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ライオットはまず妹シャロテの殺害事件を詳細に語り、その後レブロン家が長い歴史においてずっと国王の犬であることを伝えた。
それからイレリアーナをレブロン邸に引き取った経緯と共に、近い将来、彼女をどうするつもりなのかも包み隠さず語った。
最後にどうして白い結婚を貫いているのか理由も教えてくれた。
藍音が読者として知っていたことといえば、イレリアーナがどうしてレブロン邸に身を寄せることになったかということだけ。つまり、ほとんどライオットが抱えている事情を知らなかったのだ。
――私ってば、この人になんて酷いことを言っちゃたんだろう。
大切な家族を殺した相手を愛人呼ばわりして、白い結婚のままでいるのを盾に一方的な離縁を申し入れてしまった。
あの時、ライオットは愛人ではないと何度も言ったはずなのに、それに耳を貸そうともしなかった。
小説を読んでいたから。アイネの記憶を受け継いだから。そんな理由で彼を最低な男だと決めつけていた。
ここがたとえ小説の世界だとしても、ここで生きている人は自分と同じ人間なのに。どうして自分はアイネだけを一人の人間として扱い、彼を人として認めることができなかったのだろう。
よっぽど自分のほうが最低じゃないか。
「旦那様……あの」
「妻にすら王族は好き勝手な真似をするのだと思ったら、もう我慢ができなかったんだ」
自分の発言を遮った言葉が、ついさっきカイロスと殴り合いをした理由だとわかったのは少し経ってから。
「だからといって王族に拳を向けるなど不敬罪にあたります。今更ですが……大丈夫なのでしょうか?」
「ああ、大丈夫だ。安心してくれ。シャロテの名を出した途端、殿下は黙って決闘を受け入れた。両者が決闘と認めてことを始めた以上、陛下とて口を挟むことはできない。ただ……」
「ただ……なんですの?」
「帯剣してなかったのが悔やまれる。剣さえあれば、あの場で殿下を八つ裂きにできたのに。くそっ」
心底悔し気な態度でいるライオットの隣で、藍音は心底帯剣してなかったことを感謝した。
「まぁでも……君がまさかあの場に割って入って来るとはな。予期できなかった。ははっ」
全てを語り終えたライオットは、笑い声が出せるほどスッキリとした表情をしている。対して藍音は罪悪感で俯いてしまう。
自分はライオットを責める権利なんてなかったのだ。思い込みで傷つけてしまった彼にどう謝れば良いのだろう。
ライオットと違い全てを伝えることができない藍音は、下を向いたままギュッとスカートを握ってしまう。
その姿はライオットからしたら、新たに知った真実に戸惑っているようにしか見えなかったのだろう。大きな手がポンと頭上に乗った。
「君を蔑ろにしようとなんて思ったことは一度も無かった。すぐに泣く君には、全てが終わってから伝えるべきだと思っていた」
今、こういう優しい言葉はやめてほしい。どうせなら責めてほしい。
そう願う反面、それこそ自分勝手だと思う自分もいて、藍音はおずおずと顔をあげる。
「……今でもそう思っていらっしゃるのですか?旦那様」
「いや、包み隠さず話すべきだったと後悔している。君は私が思っているより弱い女性ではなかったからな」
じっと自分を見つめるライオットの手が動く。頭上から頬に。
「すまなかった。私の身勝手をどうか許して欲しい」
後悔とアイネへの想いが詰め込まれた言葉に、藍音は不意に泣きそうになる。
ライオットは哀しいほどに優しい人だった。そして呆れるほどに不器用な人だった。
自分だけが楽になれる道など幾らでもあったくせに。だって25歳だよ?元の世界じゃ、まだまだ若手だよ?こんな辛い選択をしなくてもいいのに。
胸の内からそんな言葉が出てきそうになる。どうしたって自分が一番よく知っている男――智哉と比べてしまう。
働かない口先だけの男。言い訳だけは一人前でこっちの苦労は見て見ぬふりをする男。楽になる道を選ぶのが得意な男。妻の気持ちを平気で踏みにじることができる男。
思い出したくも無い記憶が一気に溢れ出す。吐き気すら催すその感情から逃げるために、自分の頬を包み込むように触れるライオットの首に腕を絡めたい。そしてその首筋に唇を当てたい。
きっと今の彼なら拒むことはしないだろう。その太い腕で自分を抱きしめてくれるはず。
自分たちは見た目は夫婦なのだ。ライオットは離縁を拒んでいる。自分が「もう白い結婚なんか終わりにしちゃおう」と囁けば、すぐにでも屋敷に戻って寝室に向かってくれるだろう。
この男を欲してる自分を強く感じる。何もかも忘れて激しく抱かれたい。アイネの代わりに自分がこの男と結婚生活を送りたいと無性に思う。
許しを希うライオットだって、きっと自分と同じ気持ちでいてくれるはず。
でも、ライオットがどれだけ強くアイネとの未来を願おうが、力任せにアイネを抱きしめようとも、もうそれは虚空の領域なのだ。だってアイネはもう死んでいる。
自分だけが知っている現実はあまりに重く、藍音の湧き上がった欲望をいともあっさり押しつぶす。
――どこまでいっても、これはアイネの物語。私はそれを受け継いだだけ。
現世と黄泉の国の狭間で泣いていたあの子が叶えられなかった全ての願いを叶えようと決めたのは、他ならない自分なのだ。
「ねえ、旦那様」
するりと紡がれた言葉にライオットはビクッと身を竦ませる。これから先の言葉が己が望むものでは無いと声音で気付いてくれたのだろう。
「話は、帰ってから――」
「いいえ、今、します」
立ち上がって逃げようとする彼を掴んで座れと目で命ずる。
「わかった。話を聞こう」
瞬きを3回する間に、ライオットは覚悟を決めてくれた。
「今の貴方のお話、わたくしはとても嬉しかったです。ずっとわたくしは貴方に嫌われてると思ってましたから」
「嫌っているなら妻になどするものか」
憤慨するライオットの口調はどことなく甘い。それは彼がアイネと復縁ができる希望を捨てきれていないからだろう。
だから藍音は目を閉じて息を吸って吐く。それから一番伝えたいことを口にした。
「でもですね、もう遅いのです。なにもかも」
幕引きを告げる言葉を発した途端、夜空に大輪の花が咲いた。




