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年の瀬の夜会当日。
レブロン邸は朝からとても慌ただしかった。特にメイド達の目は血走っていた。
なぜなら本日はこの屋敷に嫁いできた若奥様が、初めてご主人様と一緒に夜会に参加されるのだ。
女性の身支度はとても時間がかかる。特に夜会ともなれば、朝から気合を入れて準備をしなければならない。
ただそれは身支度を手伝うメイド達に限ってのことではなく、参加する側の藍音にも言えることだった。
――アイネ、夜会に出席するのは今回限りだからね!
朝早くから叩き起こされ、風呂に入れられ身体を磨き上げられ、風呂から出れば全身に香油を塗りたくられた藍音は、窓ガラスの向こうの空を見つめながらもう一人の自分に強く訴えた。
夜会に参加するのがこんなに大変だとは思ってもみなかった。
藍音は既婚者ではあったが、結婚式は挙げていない。結婚写真も後回しにしていたので、他者の手を借りなければいけないドレスを身に着けたことはない。
アイネの記憶を覗いてみても、ここまで大掛かりなものではなかった。
だからてっきり夕方頃からチャチャッと準備をすれば良いものだと思っていた。なのに、正午を過ぎても藍音の周りにはうじゃうじゃとメイド達がいる。お腹すいた。
「……ジリー、ねぇジリー」
一番ノリノリで小物類を用意している侍女を小声で呼べば、ものすごく迷惑顔で振り向かれてしまった。もはや誰のための夜会なのかわからない。
とはいえ、大勢のメイド達がアイネの為に色々動いてくれるのは嬉しい光景で――藍音はそれを見ながら空腹に耐えることにした。
冬の太陽は秋の時よりせっかちだ。
窓枠の影が少し伸びたなと思ったら、あっという間に夕暮れ時になる。
着せ替え人形のようにメイドの手によってドレスアップした藍音は、姿見の前で瞬きを忘れて食い入るようにその姿を見る。
桜の妖精のようなアイネは、深海のような深い青色のエンパイアラインのドレスを着ている。
胸元には艶やかなシルバーレースが施されているが、他の装飾は一切無い。しかし生地はサテン地のように光沢があり、裾に向かって空色になる美しいグラデーション。
子供過ぎず、大人過ぎない。
18歳の若き侯爵夫人が身にまとうのに相応しい気品があるドレスだった。
「良くお似合いです」
「ふふっ、ありがとうジリー。それにしてもこんなドレスあったかしら?」
どうせ1回しか着ないし、クローゼットには山のように袖を通していないドレスがあるからと、藍音はドレスを新調しなかった。
ただ一度目を通した時には、クローゼットには淡い色彩のドレスばかりだったはず。
おぼろげな記憶を抱えて藍音が軽い気持ちでジリーに問い掛ければ、なぜか彼女はすっと目を逸らした。
その仕草が妙に引っ掛かり、他のメイドにも視線を向けてみるが揃いも揃ってジリーと同じように目を逸らされてしまった。これはもしかして……
「まさかこれ新調したの?」
硬い口調になってしまったのは、勝手なことをしたことを責めているのではなく、幾らかかったか知るのが怖かったから。
しかし藍音の気持ちが伝わるわけもなく、メイド達は大罪を犯してしまったかのように俯いてしまう。
何だか意地悪をしているような気持ちになってしまった藍音はぎょっとして、違うそうじゃなくてと弁明しようとしたその時、またもや無断でこの男が入って来た。
「新調するよう指示したのは、この私だ」
ノックも無しに部屋に入って来たライオットは、既に身支度を終えていた。
格式高いベルベット地のフロックコートに、光沢のある真っ白なシャツ。首元には藍音と同じ青色のタイ。普段下ろしている前髪は、きっちりと上にあげている。
多分これが少女漫画なら、背景に薔薇の花びらが舞うような眩しい姿だった。
そんな彼の手には、小さな化粧箱が握られている。
「アイネ、こちらに座りなさい」
妻の主張を無視してドレスを新調したことを悪びれる様子もなく、ライオットは目に付いた椅子に藍音を導いた。
「……その箱はなんですか?旦那様」
メイドがいる手前、大人しく椅子に着席した藍音は恐る恐る尋ねてみる。中身は何となく察しが付くけれど。
ライオットは微笑むだけで、答えることはしない。見ればわかると言いたげに化粧箱を開けた。
「っ……!!」
箱の中には、ライオットの瞳の色とそっくりな宝石が輝いていた。
細いチェーンを編みこんだ繊細なデザインのネックレスは、中央のエメラルドグリーン色の宝石を中心に小さな宝石たちがキラキラと光っている。イヤリングも小ぶりながら、愛らしいデザインだ。
ヒルイン工房でブチ切れた宝石の何倍も素敵で、アイネの為に用意されたことは一目瞭然だった。
「……素敵ですね」
思わず見たままの感想を藍音が口にすれば、ライオットは破顔する。
そして藍音の背後に回ると、一つ一つ慎重な手つきで妻の身体にそれらを着けた。
ジリーも含めたメイド達が互いの肘を突き合いながら頬をほんのりと赤く染めるのを見ながら、藍音は心の中でアイネに「やっと気持ちのこもったプレゼントを貰えて良かったね」と語り掛けた。
馬車を降りて、入城する。
ここは異世界の夜会会場なのに、義理で参加した結婚式場にいるような感覚を覚えてしまうのはなぜだろう。
ライオットと肩を並べて歩く藍音は、つい首を傾げてしまう。
少ししてわかった。きっと男女とも最高に着飾って澄ました顔をしながらも虎視眈々と出会いを求める表情がそう思わせているのだ。
そんな風に藍音が至極どうでもいいことを考えているが、会場のざわめきはしっかりと感じている。
無理もない。これまでイレリアーナをパートナーとして参加していた侯爵家当主が、突然引きこもり妻を連れて登場したのだ。驚くなという方が無理がある。
「アイネ、君は何も恥じることはない。そして君を悪く言う者がいたらすぐに私に言いなさい」
夜会服に身を包んだライオットは、前を向いたまま気遣いの言葉をかけてくる。
藍音は内心「恥じる真似をしたのはお前だろ?」と言いたくなる気持ちを抑えて、ニコリと微笑んだ。
だって今日はアイネが切に望んだ夜会。今夜だけはアイネが描いた理想の妻としてライオットの隣に立とうと決めている。




