7
どうしよう、どうしよう。誰もがあっと驚くような斬新な切り抜け方を考えなければと焦っても、路地裏でうずくまる黒髪王子の苦悶の表情と見事な蹴りが決まった爽快感を思い出してしまいロクな策が浮かばない。
しかもピンチはチャンスという名言があるけれど、ピンチの時はやっぱりピンチでしかないと達観する自分もいて、とにかく頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「今日は流石に知らないとは言わせませんよ。アイネ殿」
最後に名を呼ぶ時だけやたらと甘い言い方をする黒髪王子は、藍音が困り果てている姿を完全に楽しんでいる。
もういつ彼の口から路地裏での一件を語られてもおかしくない状況で、藍音はわぁあああっと叫んで走って逃げたくなる。
しかし、ここで藍音と黒髪王子の間にライオットが割って入った。
「カイロス殿下、おふざけはここまでにしていただきたい」
口調こそ丁寧ではあったが、醸し出す雰囲気は不機嫌以外の何ものでもない。
チラッと覗き見たライオットのエメラルドグリーンの瞳は刃のように鋭くて、藍音はひぃっと声にならない悲鳴をあげてしまう。
なのに黒髪王子ことカイロスは、まるで仲の良い弟とじゃれあっているかのようにニコニコと笑みを称えている。
「ふざけてないよ、ライオット。それに今日は君じゃなくって君の奥様に用事があるんだ。ちょっと貸してくれない?夜明けまでには返すから」
「この歳になって言って良い冗談と悪い冗談があることすらわからないのですか?殿下」
「冗談じゃなくって、本気って言ったら?」
カイロスは、藍音には始終品の良い笑みを浮かべていたが、今はライオットに向けニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
明白な挑発を受けて、ライオットは殺意に近い視線をカイロスに向ける。しかし、そこで引き下がると藍音は思っていた。
なにせ相手は王族。それにレブロン家は国王の信頼も厚く今も昔も忠誠を誓っているし、態度を改めると藍音に宣言したけれど王族に楯突くほどの情は持ち合わせていないはず。
しかし、ライオットは藍音の予想を裏切った。
「貴様」
王族に向かっての暴言に場の空気が凍りついた。
「へぇ、随分大事にしてるんだね。噂とは大違いだ」
わざとらしく目を見開くカイロスは、再び藍音に視線を向ける。
「さて、君の旦那様は君を連れ出すことを嫌だといってるけれど、アイネ殿。君は嫌なのかい?」
なんてことを訊くんだ!と、ぎょっとした藍音にカイロスは一歩近づき耳元で囁く。
「……君が路地裏で私にしたこと、ここで喋っちゃおうかな」
「っ……!!」
急所蹴りされたという不名誉を自らバラすと持ち掛けるカイロスは、自らが汚名を受けてでも自分と話がしたいようだ。
一体、何を話したいのかと考えてみたところでわかるわけがない。
だってカイロスは小説の中に出てくることすらないモブ以下のキャラなのだ。でも、この世界では血の通った人間で、かなり高い地位と意思をしっかり持っている。
藍音はごくりと唾を飲む。決断できない自分を急かすように、カイロスとライオットの一触即発の空気を受けて招待客が、ぞくぞくとこちらに集まってくる。
もうこれはアイネの名誉とレブロン家の財産を守るために、苦渋の決断をするしかないと覚悟を決めたその時、
「殿下、妻に何をしたんだ」
ライオットの詰問に近い口調が広間に響く。内容はわからなくても、アイネがカイロスから何らかの脅迫を受けたことに気づいたようだ。
確かにその通りだが、破廉恥すぎて口が裂けても言えない。ただこれ以上揉め事が発展するのは避けなくてはならない。
「旦那様、あの……あのですね、わたくしが殿下と一緒に行けば済む話ですので」
「君は黙っていなさい」
「……でも」
「黙れ」
鞭で打たれたかのような衝撃に、藍音は反射的に口をつぐむ。
そうすればライオットはなぜか顔を歪ませ、額に手を当て俯いた。はぁーと長い溜息の後、顔を上げた彼は、場違いなほど爽やかな笑みを浮かべていた。
「殿下、人の目もありますので場所を変えても宜しいですか?」
「ん?今夜の私はアイネ殿を所望してるのだが」
「殿下」
「んー。ま、ライオットが珍しく私を求めてくれているんだから、特別に君を優先してあげようかな」
藍音はライオットの急激な感情の変化が怖くて仕方がないが、カイロスはウキウキしているし、ライオットは表情を動かすことはせず、さっさと場外へと足を向ける。
ただ少し歩いて振り返り、藍音に向けてこう言った。
「少し夜風に当たりながら殿下と話をしてくるから、君はここで待っててくれ。くれぐれも強い酒は飲まないように」
微笑みすら浮かべてそう言ったライオットは、もう振り向くことはせず早足で外へと出ていった。カイロスもスキップしそうな勢いでライオットの後に続いた。
ライオットから言われた通り会場の端っこで「どうか話しかけないで」というオーラを出しながら、限りなくジュースに近いお酒を二杯飲んだところで藍音は我慢できずに二人の後を追った。
王城はとてつもなく広い。広間を出ると石畳の渡り廊下と庭園が視界に広がる。ちょっと悩んだけれど、庭園には愛を語り合うカップルがそこかしこにいたので、藍音は渡り廊下を選んで走り出す。
等間隔に明かりがともされている廊下は、人の気配がまったくしない。これは間違えたなと藍音がもと来た道を引き換えそうとしたが、渡り廊下から外れた茂みで人の気配がした。
もしかしてライオットとカイロスかもと思い、藍音はこそっと茂みから顔を覗かせ――我が目を疑った。
なぜなら二人は言葉で語り合っているのではなく、拳で語り合っていたのだ。




