未来に吹く風
春の陽射しがやわらかく差し込む図書館の窓際で、詩織はノートに何かを書いていた。
「“あなたの声が風になった”
そう言われた日のことを、私は一生忘れないだろう」
それは詩織が書いたエッセイの冒頭だった。
進路を決める作文の課題。
ほかの子たちは志望理由や夢を書くけれど、詩織は風について書くことにした。
あの時、公園で出会った少年。
風のように現れて、風のようにいなくなった。
けれど彼の言葉は、ずっと詩織の中で生きていた。
「君がいると、風の流れが変わるよ」
誰かの役に立つとか、特別なことをするとか、そういう“役割”ではない。
“ただ、そこにいる”こと。
“ただ、感じて、届ける”こと。
それが、詩織の選んだ未来だった。
「わたし、文章を書いていきたい」
進路指導の面談でそう言ったとき、先生は少し驚いた顔をしたが、すぐにうなずいてくれた。
「伝えたいことがあるんだね?」
「はい。小さなことでも、言葉にできたら、それが誰かの風になるかもしれないから」
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卒業式の日、透が声をかけてくれた。
「しおり。……あのとき、教えてくれてありがとう」
「え?」
「“言葉は風みたい”って。
あれからずっと、僕も誰かの風になれるかもしれないって思ってる」
詩織は少し驚いて、でもすぐに微笑んだ。
「じゃあ、これからもお互い、風になろうね」
透は照れくさそうに頷いた。
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春の終わり、詩織は小さな出版社のインターンとして、文章を届ける仕事を始めた。
まだ何者でもない。けれど、何者にもなれる風のような存在。
今日も彼女は誰かの心に、そっと吹いている。
「私の役割は、たぶん“風のように誰かをそっと動かすこと”
名もなき風の力を、私は信じている」