第2話:二度寝の代償は氷河期クラス
「マスター! 起きてくださいマスター!! 厄災級ドラゴンが塵になりました! っていうか同接が! 同接が止まりません!!」
自律型配信AIドローンのナビちゃんは、半狂乱で空中で回転していた。
目の前には、先ほどまで絶望の象徴として君臨していた『ヴォイド・ドラゴン』の残骸――きらきらと光る魔素の粒子が漂っているだけだ。
Eランク探索者、佐藤レン。
彼はそんな世紀の大事件を引き起こした張本人でありながら、安物の寝袋の中で幸せそうに寝息を立てていた。
「むにゃ……プリンは……焼きプリンで……」
D-Liveのコメント欄は、滝のような勢いで流れている。
『今のCG?』
『いや、D-Liveの認証済みロケーションだぞ。ガチの奈落だ』
『寝言でドラゴン倒したってマ?』
『合成乙』
『↑合成でヴォイド・ドラゴン描けるならハリウッド行けよ』
その狂騒を、遠く離れた自室で見つめる一人の少女がいた。
『紅蓮の聖女』アリシア・ヴァーミリオンだ。
「……間違いない。今の波形、古代魔法体系の『崩壊の律』だわ」
彼女は震える指でタブレットの解析画面を操作する。
「しかも、詠唱の構成速度が異常よ。寝言という無意識下の発声が、余計な思考ノイズを排除して純粋な魔力回路を形成している……? そんな馬鹿なことが」
だが、事態は考察の時間を与えてはくれなかった。
画面の中、レンの周囲に蠢く影が増え始めたのだ。
強力な魔物の死は、その魔力を喰らおうとするハイエナたちを引き寄せる。
『奈落の揺籠』に生息するSランクモンスター、『深淵のハイエナ(アビス・ハウンド)』の群れだ。
その数、三十体以上。
「ひいいっ!? マスター! 起きて! 食べられちゃいます!!」
ナビちゃんの警告音など聞こえるはずもなく、レンは眉をひそめた。
殺気だったハウンドたちの遠吠えが、彼の安眠を妨害したからだ。
「……んん……うるさい……」
レンの手が、無造作に空を切る。
彼にとってそれは、耳元で飛び回る蚊を払う程度の動作だった。
「……ちょっと……静かにして……」
その呟きが、世界を書き換える『夢現の古語』へと変換される。
――静寂よ(サイレンス)。
永遠に(エターナル)。
刹那。
ダンジョンの最深部が、青白い光に包まれた。
襲いかかろうとしたハウンドたちが、跳躍した姿勢のまま空中で静止する。
いや、時が止まったのではない。
絶対零度の冷気が、空間ごとその存在を凍結させたのだ。
三十体の氷像が出来上がるのに、一秒もかからなかった。
「……すぅ……」
再び訪れた静寂に満足したのか、レンは寝返りを打ち、再び深い眠りへと落ちていく。
探索者ギルド本部、司令室。
支部長の黒鉄ゲンは、大型モニターに映し出されたその光景を見て、抱えた頭をさらに強く抱え込んだ。
「……見たか、今のを」
「は、はい支部長! 氷結魔法の最上位、コキュートス級かと思われます!」
「馬鹿もん! あれはただ『静かにしろ』と命じただけだ! 結果として物理法則が音を消すために凍結を選んだに過ぎん!」
黒鉄は血走った目でモニターの『Eランク』という表記を睨みつける。
「この男は……歩く戦略兵器だ。いや、寝る戦略兵器か。とにかく、彼を死なせるわけにはいかん。だが、うかつに起こせば何が起きるかわからんぞ」
黒鉄は決断を下した。
「直ちに精鋭部隊を編成し、『奈落の揺籠』へ向かわせろ! 目的は討伐ではない! 佐藤レンの安眠を死守し、彼を『寝かせたまま』地上へ連れ帰るのだ! 国家非常事態宣言を発令する!!」
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【登場人物】
- 黒鉄 ゲン: 探索者ギルド支部長。レンの能力に気づき保護指令を出す苦労人。
【場所】
- 探索者ギルド本部・司令室: 多数のモニターが並ぶ管制室。黒鉄ゲンが指揮を執り、レンの配信を監視している。
【アイテム・用語】
- 深淵のハイエナ(アビス・ハウンド): 奈落の揺籠に生息するSランクモンスター。集団で狩りを行う凶暴な魔獣だが、レンの魔法で一瞬にして氷像となった。
- 国家非常事態宣言: 黒鉄ゲンが発令した緊急指令。レンを起こさずに保護することを最優先とする特殊任務。




