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ただでさえ好き好んで会いたいとは思えないアイネの父親との対面に、余計な人物まで加わってしまえば温室の花々を見る余裕は藍音には無い。
しかし男性二人は「やれ、この花は美しい」だとか、「ああ、この花は南方の地域の希少種で」と和やかに会話をしている。
ただしそれは表面上に過ぎず、どことなく空気が張りつめている。そのピリピリ感に居たたまれず、気付けば藍音はお茶を二杯もお代わりしていた。
「……ところでアイネ。変わりはないのか?」
「え、ええ」
咄嗟に返事をしてしまった途端、ルードヴェイの表情が曇った。
「嫁いで2年。何の変化も無いことを、お前はもっと恥じるべきだ」
「?……は……い??」
変化というのは子供ができたか否かを問うていたことに気付いたのは、間抜けな声を出してしまった後だった。
「侯爵家に嫁いだ以上、責任は重大だ。それをまったく自覚していないお前を見て、私は呆れ果ててものが言えない」
はぁ、とルードヴェイは大仰に溜息を吐く。
すぐにライオットがアイネを庇う発言をするが、ルードヴェイは娘が悪いの一点張りで聞く耳を持とうとすらしない。
そんな彼に対して、藍音も同じように溜息を吐いてしまう。クルークリン国の男はどうしてこうも女性を軽視したがるのだろうと。
ルードヴェイはアイネとライオットが白い結婚のままであることを、知っているのか知らないのかはわからない。
しかし夫婦が一緒にいるこの状態で、アイネだけを責めるのは間違っている。これではアイネに欠陥があると決めつけているのと同じではないか。
――そもそも、この男がアイネとヤッてないのが一番の原因なのに!!
そんな風に身も蓋もない言い方ができればどんなに楽だろう。しかし桜の妖精のようなアイネの口から、ヤッたヤッてないなどという下品な言葉なんて吐きたくない。
とはいえルードヴェイの発言は聞き流せるものじゃない。
「お父様、ご心配をおかけして申し訳ございません。ですが、そのような心配はもうなさらなくて大丈夫ですわ」
ニコリ、と藍音はティーカップをソーサーに戻して微笑んだ。
ピリピリしていた温室の空気が一気に変わる。
毎度思うけれど、アイネの笑みは本当に最強だ。たったこれだけで、この場を支配できるのだから。やっぱり可愛さは武器である。
ただし、今から口にする言葉には可愛さは皆無だけれど。
「わたくし、近いうちにライオット様と離縁することになりましたの。今は離縁に向けて諸々の手続きをしている最中なのです。ですからもう嫁いだ娘がどうこうと心配する必要はございません」
「なんだと!?そんなこと一言も聞いてないぞ!」
「ええ。離縁すると決めたのはつい最近ですから。あっ、もちろん、お父様にはご迷惑をおかけするつもりはございません。出戻り娘が屋敷にいるのは恥でしかないことはちゃんとわかっております。その辺りのことも旦那様ときちんと話し合って、円満に準備を進めておりますのでご安心を」
最後は、うふっと首を傾げて愛らしさを振りまいた藍音だけれど、その眼は苛立ちを隠すことはしなかった。
だってこの結婚は、アイネが望んだものじゃないから。
貴族令嬢あるあるの互いの家門を繁栄させるために結ばれた縁談でもなく、我が身を犠牲にして家族を守ろうとする捨て身の結婚でもない。
本来、祖父同士が友情の証に取り決めた、幸せになるべき縁談なのだ。
もちろんこの結婚で得るものはあっただろう。しかし、身も心もボロボロになるまで耐えなければならない結婚生活でもないはずだ。
「……アイネ、お前は自分が言っていることがわかっているのか?」
唸るように問うたルードヴェイに、藍音は穏やかに「ええ」と言って微笑む。怒鳴られるのを承知の上で。
しかしルードヴェイはグッと何かを堪える表情を作ると、ライオットに視線を向けた。
「レブロン卿、貴殿とは別の席で話をしたほうが良いようだ」
「わかりました」
娘に何を言っても無駄だと判断したルードヴェイは、すぐさまライオットを連れてどこかに向かおうとする。
しかし藍音は尖った声で二人を呼び止めた。
「お父様、旦那様、席にお戻りを。まだお話は終わってません」
凛と背筋を伸ばして藍音がテーブルを人差し指でトントンと叩いたら、ライオットはしぶしぶながら着席する。しかしルードヴェイは、起立したままだ。
「お父様、お座りください」
「黙れ。だいたい、お前は昔からっ」
「あらお父様、わたくしの子供時代を語れるほど、お父様はわたくしを見てこられたのですか?」
アイネがどれだけ寂しさを抱えていたか、何も知らないくせに。
そんな気持ちでルードヴェイを睨み付ければ、なぜかここでライオットに肩を叩かれる。
「……アイネ、君は少し落ち着いた方が良い」
お前が言うなと言い返したくなるが、尖った視線を向けるルードヴェイを、これ以上怒らせるのは得策ではないのは確かだ。
悔しいが、ライオットの忠告は正しかった。
「……少し言い過ぎましたわ。お父様、ごめんなさい」
心から申し訳ないという表情を作って謝れば、あっさりとルードヴェイは着席した。その横柄さにカチンときたけれど、まぁ、無理もないと心のどこかで冷静に思ってしまう。
なにせルードヴェイは、もともと家族の軋轢を修正するより、見て見ぬふりをして過ごすような薄情な男だ。アイネの気持ちなどこれまで一度も考えたこともないだろう。
そんな彼が謝罪の言葉一つで大人しく座ってくれたのだ。これはラッキーとしか言いようがない。
ただ幸運はそう何度もやってくるものじゃないから、これから先は自分の言葉でこの男を叩きのめしてやる。
「お父様、離縁のことをなし崩しにお伝えしてしまったのは、わたくしに非があります。申し訳ございません、ですが、これは旦那様とわたくしの問題です」
「平民でもあるまいし、そんな戯れ言が通ると思っているのか?」
「思っていても、いなくても、貴方はそこに口を挟む権利はありません。なぜなら貴方は父親とは名ばかりで、わたくしのことを一度だって娘として見てはくれなかったのですから」
「……そ、そんなことは」
「無いと断言できますか?」
被せるようにルードヴェイに尋ねれば、彼は渋面を作りぞっとするほど低い声でこう言った。
「……そうさせたのは、お前だ」




