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身体ごと向き合った藍音にカイロスは約束もなくここに来たことを詫び、次にこう言った。
「今日……妹が、この国を去った」
その言葉で、彼がわざわざ足を運んでイレリアーナの処分を伝えに来てくれたことを知る。
ぎこちなく頷いた藍音を一瞥すると、カイロスは淡々と詳細を伝えた。
名ばかりの王族イレリアーナが犯した侯爵夫人殺害事件の罪は重く、国王は今度は彼女を擁護することはしなかった。
彼女に下された沙汰は、外交の駒として異国の王の元へ嫁ぐこと。
聞きようによっては罪を逃れたようにも取れる。だが海を渡った嫁ぎ先にいる夫は、妻殺しという異名を持つ残忍な性格の男で、既に8人の妻が不幸な死を迎えている。9人目の妻となるイレリアーナの未来は明るいとは到底思えない。
国王と異国の王はこの婚姻において、どんな取引をしたのかは告げられることはなかったが、多少なりともクルークリン国に得るものはあった。公にされることはないが、その全てはレブロン家に贈られる。シャロテとアイネへの慰謝料という形で。
金品でカタをつけたやり方に藍音は思うところがあるが、国王は過去の件も含めてイレリアーナの罪を認めた。レブロン家の皆さんにとって、それが救いになればと祈るばかりだ。
「陛下が出した結論に異論を唱えることはできないが、個人的に今回の件、謝って許されることではないと思っている。すまなかった」
低く重く、心から謝罪の言葉を紡ぐカイロスを見て、藍音はこらえきれず吹き出した。
「ふっ……あはっ、あ、ごめんなさい。失礼、殿下。でも……ふふっ、殿下にそんなことを言われるなんて思ってもなくって。だって、殿下はイレリアーナ様を守るためにわたくしを口説こうとしたくせに。説得力がありませんわ」
後で知ったことだが、カイロスはイレリアーナのことを可哀想な妹として、そこそこ気にかけていた。
その気持ちからカイロスはレブロン邸に間者を送っていた。
路地裏で急に声を掛けられた時、カイロスは身分を隠した格好だった。今にしてみれば、あの時、自分はカイロスに尾行されていたのだろう。
こちらとしてはヒューイの不正を暴くためにイレリアーナが贔屓にしている店を調査していたのだが、カイロスにとったら自分は妹の立場を脅かす厄介な存在だったに違いない。
当時のアイネは夫に愛されないお飾り妻。とっても失礼だが、カイロスの目から見たらアイネは愛に飢えた人妻に見えたのだろう。
だからカイロスは、色仕掛けでアイネの意識を別のところに向けさせようとした。ついでにライオットとイレリアーナが結ばれればラッキーぐらいに考えていたのかもしれない。
結果としてそれは失敗に終わり、イレリアーナは最悪の未来を自ら選択してしまった。
もちろんこれはあくまで仮説。ただ、カイロスの表情を見る限り、そこそこ正解だろう。
「全てお見通しだったというわけですね。まいりました」
観念したカイロスは、それからイレリアーナとの思い出を語り出す。
人を試すことでしか愛情を計れない妹を不憫に思うカイロスは、王族ではなくどこにでもいる妹に振り回される兄の顔をしていた。
「――と、いうわけでイレリアーナのことはゆっくり時間をかけて折り合いをつけようと思ってる。ただ、君に謝罪をしたいという気持ちは確かにある。できることは限られているが、もし何か望みがあるなら言ってほしい」
長々と語り終えたカイロスは心なしか男前度が上がっていた。
そんな彼に、藍音は少し悩んで口を開く。
「……では、急所蹴りをしたことを一生黙ってていただけますか?」
「言われなくても公言なんかするもんか。逆に君こそ一生黙っててくれ」
「言いませんよ、そんなこと!」
ムキになって言い返せば、カイロスはやや苛立った口調で「で、何か無いのか?」と訊いてくる。さっきまでの殊勝な態度はどこへやら。
横柄な態度になったカイロスに、藍音はならばと思い付いたまま要求を口にする。
「じゃあ、側室筆頭のヴィラ様主催のお茶会があれば、わたくしを招待してください」
ここは小説の世界じゃなくて、自分が生きていく世界。それはちゃんとわかっているが、小説を読んでいた自分は間違いなくいた。
夜会でチラリとしか見ることができなかった小説の登場人物を間近で見たいと思う気持ちを無理に消す必要はない。ポンと出たこのチャンスは最大限に活かすことにしよう。
そんな気持ちから、藍音は弾んだ表情になる。対してカイロスは微妙な顔つきになった。
「ヴィラ妃の……茶会?」
「そうです。無理ですか?できませんか?」
さあさあと詰め寄れば、カイロスはたじろいだ。
「ま、まぁ……そんなことで良いならお安い御用さ。近いうちに開催すると思うから招待状を送るよ――あ、その時は二人分がいいかい?」
承諾しながら何かに気付いたカイロスは視線を別のところに向け、茶化すような視線を藍音に向けた。
「いえ、一人分」
「そっか。わかった。じゃ、これで」
藍音の言葉を遮ったカイロスは、追い立てられるように庭を後にした。
「まったく、困った人ね」
苦笑を浮かべる藍音の視線は、みるみるうちに小さくなっていくカイロス――ではなくて、大きな花束を抱えた紳士に向いていた。
花束を抱えた紳士はカイロスとすれ違った瞬間、これ以上ないほど不機嫌な顔をして小声で何かを囁いた。
すぐさまカイロスがビクッとなったから、きっと背筋が凍るような言葉を吐いたのだろう。
しかし紳士は藍音の元に近付くにつれ、不機嫌な顔は次第に拗ねた表情に変わる。
「君の世界では女はいつも男に試練を与えるのが常識なのか?」
「なにを仰ってるかわかりませんわ」
肩を竦めて藍音はカイロスがここに来た理由を伝える。花束を抱えた紳士ことライオットは、眉間を6回揉んで気持ちを落ち着かせた。
「しばらくぶりだな」
「……そ、そうね」
仕切り直しに笑みを向けられ、藍音は気まずさを覚えて日傘をクルクル回す。
今日の訪問客とはライオットのこと。
ジリーが丁寧に髪を結ってくれたのも、落ち着かなくて庭に出ていたのも、彼と久しぶりに会う自分の気持ちがそうさせているのだ。
ライオットとは、一年ぶりの再会だ。しかし連絡は途絶えていたわけじゃない。
離縁してひと月経った頃から、彼は手紙を送ってくるようになった。内容は藍音の元の世界の教育や医療に関してのものが中心で、好きだとか愛してるとか恋愛に関するものは一切含まれてなかった。
しかし、手紙が届く度に藍音の心は落ち着かなくなった。だっていつも手紙に書かれている自分の名前は【アイネ・ツヅキ】。
二度と呼ばれることが無いはずのそれを美しい書体で綴られる度に、熱烈なアプローチを受けていないのにライオットのことを無駄に意識してしまう。
消してしまった感情の種を植え付けたのはライオット。しかし再び芽吹かせてしまったのは自分だ。二度目のそれは、かなり心の奥まで根を張ってしまっている。
藍音は日傘をクルクル回しながらライオットをチラッと見る。
ついさっき拗ねた顔をしていた彼は、気丈にしているつもりのようだが、とても緊張しているのがわかる。
花束を持つ指先が震えているし、形の良い耳も少し赤い。身に着けている衣装だって、記憶より気合が入っているように見える。
今日の再会で何かが変わる。いや、変わりたい。
ライオットがそんな気持ちでいることがすぐにわかった。自分も同じ気持ちだから。言葉を交わさなくても彼の覚悟に気付くことができたのだ。
花の香りを孕んだ風が二人の間をすり抜ける。ライオットが抱えている桜色の花が心地よさそうに揺れる。
「わたくしね、中身は28歳なんです。お酒もガバガバに飲むし、職場の後輩や別の部署の人には怖いと煙たがられてたの。今はアイネの姿だから奇麗な女性に見えるけれど、本当は容姿だって十人並み。特技も無いし人より秀でたところなんて、なぁーんにも無いんですよ」
唐突に語り出した藍音の言葉に、ライオットが小さく息を飲んだ。
「だから……その……責任感とかでここに来てくれてるのなら……」
別の人を見つけても良いんですよ。
最後の言葉は怖くて言えなかった。もしこのまま「あ、そう」と言って背を向けられたら、今日の自分はヤケ酒確定だ。
そんな風に怯える藍音をライオットは豪快に笑い飛ばした。
「ははっ。神妙な顔で何を言い出すかと思えば、くだらないことをごちゃごちゃと。まぁでも……君が君の魅力に気付いたら私は大勢の男を相手にしなければならないから、これはこれで良いとするか」
最後は顎に手を当て一人納得するライオットに、藍音の眉間に皺が寄る。
「……なんだか、馬鹿にされたようで不愉快ですわ」
「機嫌をそこねたか?」
「ええ、とっても」
プイッと横を向いて日傘で顔を隠す。言葉とは裏腹に笑い飛ばされたことに喜んでいる顔を見られたくなくて。
なのにライオットは無情にも日傘を片手で持ち上げ、顔を覗き込んだ。
「っ……!!」
「君は忘れているかもしれないが、夜会の時に私は君がどれだけ太っても構わないと言った。君がこだわる容姿なんて、私にとってその程度のことだ。それに酒を飲む?大いに結構じゃないか。部下と同僚に怖がられる?それだけ君に発言力があるってことだ。胸を張りたまえ」
生真面目に語るライオットに、今、自分がどんな顔をしているかわからない。
「まだ怒っているか?」
「な……内緒です」
「そうか。それならば、これは一生黙っていようと思っていたが、私のとっておきの秘密を教えよう。これで君の機嫌が直れば良いのだが」
コホンと咳ばらいを一つして、ライオットは言葉を続けた。
「私は嫁いできた妻を亡き妹の姿と重ね合わせていた。しかし、ある瞬間から一人の女性として意識するようになったんだ。それは……」
「それは、妻の風呂場を覗いた時?」
「違う……と言いたいがそれは確かに決定打になった。でも、違う。聞いてくれ藍音。私が妻を一人の女性として意識するようになったのは、君が私の書類を奪って机に叩きつけた瞬間だ」
「っ……!!」
この衝撃をどう言葉にして良いのかわからない。
自分だけが空回りしている恋だと思っていた。ライオットが想いを寄せてくれたのは、心のどこかで居なくなってしまったアイネを追い求めているのではないかと不安だった。
しかし蓋を開けてみたらどうだ。恋の歯車は、こんなにも早く回り始めていたのだ。これじゃあ、弱気になるのも意地を張るのも馬鹿らしい。
「もうっ、狡いわ」
日傘を放り出した手をそのまま伸ばしてライオットの首に腕を回す。心得たとばかりにライオットが腰を抱く。
「機嫌が直って何よりだ」
片腕に藍音を乗せたライオットは、嬉しそうに喉をクツクツと鳴らす。
それが悔しくて藍音はライオットの頬を両手で挟むと顔を近付ける。自分を困らせる彼の唇を封じるために。
重なった唇はそのまま互いの熱を奪い、そして与え合う。
「……本当に君は私を捕えて離さないな」
唇を離したと同時にライオットから熱を帯びた視線を向けられ、今更ながら自分がしでかしたことに藍音は身もだえする。
そんな藍音を片腕に抱いたまま、ライオットは反対の腕に抱えている花束を差し出した。
「アイネ・ツヅキ、どうか私と交際してください」
この世界の貴族には交際という概念は無い。好きも嫌いも置いておいて即、婚約。恋をしたければ、結婚後にこっそり嗜むものだ。
しかしライオットはその常識を覆して、藍音が生まれ育った元の世界の考えを優先してくれた。断る理由などどこにあるのか。
藍音は満開の桜のような笑みを浮かべ、花束を受け取った。
二人の視線が絡み合う。どちらからともなく顔が近付き――ゆっくりと二人の影が重なった。
<おわり>
最後まで読んできただきありがとうございました(*´∀`*)




