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本日はライオット視点ですm(_ _)m
毒で生死をさ迷っている妻の枕元で、ライオットは必死に祈った。
神様、自分に差し出せるものは、なんでも差し上げます。命さえ。だからどうか妻をお救いください、と。
昼夜を問わず、ずっとずっとライオットは祈り続けていた。それ以外できることが無かったから。
しかし妻は青白い顔をして浅い息を繰り返すだけ。主治医は「あとは彼女の生命力次第だ」と殺意しか持てない台詞を吐いて部屋を出ていった。
なんて役立たずな男なのだろう。ライオットは自分のことを棚にあげて、白髭の主治医の首根っこをつかんで部屋に引きずり戻そうと思った。
しかしライオットが廊下に飛び出す前に部屋の扉が乱暴に開いた。断りもなく部屋に入ってきたのは、義父ルードヴェイと義弟フェリクスだった。
「貴様、死んで詫びろ!」
廊下まで響き渡るほどの怒声が耳をつんざいたと同時に、ルードヴェイに胸倉を掴まれた。あっと思ったときには、渾身の力で頬に拳を埋め込まれていた。
痛みより衝撃の方が強かった。不覚にもよろめいたライオットの腕を掴んだのはフェリクスだった。
ただ彼はライオットが転倒しないよう身体を支えたわけではなくて――
「この腐れ外道が!」
貴族青年とは思えない粗野な言葉と共に、フェリクスの膝が腹部に当たった。さすが騎士志望と絶賛したくなる蹴りは、ライオットに確かな一撃を与えた。
かふっと無様な息を吐いて再びよろめいたライオットに、今度は「姉上に剣術大会観に来てほしかったのに!くそっ」という恨み言と脛蹴りがセットになってやってきた。
酷く痛かった。しかしこの痛みは当然だと思った。なんなら殺されても仕方がないと思っていたし、もし自分が死ぬことによって妻が再び目を覚ましてくれるなら喜んで命を差し出そうとすら思った。
とはいえ、結局ライオットは義父と義弟に殺されることはなかった。騒ぎを聞きつけた妻の侍女ジリーの一喝で、二人が戦意を喪失したからだ。
その後、ジリーに追い出されるように義父と義弟が退室した。
ライオットはそれから、夜が更けても、朝を迎えても、ずっと妻の傍にいた。
そうして何度目かの朝を迎えた頃、妻――アイネは目を覚ました。
妻が黄昏色の瞳に再び自分の姿を映してくれたその時、ライオットはこの半年、心の中で抱えていた気持ちにやっと名前を付けることができた。
――私は、妻を愛している。
結婚した後に妻に恋心を抱く自分がひどく滑稽だが、この妻に向かう気持ちは間違いなく愛と呼ぶものだ。
彼女が笑ってくれるなら、それだけで世界は光に満ちる。
その笑顔を守る為なら何だってする。無条件に大切にしたいと思うし、誰よりも大切にしたいと願う。
もちろん今更だとわかっている。今は別居中で妻には離縁を同意したし、覆さないことも誓った。
しかし、その誓いをどうやったらなかったことにできるかライオットは無意識に考えてしまう。
そんな自分にアイネは、衝撃的な告白をした。次々と語られる全てが夢物語と笑い飛ばせるようなものだった。
でもライオットは、笑うことができなかった。
ある日を境に、妻が見知らぬ人間と入れ替わってしまった事実を自然と受け入れてしまう自分がいる。そして消えてしまった本当の妻に床に額を擦り付けて詫びたい気持ちでいっぱいだった。
――自分なんかと結婚したばっかりに。
己の家門を呪ったのは、二度目だった。妹を失った時と同じような喪失感が再びライオットの身体を締め付ける。
唯一の救いは妻が見知らぬ世界で生きているということ。しかしそれでも彼女を守れなかった事実は消えることは無い。一生背負わなければならない十字架だ。
打ちのめされる自分に妻……ではなく、中身が入れ替わった女性――藍音は「ごめん」と言った。すぐに伝えられなかったことを謝罪する彼女をどうして責めることができるのか。
「いいや、良いんだ。これでいい」
どうか彼女がこれ以上罪の意識に苛まれないようにと祈りを込めて、ライオットはつとめて軽い口調で言った。
その願いが届いたのか、藍音はこれ以上謝ることはしなかった。しかし、もっと辛い言葉を吐いた。
「私が貴方の妻でいる意味はありません。お別れしましょう」
頭の中ではそれが正しいとわかっている。今目の前にいる女性の中身はもう妻では無いのだから。
でも、気付けばライオットは「嫌だ」と口にしていた。本当に嫌だったのだ。
なぜなら妻に対して恋心を持ったのは半年前――妻と別の女性が入れ替わった時だから。
アイネを妻に迎えた時は亡き妹の姿を重ねていたのに、あの日を境にライオットは妻のことを一人の女性として見ていた。
――自分は妻のアイネではなく、異世界の女性である都築藍音に恋をしていた。
だからライオットは、離縁を拒んでしまった。惚れた女性をどうしても手放したくなかった。
でも、恋する女性から「貴方の妻でいたくない」と言われてしまえば、ライオットはもう嫌とは言えなかった。
『でもですね、もう遅いのです。何もかも』
年の瀬の夜会で、彼女が紡いだ言葉が今頃になって胸に刺さる。まさに何もかも、もう遅かった。
「わかった。君の要求を呑もう」
他にどんな言葉が言えただろう。
身を引き裂くような決断をした自分に、藍音は「元気でいてくださいね」と別れの言葉を口にする。残酷なその言葉を紳士的に返したのは、男の意地だった。
藍音と別れ、緑陰の館を出る。馬車に乗り込む前に、もう一度彼女の部屋に目を向けたい衝動に駆られたが根性で我慢した。
「……これが私に与えられた罪なのだろうな」
馬車に乗り込んでポツリと呟く。この言葉を肯定するかのように雨脚が強まった。
それから屋敷に戻り、年甲斐もなくふて寝をした。
何日も睡眠を取っていなかった自分は夢すら見ることも無く深い眠りにつくだろうと思った。
しかし、夢を見た。
真珠色の空の下、腕を組んだ女性が立っている。肩につくかつかないかという長さの黒髪を風になびかせ、丈の短いスカートは惜しげもなく膝から下を出している。
「あーもー、またここに来るなんて。私もお人好し過ぎるわ。明日は朝からジムに行く予定だったのに。これじゃあ寝坊確定だし、顔も絶対にむくんでる。もう、嫌になっちゃう」
誰に向けての文句なのかわからないが、黒髪の女性は頬を膨らませてライオットを軽く睨む。
え?私か?? と首を傾げたくなるライオットに、黒髪の女性は表情を改めこう言った。
「お久しぶりですね、旦那様」
明日もライオット視点です∠( ゜д゜)/




