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 並んで腰かけて。無言で小川のせせらぎに耳を傾けていた二人だが、ここで沈黙が破られた。


「ご親切にしていただいたのに……わたくし名も告げずに申し訳ございません」


 ハンカチ代わりに渡したブラウスのリボンをぎゅっと握りしめて口を開いたアイネに藍音はカラカラと笑う。 


「あははっ。いいよー、もうっ。そんなの気にしないでったら。でも教えてくれると嬉しいな」

「もちろんでございますわ。改めましてーーわたくしアイネ・レブロンと申します」


 弦楽器のような滑らかな声で告げられたその名に、藍音は固まった。見ず知らずの少女の名に聞き覚えがあったのだ。


 アイネ・レブロンーーそれは藍音が死ぬ直前まで愛読していたネット小説【今宵、花になれるのは唯一人】に出てくるモブキャラの名前だ。


 これまで小説を好んで読むことはなかった藍音だけれど、智哉が小説家になると宣言してから、手軽に読める小説サイトの存在を知った。


 最初は智哉に対しての理解を深めるため、彼が書きたいと言っていたジャンルばかりを読んでいた。引き込まれる作品に出会えることはなかったけれど、会話が弾めばという気持ちがあって飽きることは無かった。


 しかし小説サイトを利用し始めた藍音は、いつしかたった一つの小説に夢中になった。それが【今宵、花になれるのは唯一人】である。


 余談だが、この話のお気に入り登録者は一人。藍音だけ。


 でも話の内容は残念ではない。よくある国王の寵愛を求める側室達のドロドロの愛憎劇だが、テンポも良く面白い。


 ただ藍音が夢中になっていたのはストーリーではなく、その中で自分と同じ名の登場人物に強い興味を惹かれたから。


 美しい容姿を持っているのに夫に愛されない可哀相なお飾り妻。側室達は事あるごとにアイネを不幸の代名詞として扱った。


 とはいってもアイネが登場する描写は無かった。出てきそうな気配はするのに、一向に姿を現さない。それが余計に気になって、藍音は最新話が更新される度に仕事を放り出してトイレに駆け込み熟読した。


 そのアイネが、今ここに居る。


「……あのぉーアイネ・レブロンさんって、もしかしてクリークルン国の侯爵夫人さん?」

「まぁ、異国の方でも、ご存じだったとは」


 正確には異国ではなく異世界だ。でも、そこの違いはさしたる問題ではない。それより小説の登場人物と遭遇しちゃった方が問題だ。


「なんかこんなこと聞いたらとっても失礼なんだけれど、アイネさん……死んじゃったんだよね?」

「ええ。間違いありませんわ。おそらく寝る前に飲んだ茶に毒が入ってたのでしょう」

「……つまり、毒殺?」

「さようです。飲み終えた時、侍女が青ざめてましたから、きっとジリーに殺されたのでしょうね、わたくし」


 天気の話をするくらい軽い口調に、藍音は掛ける言葉が見つからない。そんな藍音を気遣うようにアイネは微笑み「あなたは?」と問いかける。


「……あー、えっと……私は事故死。でっかい鉄の塊みたいなものに轢かれちゃってさ」

「まぁ、そんな」


 両手を口元に当てて顔色を無くすアイネは、おそらく相当酷い有様の自分を想像しているのだろう。


「あ、でも痛くなかったから。大丈夫だよ」

「そう……ですか」


 何が大丈夫なのかわからないけれど、藍音が慌てて付け加えればアイネは小さく頷き俯いてしまった。


 ーーこんなんじゃ、女子会にならないよ。どうしよう……困った。


 10代で死んじゃった女の子に最後に楽しい思い出をと思って気軽に誘っただけなのに、相手は自分が愛読していた小説の登場人物で、侍女に毒殺されたという自分より何倍も強烈な死を迎えている。


 そんな人に自分は一体、どんな言葉を向ければいいのだろう。


 二人の間にある空気はどんどんしんみりとした空気になっていく。


 本来なら誘った側の自分が明るい雰囲気に変えないといけないのに、その手立てが思い浮かばず藍音は泣きたくなる。


「あのさぁ、元気出しなよ」


 悩んだ末に、藍音はありきたりな言葉で励ますことにした。


「死んじゃった人に元気出せっていうのもアレだけどさ、死んじゃったんだからもう過去のことで泣かなくて良いんじゃない?」

「……っ」 

「私もさ、嫌なこといっぱいあったんだ。自分が死んだとき、アイネちゃんと同じように虚しいって思ったのも事実だよ」

「そ……そうなんですか」


 やっと顔を上げてこちらを見てくれたアイネに、藍音は「うん!」と大きく頷く。


「私もね結婚してたんだけど、ヒドイ夫でねー。働かないわ浮気するわで、もう大変。おかげで万年金欠だし、式も挙げられなかったし、働きすぎて過労でフラフラだったし」

「そんな男性がこの世におられるのかしら」

「いるよ、いる!ま、できればそんな奴と関わり合いたくはないけどね」

「同感ですわ」

「ただねー、そういう奴に限って最初は良い奴だから見分けがつかないんだよねー。あ、私が言うと生々しいかっ」


 最後は芸人風に自分にツッコミを入れれば、アイネはクスリと笑ってくれた。


 和やかな空気を感じた藍音は嬉しくなって、ググッと大きく伸びをしてから言葉を重ねる。


「つまりさ、お互い色々あって辛かったと思うけど、笑い飛ばして来世に期待しようよ。きっと“よっしゃー!生き切ったぞー”って神様に笑顔で会うほうが心証が良いだろうし、ね?……って、え?……ど、どうしたの?」


 言い終えたと同時に片手を挙げてハイタッチでもしようかと思っていたのに、アイネの口元から笑みが消えていた。


 それだけじゃない。黄昏のような茜色の瞳は陰を帯び、こちらを鋭くにらんでいた。

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― 新着の感想 ―
[一言] >余談だが、この話のお気に入り登録者は一人。藍音だけ。 >その中で自分と同じ名の登場人物に強い興味を惹かれたから。 もしや作者は・・・
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