつけてくれましたよ。兄上と父上から了承を得るまで少し時間がかかりましたがね」


 商人との兼ね合いもあって交渉は難航したが、どうにか話をつけたらしい。それもわざわざ使者に、


「船を一時お借りしたい」


 とまで言わせたという。要するに陶尾張守とは違って利権や独立性を保障するから敵には回るなと示唆したのだ。


「そういう手合いはすぐ裏切るから信用できねえ」


 そこまで聞いてもなお元春は不満顔で議論を続けようとしたが、陣所に一報が飛び込んで来た。


 「陶尾張守の草履取りを捕縛しました! 陶尾張守は既に自害しております。場所も存じているとのこと」


 はっと我に返った元春に向かって隆景が「そら見たことか」という顔している。


「父上と兄上は今どちらに?」


「陶の亡骸を検分するために数名の供回りを連れて山の中に」


「我々も行きましょう。万一敵の罠だったら目も当てられないことになります」


 そうは言いつつも隆景の態度には余裕があった。


 ある谷陰に陶尾張守の亡骸は安置されていた。岩で蓋した上で石を積み、さらに木の葉がふりかけられている。とても敗残兵が急場で造ったものとは思えない。


「部下たちが用意したらしい。ずいぶんと苦労したようだ」


 なるほど短時間で毛利軍の捜索をかいくぐりつつ、これほど立派な墓を拵えるとは並々ならぬ忠誠心が無ければ不可能であったろう。


「それでその部下たちはどこに行ったんだ?」


「七人ほどいたようだが皆陶尾張守の最期を見届けた後自害したらしい」


 先に現場を訪れていた隆元が言った。


「陶尾張守に味方なんぞするから罰が当たったんだ」


その言い草はあんまりではないかと元春は胸の内で反芻した。


 昨日の敵も一昨日までは味方だったではないか。なんだかんだ陶には世話になったし、窮地を救ってもらったこともある。義隆公を尊敬していた隆元にとっては憎むべき仇であったかもしれないが、元春からすれば堕落した義隆の自業自得としか映らなかった。


(俺が陶尾張守と同じ立場であったらきっと同じく反逆したに違いない)


 不意に恐ろしい未来予想図が元春の頭をよぎる。


(もし、兄が大内義隆のようになった時、俺は陶と同じ末路を辿るのではあるまいか)


 義隆の薫陶を受けただけあって隆元の気質は教養人や学者のそれに近い。行き過ぎれば文弱の徒となり、戦国の世には不釣り合いな堕落を晒すことになる。


 両者は共通点に溢れている。偉大な父親を持ち、文化教養に優れ、お人好しであった。


 元春自身が陶晴賢の役を演じるとすれば、毛利元就の役を演じるのは弟の隆景になるかもしれない。そんな気がする。

 評定の場で一つの議案が持ち上がった。本日の議題はある男の仕官を許すかどうか、というものである。有り体に言えば中途採用するしないの話だ。


 牢人の名前は明智十兵衛といって、経歴も教養もしっかりした人物なので是非とも当家に召し抱えようということになったのだが、どういう風が吹いたのか、嫡男の隆元が猛反対した。


「むしろ兄上好みの人物ではありませんか、何故そこまであの者を嫌うのです?」


 隆景が疑問を呈し、元春もこれに同調した。しかし長男の首は餅がカチコチになったように動かない。


「あれはだめだ。とんだ毒まんじゅうだ」


 とだけ言って具体的にどこが悪いのか述べようともしない。


 普段は柔和すぎるくらいなのに、いざ頑なになると理由すら教えてくれないのだから弟たちも不満を常々抱えていた。


 長男の頭越しに各々の意見を勝手に父親にまくし立て始める。


「あの明智十兵衛という美濃牢人、武者修行の途中で当家に仕官したくなったなどと言っていたようですが、恐らくは最初から毛利家に的を絞って準備していた節があります」


 隆景の推測の根拠は、武者修行で十兵衛が辿った旅路にあるという。


 武者修行について聞かれた十兵衛は、


「京都に遊学中は礼儀作法や鉄砲を学んでおりました。その後は伊予を始めとした四国一円、さらには豊後臼杵城下を中心に北九州を見聞した後、防長二ヶ国を経て安芸を訪れた次第」


 いずれも毛利家にとっては重要な場所ばかりだ。仮想敵国の大友家や目下の攻略目標である防長二ヶ国、さらには友好的勢な力の多い伊予の情勢など、十兵衛はかなり詳細に語った。


「防長経略は容易いと思います。なにせ大内家は家中統制に手一杯の様子。それに、義長は実家の兄との折り合いが悪い。とても援軍は呼べますまい。事前に水軍で逃げ道を断つか、北九州の豪族に根回しさえしておけば、義長を討ち漏らすことも、万一弟可愛さに大友家が援軍を送ったとしても防長にはたどり着けないでしょう」


 頼んでもいないのに調査結果まで報告する有様で、本人はもう家臣になりきっているらしい。

 隆景はこの人物のことを気に入っていた。


「あまりに用意周到で露骨ではありますが、そんなことは些事ですよ。今の時代これぐらい熱烈に工夫しないと生き残ることなんてとてもとても」


 当初は鉄砲の腕前を見込んでの採用であったはずが、いつの間にか参謀に職種が変わりつつある。


「俺は隆景ほどあいつを買っているわけじゃあないが、鉄砲の指南役ぐらいなら任せても良いと思ってる」


 元春は一歩引いたところから十兵衛を推薦した。


「口先だけの山師かもしれないが、少なくとも鉄砲に関する知見だけは確かなんだからまずはそっちで登用しようや。なんなら試しに食客から始めさせておけば文句も出ないだろうよ」


 食客とは非正規雇用の家来といったところで、厳島合戦で陶方が使用した鉄砲について研究を開始しようと思っていた元春も人材を求めていたのだ。


「お前たちは兄の言うことが聞こえないのか、だめなものはだめだ」


 隆元は口を酸っぱくして言う。


「あの男は陶尾張守と同類なのだ。俺にはわかる」


「聞いたか二人とも、これでこの話はしまいじゃ」


 珍しく元就が長男の肩を持った。なおさら不思議に思った次男坊と三男坊は父親と長兄を追及した。


「手を嚙まれることを怖がっているようでは、犬は飼えないだろうよ」


「重用するかはともかくとして、ああいった人材が他所に流れてしまうと、毛利家にとって災いの種となります。ひとまず飼い殺しにして様子を見てはどうでしょうか?」


「兄だけでなく父親の言うことも聞けぬか。二度も同じことを言わせるな」


「理由をお聞かせください。これでは当家に誰を仕官させて良いのやらとんとわかりません」


「先ほど隆元が申したばかりではないか、もう忘れたのか」


 元就が呆れ顔というか憂い顔をした。


「兄のことを蔑ろにしてはならぬ。我は若い時分に父兄を酒害で亡くし散々苦労したものだ。さらには家督争いで実の弟まで手にかけてしまった。このようなことは毛利の家に二度と起こしては……」


 くどくどと昔話を始めようとしたので、隆景が牽制した。


「今その話はいいでしょう。もう何度も聞きましたから」


「我が言いたいのは心得違いはそのまま命取りになるということなのだ。考えてもみよ、このまま順調にことが進めば毛利家は中国の覇者となる。だが周りを見渡せば敵ばかり。強者に媚びを売る者が一時は味方するやもしれぬがそれも長くは続くまい」


 論点がどこか消えてしまったので、改めて隆景がこの暗号を解読した。


「つまり父上はあの明智十兵衛が家中の不和を煽りかねないと見ておいでなのか」


「さよう。明智十兵衛という男、才知明敏なれどもその心は狼が眠っておる。一瞬でも隙を見せればたちまちにして主君を食い破るであろう」


「して、その根拠は?」


「あの男の面構えよ」


「人は見かけによらぬとも申しますが」

 隆景の疑念の眼差しに、


「その顔、さては信じておらぬな。人相学は馬鹿にできぬぞ。我が若い頃、大内殿が明国の使節を饗応したことがあってな。我も同席したのだがその席で我の顔を見た明国人が……」


「何度も同じ話をされても困ります」


 元春に至っては心ここにあらずといった様子で黙して語らない。


「貴様ら先ほどから父上に対して失礼ではないか」


 隆元の餅顔が赤く膨らむ。

 さて、不合格通知を突きつけられた十兵衛はというと、愕然を通り越して失望していた。


「元就ほどの人物でも俺の才能を見抜けないのか」


 能ある鷹は爪を隠すとはよく言うが、爪を見せずして獲物を狩ることなど誰ができよう。就職活動とは己の爪を見せつけることなのだ。こと今回の仕官のために十兵衛が費やした金と時間を考えると腸が煮えくり返る。


「こうなったら直談判だ。それしかない」


 十兵衛は自分に好意的だった重臣たちの間を駆けずり回って、とうとう時機を得た。

 どうやら元就は厳島神社に参拝する予定があるそうで、そのついでに対面できるよう取り計ってくれるという。仲介者は吉川元春であった。

 元春は館でこう十兵衛に言った。


「どうにも親父殿の真意がわからねえ。家がでかくなればそれだけ柱がいるってのに」


「ごもっとも」


 十兵衛はにべもなく相槌を打った。


「俺が知りたいのはそれだけさ。まあお前さんほど芸達者なら他でも十分やっていける。だがな、人間魔が差すこともある。陶尾張守みたいにさ。評判ぐらいは聞いてるだろうが、男前ではあったよ。あれがこのざまになるのが世間だ。多少の理不尽は許してやってくれ」


 元春の言こそ十兵衛は解せなかったが、ともかく縋る他はない。なにせ生活が懸かっている。妻子と老母、一族の行く末が十兵衛の肩に重くのしかかっていた。


 もういっそのこと、帰蝶に頭を下げて織田に仕官しようか。いわゆる縁故採用であるからして、きっと顔見せだけで仕官できるに違いない。その後の身分も保障されるだろうし、信長が美濃国に攻め込むなら地縁血縁を駆使して思うさま貢献することもできよう。


 ざっとこんな考えが十兵衛の脳内で反芻した。だが、それもすぐに打ち消した。


 なぜならばかっこ悪いからである。十兵衛のプライドが、胸の内に眠る狼がそんな形で飼いならされることを望まなかった。


 かくして十兵衛は偶然を装って毛利元就に面会する運びとなった。


 冬にもかかわらず穏やかな瀬戸内海を舟の上から傲然と見下ろす初老の男性が、いかにもこれから決闘に行くかのような顔つきで岸に立つ十兵衛を捉えた。


「十兵衛ではないか。故郷に帰ったのかと思っていたぞ」


 誰かさんが仕事をくれないからこんなところをほっつき歩いているんですとくちびる当たりまで出かかったが、十兵衛は我慢した。


「元就公ではありませんか。厳島神社に参拝ですか」


「うむ。ずいぶんとそちの姿を見ていない気がするが、最後に会ったのはいつ以来であろうな」

「某が鉄砲の腕前を披露した時でございます」


 毛利家に仕官するためにわざわざ芸の練習まで積んでいたのに、それが徒労に終わったことを思い出すと、だんだん腹が立って来る。


「ところで」


 十兵衛は話題を変えた。


「厳島神社に何を願掛けなさったのです。差し支えなければお教え願いたい」


「せっかく武者修行中であるのに、聞けば年寄りの冷や水になろう」


「滝に打たれる修行だと思って我慢いたします」


「なあに大したことではない。愚息どもが力を合わせて家を守っていけるよう、願ったまでのこと」


「ご子息たちが天下を平定できるように、の間違いではありませんか」


 十兵衛の問いに元就は苦笑いでこう答えた。


「馬鹿を言え、あの愚息どもでは天下はおろか安芸一国すらおぼつかぬわ」


「では、元就公ご自身はどうです。防長二ヶ国を取ればあとはひたすら東に進むだけで京の都です」


 十兵衛が改まって訴える。


「必ずや毛利家に天下をもたらしてみせます。少年の日の夢を叶えたいと思いませんか」


「我、天下を競望せず」


 だからお前を雇わない。こう続くように思われた。

 その後の明智十兵衛の運命は皆さまご存知のとおり、『大寧寺の変』をそっくり真似した『本能寺の変』を巻き起こし、皮肉なことに毛利家を救ってしまうのだから面白い。


 明智軍記の逸話を元ネタに書きました。一次資料ではあまり関わりのない人物であっても、探せば意外な人物が絡む逸話があったりします。個人的には竹中半兵衛vs武藤喜兵衛(真田昌幸)とか、ゲームみたいな夢の対決を発見した時は嬉しかったです。

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