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吃音症について

作者: 神田

※かつて私は一介のライトノベル作家としてこのアカウントで活動させていただいていた時期がありましたが、これはそれに全くもって関係のない文章になります。


 現代社会は吃音への理解が非常に乏しい。

少しでも当事者の感覚と意見を知ってもらいたく、この文を書いている。大して面白い話ではないが、それほど長くはないのでどうか最後まで読んでほしい。

ご存じない方のために一応書くが、吃音症とは非流暢発話障害のこと。非常に端的に言えば、まともに喋れない障害である。

 はじめに、症状を軽く説明しておこう。

 まず、連発性吃音。ある特定の音(よくあるのはか、さ、た行)を発音する際、その音を繰り返してしまう。

次に、伸音性吃音。語頭の音を伸ばして発音してしまう。

そして、難発性吃音。語頭の音を発音するのに時間がかかってしまうものだ。

 吃音を抱える人はこれらのうちの1つ以上を持っていて、そしてどれも、本人の意思に反して起こるものである。

 私はこのなかで、連発性と難発性を持っている。幸いなことに私はどちらも比較的軽いものだが、それでもつらいものはつらい。

 正直なところ、吃音の感覚はもはや当事者や経験者にしかわからない感覚だと思う。体感したことがない人にはわかりようがないだろう。

 出来る限り分かりやすく伝えるならば、「頭の中では何を言おうとしているか既に決まっていて、声帯の手前まで言葉が来ているのに、空気が通るのを声帯が邪魔している」感覚だ。伝わるだろうか...?可能な限り言語化すると、本当にこの感覚なのである。

 吃音というと、たいていの人にとっては「どもる」という印象だろう。間違ってはいない。

しかしじゃあ、その症状を説明してくれ、と言うと、多分最初に書いた「連発」しか知らない人の方が多いだろう。冒頭で3つの基本症状を並べたが、多分これを読む前から吃音に興味のあった人以外が一般常識として知っている吃音は、恐らく連発のみだ。少なくとも、私の周囲の人間は皆そうだった。もしあなたやその周囲がそうでないのなら、この場をお借りして謝罪するとともに、非常にうれしく思います。

 少し的を絞って、難発性吃音の話をさせていただきたい。

 前述した通り連発性はまだ見た目わかりやすし比較的有名なため、多少は理解を得やすいだろうし、伸音性も一般に理解されている吃音とは少しイメージが異なるかもしれないが、分かる人にはわかってもらえる。

 問題は難発性だと私は思う。

 先に断っておくが、私は別に他の症状が楽だなんて言う気は毛頭ないし、吃音の私を憐れんでほしいとか同情してほしいなどという感情は一切ない。特に私は伸音の症状を持たないため、伸音に関してはほぼ想像と調べて出てきたものだけで判断せざるを得ない。だがこれらを踏まえたうえで、なぜ難発性は少し特殊なのかを聞いてほしい。

 結論から言うと、ただでさえ認識されにくい吃音症の中でも、難発性が最も周囲に認識され辛いからである。

 吃音を持つ人なら分かるだろうが、長年これと付き合っていると自分が詰まりやすい音や単語が分かってくる。そして会話中にその単語を出さねばならない場面が現れれると、瞬時に「今の自分はこの単語を流暢に発音できるか」を感覚で判断する。可能ならそのまま発音するし、無理だと判断したら的確に代替できる言葉(携帯→スマホ など)を探す。

(つまり、会話中に大して難しくもないような単語を発音する前に考えているようなしぐさを見せる人や、無駄に回りくどい言い回しをするような人、「えーっと...」が多い人は吃音を抱えている可能性があるということである)

 そもそも症状を持つ人は吃音を表に出そうとしない。まずこれが、吃音症を持つ人そのものが認識されにくい理由である。

 ところが、代替語を探しても正確に意味を伝えられるものが見つからないときはままある、というのが残酷ながら現実でもある。この場合、思い切ってありのまま発音する、というのが一つの手だ。かなりの勇気を要するが。

 そしてここで、少し差異が生じる。音に明確な個性が現れる連発や伸音に比べ、音そのものがほとんど、あるいは全く出ない難発は、場に静寂をもたらす。私の場合になるが、もう何も言えないのである。その時が来るまで一音たりとて私の声帯は音を出さないどころか、肺から来た空気をも通そうとしない。一方、会話の相手は不思議そうな目でこちらを見るのだ。そして、息が詰まり苦しくなって、または恥ずかしくなって顔を赤くする私を珍奇なもののように眺める......これは完全に誇張表現です。すみません。

 だが冗談を抜きにしても、吃音保持者(特に難発性)は上に近しい感覚を覚えたことが一度はあるはずだ。音にはっきりした個性が現れる2つと違い、難発性は音が出ないことそのものが個性なのだから現れにくいのは当然のこと。これはもう仕方のないことである。

 私は幸い、症状の波が良いときは他人と大差なくしゃべれるくらいには症状も軽く、重いときでも伸音の症状が出たことはないのでまだましなほうである。

 ありのまま発音する以外の対処法として、吃音が解除されるまで少し意味の異なる別の単語でなんとか場を繋ぐ方法がある。

例えば、私が佐渡へ旅行に行ったとして、友人にその内容を問われたとしよう。私は「佐渡だよ」と言おうとするわけだが、運悪く私の声帯がそれを拒んだ。

 この場合は2パターンの繋ぎ方がある。

1つは、もっとスケールの大きい単語に言い換えることである。

 私の場合は、さ行が苦手な反面、な行は問題なく発音できる場合が多い。だから「新潟だよ」と言い換えることができる。これなら嘘にはならないし、一度この局面を乗り切ったことで難発性が解除されるかもしれない。

(吃音には波があり、大丈夫なときは本当に大丈夫だし、駄目なときはめっきり駄目)

そうしたら改めて調子の良いときに佐渡に行ったことを伝えればいいのである。

 だが「新潟のどこか」と聞かれたとき、まだ難発性が解除されていない場合もある。

 その時に役に立つのが、名前を忘れたふりをして相手に言ってもらうことである。

「新潟の.....島!なんだっけあの島の名前」と相手に振る。そうして相手が「ああ、佐渡ね」と繋いでくれるのを期待するわけである。

 これは吃音を持つたいていの人が、長年これと付き合っていくうちに誰に教わるでもなく自然と身に付けている回避術である。

 ところが残念なことに、これが通用しない場面がある。さあ、想像がつくだろうか?

この回避術は非常に優秀だが、「症状が治まるまで待つか、症状の出る部分を無理やり回避する」が基本スタンスであり、症状が治まるまで待てる余裕や、言えない部分を相手に任せられるという環境が必須である。つまり、一刻を争う場面で急いで自らの力で何かを伝えなくてはならない場面では、一切役に立たないのである。

 一番シリアスじゃない日常的に言える場面はFPS戦闘ゲームだ。好きな人もいるんじゃなかろうか。友人、或いはマッチングした同志と戦うのは実に楽しいが、私はソロプレイが主だ。他人に迷惑をかけたくないからである。

 もともとゲームが得意ではないからというのもある。だがそれ以上に大きいのは、報告がまともにできないということである。

 報告というのは自分が見た敵や物資の場所などを共有することだが、当然これはスピードが命。接敵中なら必然的に焦るわけで、あとはもうお分かりですね。

 私は一昔前にフォートナイトというゲームにはまっていたが、もうやらなくなってしまった。他人への迷惑を度外視しても、言葉に詰まる機会が増えるというのは普通にストレスだ。こればっかりはもう仕方のない宿命みたいなものだと思ってあきらめている。

 一通り吃音の概要と難発性にフォーカスした現状の紹介、当事者が実際にやっている回避法をご紹介させてもらったが、最後に改めて「皆さんにお願いしたいこと」と「社会がこうなったら生きやすいな」というのを書かせてほしい。

 確かに吃音だからといって、別に寿命が縮むわけでもないし、食事制限をしなければいけないわけ無いわけではない。普通の人から見れば「吃音なんて他に比べたら安いものなんだからそれくらい耐えろ」と思われるやもしれないが、言葉によるコミュニケーションが必須な人間社会において、吃音のような言語障害はほかの諸障がいとは違った辛さがあるということをぜひ分かってほしい。そしてそのうえで、多少の配慮が欲しいと思う。

なにも全てにおいて吃音に配慮しろなどとは言わない。だから例えば、私がFPSを満足にできないことに改善を求める気などない。どうにかしてほしいのは「吃音症を持つ人を見る目」と「症状に対する理解」である。

 吃音に対する理解がみな平均して乏しい、というのは私がこれまで短いながらも生きてきて感じたことである。

 これは私個人の意見に過ぎないが、日本人特有の「同調圧力」がマイナスに働いているのではと思う。日本人には「空気」という文化があり、空気を乱す、つまり標準にそぐわない違和感を「おかしい」と感じ取る能力に長けている。だから、「吃音」や今回話題に出さなかった「トゥレット症候群」などの少々特異なエクスプレッションを含んだ障がいを持つ人を、どこか小馬鹿にするような人がたまにいるのだと思う。

 どうかここまで読んでくれた皆さんには、そういったことをしないでいただきたいと思う。これが皆さんにお願いしたいこと。吃音を理解する。理解さえしてくれればきっと笑えないはずだ。私たちは真剣に喋っているということを分かってくれれば、ただそれだけでいいのだ。そして同時に、これは初等教育で正しくそういった障がいについて教えれば軽減できるものだと私は考えている。

 第一、障がいを自分から調べようという人は多くないのが当たり前だし、できることなら調べなくても済むような世界だったら素晴らしいと思う。

 教えないから知る機会がない。知る機会がないから、知らない。知らないから、障がいをおかしいと思う。そのまんま育ってしまうから、子供にも教えることができない。こういうサイクルが出来上がってしまっている。これでは良くない。

 ぜひ、学校の保健体育、あるいは道徳の時間を活用して、吃音に限らない障がいについて軽くでいいから生徒たちに知る機会を与えてほしい。そして会社もまた、そういう社員や客にどう対応したらいいのかを教える研修などを積極的に行ってほしい。それだけでもかなり違うと思う。これが「社会に求めたいこと」だ。

吃音の回避方法を吃音を抱える人それぞれが独自に持っているように、できる限りの工夫を既にやってきている。今度は是非、社会がそれを助けてほしいと思う。


 しーさーさんという普段は文房具を紹介しているYouTuberさんがいる。この間、自身の吃音症について話す動画を挙げており、私もその内容に非常に共感した。私のこの文章よりもずっと踏み込んだ話をしていたので、もし興味があったら見に行ってほしい。


 言いたいことをつらつらと書いただけですが、ここまで読んでくださったことを心から感謝したいと思います。もし質問などがあれば、気軽にコメントをください。

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