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いつか交わした約束を、コリンナはいつまでも忘れられないでいた。
「ダグラス! 私たち結婚しよ!」
「えっ……!?」
「今はまだ子供だから無理だけど、大人になったら結婚するの!」
「で、でもお嬢様、僕はただの使用人ですよ……?」
「そんなの関係ないわ! お母様がロマンス小説を読んで『愛し合う者同士は結ばれるべき』って言ってたもの!」
「……ふふっ……では、今の言葉を忘れないで下さいね? 僕もきっと忘れませんから」
「当たり前でしょ!」
幼い頃、同じ歳の使用人であるダグラスと交わした陳腐な約束。
孤児で路頭に迷っていた黒髪の少年、ダグラスをアッカーソン伯爵家の次女であるコリンナが拾ってから、彼はコリンナの専属世話係として伯爵家に仕えていた。幼い彼らは忽ち恋に落ち、自身らの身分差なども考えず結婚の約束をしたのだが、時が経つに連れその約束も風化してしまっていた。
しかし、コリンナは未だ信じていた。彼が約束を忘れるはずはない、と。他でもない彼が『忘れないでくれ』と念を押したのだから。
信じ続けることで、この先の障害をも乗り越える覚悟が決められる気がした。
彼にとって恩人である自分が振られることなど、コリンナの脳裏には浮かんでいなかったのだ。
二人が13歳になったとある昼下がり、コリンナはダグラスを連れて邸宅の庭で姉と共に紅茶を嗜んでいた。子供舌なコリンナは紅茶の良さが理解出来ず、甘いお菓子ばかりを頬張り姉とダグラスに微笑まれていた。
姉はクリスティアナ・アッカーソン。母親似の美しい見目と豊満な胸、それでいてドレスを着ていても分かるほどのスラリとした長い手足はまるで女神のような美しさで、彼女を視界に映した男性は皆釘付けになると言われている。
見た目だけでなく、何処に出しても恥ずかしくない美しい所作と落ち着いた声は、コリンナよりも二つ歳上なだけだというのに酷く大人びて見えた。
周りにいる使用人達が茶を飲む彼女に見惚れ、頬を染めているのがコリンナの視界に容易に映る。
そして、コリンナと結婚の約束をしたはずのダグラスもその内の一人であった。
コリンナはダグラスの表情に不安を感じ、姉との会話とは関係もない話題を繰り出す。
「お姉様は知らないでしょうけど、私ダグラスと結婚の約束をしたのよ!」
私からダグラスを取らないで、と言わんばかりの切羽詰まった表情で発すると、クリスティアナは「そう。それならダグラスは私の弟になるのね」と微笑んだ。
いつもと変わらない姉の様子に安堵したのも束の間、ダグラスを見ると酷く寂しげに美しい姉を見つめていたことで、コリンナは嫌でも気づいてしまうのだった。
姉が好意を抱かなくとも、彼が姉を想っていれば自身は振られたも同然なのだ、と。
ダグラスの姉への想いに薄々気が付きつつも、コリンナは必死に見て見ぬふりをした。まだ約束を撤回されたわけでもないのだ、と無理やりに自分を納得させ、彼との約束に縋っていた。
見合いの話が来ても、優しい父親に頼み全て跳ね除けていた。
やがてコリンナは15歳になり、魔法に目覚めた。魔力を持って生まれた一部の人間は十代で魔法に覚醒し、魔法の扱い方を学ぶため王立魔法学園へ通う、というのがこの国の掟であった。
魔法に関しては身分など関係なく、学園へ通うことを義務とされている。
アッカーソン伯爵家は代々水魔法に覚醒するとされていて、クリスティアナもコリンナと同じ歳の頃に魔法に覚醒し、学園へ通っていた。肥えた土地に潤いを与え、暮らしを豊かにする水魔法は世間的には『女神の魔法』と囁かれており、コリンナも姉と同じように水魔法に覚醒するのだと信じて疑わなかった。
しかし、コリンナが覚醒したのは土魔法だった。代々水魔法に覚醒するはずのアッカーソン伯爵家で何故、と社交界では様々な憶測が飛び交ったが、魔力のない母方の遠い先祖に一人だけ土魔法に覚醒した人間がいたと調べがついた。
優しい家族や使用人は世間から必死にコリンナを守り、大して役に立たない魔法だと笑われる土魔法を「美しい大地を生み出す魔法だよ」と励ました。
けれどコリンナは、優しい彼らの言葉よりも厳しい世間の目ばかりを気にしていた。
一度立ってしまった噂を完全に収めることは不可能で、世間から「伯爵の不倫で出来た子なのでは?」と囁かれるたび、そうなのではないかと父親を疑ってしまった。
母親がどんなに否定し、「あなたは私がお腹を痛めて産んだ、可愛い娘よ」と言ってくれても、何故だかコリンナの心は晴れなかった。
そんなコリンナの疑心は、やはりダグラスとの約束を思い出すことで辛うじて言葉に出さずに済んでいた。
翌年からの王立魔法学園への入学が決まり、コリンナが浮かれていた頃だった。
コリンナは目にしてしまう――ダグラスが、クリスティアナへの想いを吐露しているところを。