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鐘の音に重なるように国王陛下の登場を報せるラッパの音が広間に響く。
招待客は空席だった玉座の前にぞろぞろと集まると、最上の礼をとる。
藍音もライオットの横で腰をおとす。幸いアイネは一通りの礼儀作法を身に着けてくれていたので、見様見真似でもライオットからダメ出しされることは無い。
――うっわぁ~、これぞまさしく小説の世界だ!すごい、すごい!!
頭を下げつつもチラチラ玉座を見る藍音は、今日一番はしゃいでいた。
なにせ目の間の玉座には『今宵、華になるのは唯一人』のヒーローである国王と王妃。そして選抜メンバーの側室もといヒロイン達がいるのだ。
齢18で王位を継承した現国王は、とても温厚で平和主義。しかし夜になれば、野獣の如く王妃を抱き、あっという間に世継ぎが誕生した。
国王と王妃の間に生まれた子供は、男女合わせて計8人。なのに国王はまだまだエンジン全開で性欲は留まることを知らなかった。
政略結婚で小国から嫁いできた王妃と国王の仲は決して悪くない。だがしかし、立て続けに出産が続いた王妃は、流石に毎晩毎夜、国王から誘われるのが辛くなり、とうとう一度は廃止になった後宮制度を復活させたいと掛け合った。
結果として王妃の願いが聞き入れられ、後宮が復活した。
国王と側室の間に子供ができないよう細心の注意を払う法を定めたとはいえ、夫の性欲に耐えきれず他の女をあてがったことは褒められることではない。でも、この後宮は女性の駆け込み寺としての役割もあった。
見栄と体裁によって口を塞がれ身体をがんじがらめにされ、誰にも「助けて」と言えない貴族女性の最後の砦がもう一つの後宮の顔。
つまり『今宵、華になるのは唯一人』は後宮の女性が世継ぎを産むための愛憎劇ではなく、一度は傷つき行き場をなくした貴族女性達が過去の因縁を断ち切る愛憎劇。
ただ外の世界と断絶した彼女達には、俗世と繋がる術がない。そこで国王の寵愛が必要となる。噛み砕いて言えば、夜にニャンニャンしてる時におねだりしようということで。
ちなみに側室達は一度は社交界で顔を会わせたことがある関係。なので時にはいがみ合い、時には正々堂々と戦い、時には手を取り合い、己が掲げた目標を達成しようとする。
国王も側室達の事情はわかっているので、秘密裏で処理したい政治問題があれば、都合よく彼女達を利用する。
齢60にもなる初老の男が才色兼備な女性を騙し、騙され。時には金髪モブキャラに美味しいところを持っていかれ――尋常じゃないテンポで進むこの話はかなり面白かった。
特に王妃とセンター役の側室ヴィラが、悪役官僚相手に共闘する回はスマホを持つ手が震えた。
あと既に還暦を迎えたはずの国王だが絶倫効果のお陰で、御姿はどう見ても40代半ば。
それに歳と共に得た貫禄が加わり、見目麗しいダンディな御仁である。これなら後宮の女性もやる気が出る。
「――……ネ、アイネ」
吐息と共にライオットから耳元で名を呼ばれ、藍音ははっと我に返る。
いつの間にか国王の挨拶は終わったらしく、今まさに招待客が四方八方に散っていくところだった。
「緊張したか?」
「え、ええ……まあ、そのようです」
愛読していた小説の登場人物に間近で会えて、ちょっと意識を飛ばしていたなどと言えない藍音は曖昧に笑って誤魔化す。
ライオットはさほど藍音の返事を期待していないのか、すぐに違う話題を口にした。
「そろそろ何か食べよう。ジリーに君を飢えさせぬようご馳走を沢山食べさせてくれと懇願されたしな」
「なっ、も、もうっ……ジリーったら!」
意地悪く笑うライオットに、藍音は柄にも無く取り乱す。
だって周囲には招待客が大勢いて、自分たちの会話に聞き耳を立てている。
――ちょっと馬鹿!アイネが食いしん坊って思われちゃうでしょ!!
空腹を訴えたのはド庶民の藍音で、アイネなら絶対に「お腹が空いた」なんて言わないはず。
とはいえそんなことを声高らかに訴えれば、レブロン侯爵夫人は二重人格? なんて不名誉な噂が立つ。
地味に追い詰められた藍音は、咄嗟に若い子が良く口にするであろう言葉を放った。
「結構ですわ。沢山食べてしまったら太ってしまいますもの」
ツンと横を向いて10代女子らしく言ってみせれば、ライオットはこれ以上無いほど冷めた目になった。
「何を言い出すかと思えばくだらないことを。太りたいなら太ればいい。それで君の評価が変わることも無いし、ドレスなら幾らでも新調すればいいだけの話じゃないか」
ライオットが言い終えた途端、招待客は同時に己の耳に手を当てた。おそらく幻聴かと思ったのだろう。藍音も返事をするのも忘れてポカンとする。
「まぁ、気に入る料理が無いかもしれないから一先ず向かおう。口に合わなければ屋敷に戻って一緒に遅い夕食を取ればいい」
ちゃっかり食事の約束を取り付けたライオットだが、藍音は完全に無視をしている。いや。正確に言うと、一人の招待客に釘付けになっていた。
グラスを片手に、優雅な足取りで微笑みながらこちらに向かってくる長身の青年がいる。
服装はライオットのようにフロックコートではなく襟が詰まった上着に肩から金の刺繍が施された美しい布をたすき掛けにしている。所謂、王族衣装だ。
ここは王城。王子と姫が8人もいるここなら、王族の一人や二人いても何ら不思議ではない。問題は、こちらに近付いてくる青年の首から上だ。
艶やかな黒髪に、吸い込まれそうな深い青色の瞳。
忘れたくても忘れられない光景が脳裏にチラつき、藍音はみるみる青ざめる。
「だ、だ、旦那様。……今すぐ!そう、今すぐ食べに行きましょう!はい、すぐに……!」
逃げること以外考えられない藍音は、ライオットの腕を掴んで立食席に移動しようとする。しかし、僅差で間に合わなかった。
「また会いましたね。レブロン家の奥様」
よく通る妙に色気のある声が、藍音を捕らえた。
藍音はつい素に戻ってしまい「げっ」と下品な声を出してしまう。
黒髪青年に王都の路地裏で絡まれてた時は、滲み出る育ちの良さからどっかの貴族紳士だとは思った。けれど、まさか王子だったとは。
藍音は己の運の無さを嘆くとともに、このピンチをどう切り抜けようか必死に考える。
理由はどうあれアイネが王子の急所を蹴り上げたことは、絶対にライオットに知られるわけにはいかないから。




