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 ねえ、そんなにアイネのことが嫌いだったの?憎んでいたの?鬱陶しかった?それとも他に何か理由があったの?


 矢継ぎ早に尋ねたい衝動に駆られたけれど、藍音が口に出したのはたった一つの問いだった。


「どうして……毒を入れたの?」

「……っ」


 直球の質問にジリーの表情は強張ったけれど、目を逸らすことはなかった。


「そうしなければ私の家族が路頭に迷うからでございます」

「路頭に迷う?……ねえ、もう少し順序立てて教えてくださる?」

「失礼いたしました。実はつい先日、イレリアーナ様から我が家にとある商品をご注文いただいたのですが、その品に不手際があり……イレリアーナ様から強いお怒りを買ってしまったのです」


 あれまあ、と口に出さなかったのは、アイネがそんなオバサンみたいな言葉を使わないからじゃなくて、驚きすぎて声が出なかったから。


「えっと……ジリーの実家は大きな商家だったはずだけれど……一体何をあの人に売ったの?何をして怒らせたの?」

「口紅でございます。イレリアーナ様が望んだ色では無く、たいそうお怒りになられ……王族に売りつけた商品に不手際があるなんて反逆罪だと」

「そう……えっと……それで?」

「二度と商売ができないように一族郎党、国外追放してやると。……それが嫌なら奥様の飲み物にコレを入れろと脅され……」


 コレと言いながらジリーはドレスのポケットから小指ほどの大きさの小瓶を取り出した。中身はほとんど入っていないけれど、目を凝らせば微かに底に数滴残っている。


「脅されて、家族とわたくしの命を天秤に掛けて、家族を選んだってことかしら?」

「……そうでございます」


 小瓶を握りしめたまま口を閉ざしてしまったジリーに代わって藍音が結末を言えば、彼女は苦し気な表情で頷いた。


 真相を知って、言いたいことは山ほどある。しかし、まずやるべきことはこれだ。


「ジリー、その小瓶をわたくしにちょうだい」

「かしこまりました」


 ごねるかと思いきや、ジリーはあっさり手渡してくれた。


「つかぬことを聞くけれど、これって貴女がまだ持ってて良いのかしら?あの人は、返せって仰らなかったの?」

「はい。一度は返却を求められましたが、中身は全て使い切って入れ物は割って暖炉に捨てたとお伝えした所、納得されたご様子でした」

「……そう。貴女もそうすれば良かったんじゃない?」


 手のひらに収まっている鉄さび色をした劇薬をしげしげと見つめながら思ったままを言えば、ジリーはおずおずと口を開く。


「できませんでした。もしかしたら、これが何かの役に立つと思いまして。……今更こんな言い訳は見苦しいのは重々承知しておりますが……イレリアーナ様からこれを受け取った時、わたくしは毒は毒でも酷い腹痛を起こすものだと伺っておりました」

「ん?」


 それはとても重要なことだ。


 もっと詳しくと藍音が目で訴えれば、ジリーは更なる怒りを買ってしまったと思ったのだろう。カタカタと震える。それでも詳細を語った。


「これは推測ですが、イレリアーナ様は、常日頃から奥様のことを快く思っておられませんでした。奥様が旦那様に雛鳥のように大切に守られ愛されていることに、強い憤りを感じられておりました」

「へぇ」


 とんだ、嘘つき者だと、藍音の中でライオットを嫌う理由がまた一つ増えた。けれど感情は最小限に抑えて、ジリーに続きを早くと促す。


「イレリアーナ様はそんな奥様に恥をかかせたかったのでしょう。本日は月に一度、ご主人様が奥様と食事を共になされる日。その時、無様な姿をご主人様に見せつけてやりたかったのだと思います」

「……そう」

「ただ、奥様は今年に入ってからは月に一度の食事会にすらご欠席されておりましたので……正直、部屋に閉じこもりっきりの奥様が腹痛で呻いたところで」

「ま、恥などかくわけないって思ったのね」

「さようでございます。ですが……これは、言い訳に過ぎません。私は奥様に取り返しのつかない――」

「ジリー、悪いけれどちょっと黙ってて」

「はい……申し訳ございません」


 キツイ物言いになってしまったけれど、ジリーに対して怒り狂っているわけじゃない。与えられた情報が多すぎて、藍音の頭は破裂寸前なのだ。


 ジリーからの話を整理すると、イレリアーナはアイネを嫌っていた。おそらくジリーの実家は不手際なんて犯してない。きっとアイネを始末する為に虎視眈々とその時を狙っていたイレリアーナの一方的な言いがかりだだろう。


 それに公にはされていないが、イレリアーナこそが城を追放された身だ。勝手気ままに誰かを処罰する権力なんて彼女には無い。


 しかし平民のジリーにとっては、王族というだけで雲の上の存在だ。どんな理由であれ怒りを買ってしまえば、恐ろしくてまともな考えなどできるわけがない。


 家族を救いたい一心で、言われるがまま悪事に手を染めてしまった気持ちは、許されるべきことではないがわからなくもない。


 つまりアイネの毒殺は、ライオットの愛人イレリアーナが仕組んだことで、ジリーには殺意はなかった。事実として、アイネを手にかけた犯人がジリーになってしまっただけ。


 藍音は目を閉じて、現世と黄泉の国の狭間にいたアイネの姿を思い出す。


 真珠色の空を見上げて呟いたアイネは、裏切りと孤独から世界中で一人ぼっちになってしまったような虚無の顔をしていた。


 ――この真相をあの子に、教えてあげたいな。


 そうしたらアイネはちょっとは救われるだろうか。笑ってくれるだろうか。


 そこまで考えたら不思議なことに、空を見上げていた記憶の中のアイネがこちらを振り返った。花が咲いたような笑顔を浮かべていた。


 おそらくこれは都合の良い解釈だ。何の被害にも合っていない自分が生み出した甘っちょろい妄想だ。でも、きっと……


 閉じていた目をゆっくり開いて、ジリーを見下ろす。


「話してくれて、ありがとう」


 こちらを見上げるアイネの侍女は、全ての罪を認めた死さえも受け入れる咎人の顔をしていた。


 ――アイネ、間違ってたらごめん。ほんと、ごめん!


 心の中で謝罪の先払いを済ませた藍音は、ジリーに沙汰を下すことにした。


 手探りの中で見つけたアイネならきっとこうすると思える、それを。

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