美しい創作の世界では危険性を説いてはくれなかった
「ミホちゃん、今帰り?」
高音域の警戒心を抱かせない柔らかな声音が忍び寄った。
夕暮れ時の伸びた私の影を踏み、その場から逃げられなくする足音がぴったりと背中にくっつく。
名前を呼ばれるのがくすぐったほど好きだったのに、今は叫びだしたいほど恐怖に支配されているのは何故だろう。
優しい呼び声が私の首を掴んで、ゆっくりと絞めて酸素を奪っていく。
「今日はバイト? それとも部活? 今の時期だとテスト期間中、かな。学生だといろいろ行事があって忙しいよね。メッセージの確認も後回しになっちゃうのも分かるよ。予定もなかなか合わなくて会えない日が多いからさ。会いに来ちゃった。待ち伏せする形でごめんね」
たわいもない雑談の中に含まれる、低姿勢な謝罪。
けれど節々に漂う男の傲慢と自己本位が警告音を鳴らしていく。
振り向いた先にいる怒られた子犬のような瞳の中には「許せよ」とプライドにまみれた怒りを宿しているに違いない。
警察に通報する? 元恋人に付き纏われて困っています? どこから話す?
バイト先で知り合った十五も離れた大人と、その代償の恐怖を知らずに付き合った愚かさを告白するの?
必然的に親にもバレるし、どこかで話が漏れて友達にだってバレる。
そんなの無理だ。
絶対に自業自得だと冷めた眼差しを向けられ、一生の恥を負う覚悟なんか私にはない。
私の思考回路を理解した上で、この男は平然と私の前に現れる。
“何”をされても誰にも助けを求められないのを知った上で、掌の上で転がして感情のない玩具のように蹂躙する。
分別のつく大人は子供とは付き合わない。美しい創作の世界では教えてはくれなかった。
「優等生のミホちゃんはなんてお母さんに言い訳するのかな。“勉強するから遅くなります”? “部活の友達と少しお喋りしてから帰る?” どちらにせよ大好きなお母さんに嘘をつくことになるね」
悪魔の囁きと共に両肩に手を置かれた。
「ミホちゃん、俺と遊んでからお家に帰ろうね」